グリフィンドールの剣
読書の秋。私の幸せな時間の一つに、寝る前の布団の中での読書がある。
別に寝る前でなくても読書は大好きで、ほんの少しの時間でも本を開く。
作家の椎名誠さんが自身のことを「活字中毒者」と表現されているが、私も手元に常に本がないと恐ろしく不安になるので、読書量は少ないながら多分すでに中毒症状が出ているのではないかと思う。純文学からSFまで、ジャンルは問わない。18歳の頃から手元には大抵、小説1冊、エッセイ1冊、新書が1冊と3冊以上の読書中の本があり、そのときの気分や読書可能な時間によって、いずれかを手に取って読んでいる。ハリー・ポッターや、ロード・オブ・ザ・リング、ムーミンなどのファンタジーものも大好きである。原書ではなく日本語訳の本ではあるが、何度も繰り返して読み、楽しんでいる。またそれらの作品が映画化されたら劇場まで足を運ぶ。大抵は原作のすばらしさにはかなわないが、映像化されたものも別の作品として十分楽しんでいる。
先日は、ハリー・ポッターの最終編、「死の秘宝」を一人で観に行った。放映がいつから始まったか忘れたが、もう1日の上映回数が減り、もうすぐ深夜割引の上映が無くなるというときになって、やっと近所の映画館に出かけた。ところが、行ってみたら、私が観ようとした時間の放映は日本語の吹き替え版だった。テレビでは吹き替え版の映画を違和感無く観るくせに、映画館では今まで吹き替え版を見たことがなかった。オリジナルの臨場感が無くなるような気がするからだ。しかし、それを観ないことには、劇場で観る機会が無さそうである。仕方なく初めて劇場で観る洋画を吹き替えで観ることになった。
最近は、注意力の欠如か、思考回路の信号伝達のスピードが遅くなっているのか、簡単なテレビドラマを観た後、『???』と疑問に思うことが多く、家人に説明を求めることが多くなった。1学年年下の家人もまた同様に、私にドラマの内容に関して質問することが多い。したがって、昨年買い替えた地デジ対応のテレビについている簡単に録画出来る機能を利用して、観ているドラマを同時に録画することが多い。夜等は居眠りしてしまうことも多いし、自分の都合に合わせて観ることが出来て便利である。そして、1回の放映では夫婦して「???」の部分が多く、録画したものを再生して疑問点を討論し、二人で復習してやっと理解するのだ。
ところが、映画館のロードショーはもちろん録画はない訳で、やはり「???」があった場合、しばらく疑問が残ったままになる。
ハリー・ポッターでも終了後疑問が残った。それを家人に訴えたら、「吹き替え版で理解出来ないなんてダサイ」と言われてしまった。
観た人しか分からないことだが、宿敵ヴォルデモートが飼っている分身の蛇、ナギ二をポッターの友人のネビルがグリフィンドールの剣を使って見事にやっつけるのであるが、なぜ都合良くその場に剣が現れたのかが、理解出来なかった。
原作は、翻訳本が出てすぐに一度読んでいるが、我が脳の中で最も劣化の進んでいるのが記憶の分野、すっかり記憶に無い。その他にもいくつか小さな疑問を映画館に残ったままだった。
で、結局「死の秘宝」の上下2冊を再読した。それでやっと疑問が解決しました。もっとも、分厚い本を再読しなくても、私以外にも同じ疑問を持った人が多かったとみえて、ネットで検索してみたら丁寧な答えが載っていました。それにしても恐ろしい位、記憶力と理解力が無いなあ。
(2011.10.3)