雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

青春18きっぷ+50歳の旅〜2日目

2023年04月29日 | 旅行






 2日目の大きな目的は本四架橋を渡ること。最終目的地は兵庫県の尼崎市。姪の旦那が西ノ宮で営む小さなフランス料理店で姪と共に夕食を食べることになっている。今回の旅で唯一人と会う約束をしている日だ。
 前夜は尾道でラーメンの夕食を食べた後に、再び列車に乗って1時間20分、8時半近くに岡山到着。ホテルは駅から続く地下道を通って行けるほどの距離だった。
 1日目の行程がやや強行軍だったので、朝はゆっくりめに予定を立てていたが、思っていた程疲れもなく、ホテルの朝食を食べに1階のレストランに並んだのは客の中で3番目だった。洋食、和食の定食で和食をチョイスするはずが私の前に並んだサラリーマン風の若い男性が2人とも朝カレーを選んだのでつられて私もカレーをチョイス。外は雨。今回は5日目まで雨にたたられた。
 朝早く起きたので、予定よりも1時間ほど早い快速マリンライナーで高松に向かう。岡山駅を出発した列車が本四架橋を渡る前の児島という駅で、JR西日本からJR四国に運転手と車掌が交代するのが面白かった。初めての本四架橋は残念ながら雨ですぐ下の海面こそ見えても瀬戸内海の美しい島波は見通しが悪く見られなかった。終着駅のような高松駅に到着。生で初めて見るJR四国の特急車両が並んでいる。ただ私的にはJR四国の車両のデザインは好みではない。そのまま高松駅でふだんは見られないJR四国の車輌を見て時間を過ごすことも出来たが、讃岐うどんの昼食には早いので(朝カレーが67歳の胃には負担だった)近くをぶらぶらすることに。
 1時間早く起きたおかげで全く計画に無かった高徳線のレールバスのような車輌に乗って栗林公園に行くことができ、今回は諦めていた琴電にも乗車できた。
 また栗林公園は素晴らしいお庭で、入園料を買うときに北口の売り場のおじさんに1時間程度しか見られないと相談すると、親切に園内の地図に行くべきコースを書き込んでくれた。ただ園内には中国人系の団体が声高に話しながら(と言うかほとんどさけんでいる)狭い園路でグループ写真を撮ったりしていて、しょうがないなあという感じだった。
 讃岐うどんの駅そばの適当なお店を探すつもりが雨風が強くなり駅ビルの中のうどん屋さんできつねうどんを食べた。
 計画より30分早く高松を出て再び本四架橋を渡って本州に戻り岡山駅で乗り換え。ここから尼崎駅まで相生と姫路でさらに2回乗り換え。夕方のラッシュにはまだ早い時間なのでどの列車も窓際の席に座ることが出来た。山陽線の列車は転換クロスシートが多くて座って外の景色も見たい観光客には大変ありがたい。(その点、我がJR九州の最近の車輌は通勤型に多いロングシートが増えていてつまらない)
 神戸では以前神戸の出張の際に見に行った長田地区の鉄人28号の姿をチェック。明石海峡大橋もしっかりと確認した。神戸まで来ると複々線での快速列車と普通列車の並走や通り過ぎる駅は皆大きく、ビルや高層のマンション、ビッシリと並んだ一戸建の住宅など、すっかり都会の様相。駅にも車窓から眺める通りにも人があふれていて、あのたくさんの住宅やマンションの住まいにそれぞれの家庭があり生活があり笑いや哀しみや苦しみもあるんだろうなあと思うと、何だか見ていて辛くなってきた。熊本市ぐらいだとこんな気持ちにはならないんだけど。
 姪っ子は仕事帰りにレストランの最寄りの駅で待ってくれている。ここで私はちょっとした失敗をした。
 予定より早く宿泊地の阪神尼崎駅の近くのホテルに着いた。荷物を置いて身軽になり、阪神電車に乗って西宮に向かう。途中、憧れの甲子園が見えた。今年のシーズンから高校の後輩の大竹耕太郎投手が現役ドラフトでソフトバンクホークスから阪神タイガースに移籍。タイガースファンの皆さんに1人ひとり手を握って「大竹をよろしくおねがいします」と声をかけたいぐらいだ。
 ところでその日の失敗は、約束したレストランの最寄駅を阪神の西宮駅だと思っていたこと。姪っ子が西宮北口駅とはっきり書いていたのに、私が西宮駅の北口だと思っていたことです。北なんとか駅とか上なんとか駅とかはあるけど、なんとか北口駅という駅名があるなんて熊本では考えられん。
 この勘違いはギリギリで回避され、今津という駅で阪急に乗り換えて無事姪っ子に会うことができたのだ。姪っ子が結婚して依頼念願だった義理の甥が作ってくれたフランス料理のフルコースは期待通りで、ワインも皆美味しかった。

(2023.4.26)

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青春18きっぷ+50歳の旅〜1日目

2023年04月19日 | 旅行

▲関門トンネルの入り口(門司側)
 在来線で関門海峡を潜り抜けたのは何年振りのことだろう。
 二十歳を過ぎた頃から東京や関西方面に行く時は航空機を利用し、九州新幹線が全線開通した後は関西方面へは新幹線を利用する。
 考えたら在来線の関門トンネルを通って本州に上陸するのは四十数年ぶりだろうか。
 今や貴重な存在の415系交直流電車に乗り込み、門司駅を出発する前に席を離れて車両の前方に行き、運転席の窓から動き出した列車が関門トンネルに入るところを確認した。
 熊本の高校を卒業してから数年間は千葉県の市川市に住んでいて、上京する際も帰省する際も九州と東京を結ぶ寝台特急「みずほ」や「はやぶさ」を利用した。九州を離れる、九州に戻って来た、という感慨深い思いで関門トンネルを通過したものだ。
 もうひとつ門司と下関の間には鉄道好きには大いに興味のある区間なのだ。日本には青函トンネルと関門トンネル、山陽新幹線の新関門トンネルの3つしかない海底トンネルであることも大きな興味があるが、もっと鉄道好きが惹かれる点は、同じ電化区間でも山陽本線の直流、九州内の交流と方式が違っていてその切り替え区間が門司駅の側にあることだ。
 そのために、交流と直流の切り替え区間を走る列車は転換する区間を電気の供給を受けない惰性で走行する。数秒間、車内の電灯も消えてしまう。一般の人があれって思う程度の事象だけど、鉄道好きはその瞬間がたまらないのだ。
 また電化方式が違うと言うことは走る車両も電車であれ機関車であれ、直流電車、直流機関車、交流電車と違うのだが、この両方の方式を跨がって関門トンネルを走る列車は交直両用の特別な機関車、電車であり、関門トンネルを通る列車が激減した現在では貴重な車両となっている。
 山陽新幹線が博多まで開通するまでは、交直両用の電車が大活躍し、九州各地と山陽新幹線の終着駅だった岡山の間を特急つばめや急行有明など数多くの特急や急行が行き来し、また東京や関西行きの寝台列車も前述のみずほ、はやぶさ以外にも長崎方面のさくらや大分宮崎方面の富士など数多く存在して交直両用の機関車も活躍していた。
 主に寝台列車で関門トンネルを抜けていた私は門司と下関でで機関車を付け替えるための停車時間があり、そこで九州を出る、九州に戻ったという想いを受け止める間があったのである。
 2023年3月22日。私は若い頃から一度はやりたかった「青春18きっぷ」のひとり旅に出た。
 朝4時半に起き、5時過ぎに熊本市内の自宅を出発した。
 「青春18きっぷ」はそのネーミングから、若い人しか利用出来ないと勘違いされがちだが利用者に年齢制限は無い。12050円で全国のJRのみどりの窓口などで買うことが出来る。ルールは一日中普通列車に乗り放題で、使用可能な期間内であれば、連続した日でなくても可。同じ行程であれば、5人1日乗り放題の旅行をするという使い方も出来る。鉄道や旅行が好きな私はずっとチャンスをうかがっていた。定まった仕事を辞め、65歳くらいでそのチャンスが来ると思っていたが、そろそろと思っていた矢先にコロナ禍が世界を襲った。この春、コロナ感染も落ち着きをみせ、心配性の家人も遠方への旅行を了承してくれた。
 朝4時半に起き、5時過ぎに熊本市内の自宅を出発した。
 5枚あるチケットの一日目は、最寄り駅の新水前寺駅。新水前寺駅は早朝や深夜は無人となるので、熊本駅で1枚目に日付のスタンプを押してもらった。最初の目的地は尾道。一日目の宿泊地は岡山だ。
 熊本と博多の間は九州新幹線「さくら」でワープしたが、尾道到着は午後4時過ぎ。約10時間の鉄道旅は、日頃の鉄分不足を補うには充分過ぎる長さだ。

 関門トンネルを抜けて、下関で乗り換えた電車は今や貴重な115系の近距離用電車。博多駅で買った駅弁を食べながら山陽路を上る。そう言えば久しぶりに列車の中で駅弁を食べたなぁ。

(2023.4.19)
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夕立

2023年04月06日 | エッセイ


夕立

 繁華街に近い停留所なのに、路面電車を降りたのは私と若い女性の二人だけだった。
 それよりも驚きたじろいだのは、路面電車を降りる直前に降り出した大粒の雨だった。
 幅の狭い停留所には幅の狭い屋根があったが勢いの強い雨は路面や停留所の構造物に跳ね返り飛沫となって顔にも降りかかってくる。私は急いで傘をさした。
 ところが私より先に電車を降りた若い女性は傘を持っていないらしく私の方に体ごと振り向いて困ったなという顔をした。
 太ももも露わな短いパンツに短い丈のTシャツでは、ヘソが丸出しになっている。さらにパーマをかけたおかっぱ頭の髪の毛は赤かった。およそ私とは接点のない生活環境と、おそらく理解できない価値観を持っているだろう二十歳前後の若い女性が目の前にいる。
 私は彼女の目を見て、芝居がかって「やれやれ」という顔をしながら肩をすくめた。そして黙って人差し指で左右に示して、広い道路の真ん中にある停留所からどちら側に渡るのかをたずねた。すると若い女性は私が渡ろうとしていたデパートの入り口のある右側を自分も黙って人差し指で示した。
 ちょうど停留所に接する横断歩道の歩行者信号が青になった。
 私は女性の方に傘を差し出し、二人一緒に雨の中を小走りに道路を渡り、そのままデパートのガラスの入り口に駆け込んだ。入り口に備えてあった濡れた傘を入れるビニール袋に傘をしまう私に彼女はにっこり笑って、ちょっとだけ頭を下げてデパートの奥に消えていった。
 ただそれだけの出来事だけど、なぜかいつまでも忘れずにときどき思い出してしまう。

(2022.10.8)
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