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雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

グリフィンドールの剣

2011年09月27日 | ポエム



 グリフィンドールの剣

 読書の秋。私の幸せな時間の一つに、寝る前の布団の中での読書がある。
 別に寝る前でなくても読書は大好きで、ほんの少しの時間でも本を開く。
 作家の椎名誠さんが自身のことを「活字中毒者」と表現されているが、私も手元に常に本がないと恐ろしく不安になるので、読書量は少ないながら多分すでに中毒症状が出ているのではないかと思う。純文学からSFまで、ジャンルは問わない。18歳の頃から手元には大抵、小説1冊、エッセイ1冊、新書が1冊と3冊以上の読書中の本があり、そのときの気分や読書可能な時間によって、いずれかを手に取って読んでいる。ハリー・ポッターや、ロード・オブ・ザ・リング、ムーミンなどのファンタジーものも大好きである。原書ではなく日本語訳の本ではあるが、何度も繰り返して読み、楽しんでいる。またそれらの作品が映画化されたら劇場まで足を運ぶ。大抵は原作のすばらしさにはかなわないが、映像化されたものも別の作品として十分楽しんでいる。
 先日は、ハリー・ポッターの最終編、「死の秘宝」を一人で観に行った。放映がいつから始まったか忘れたが、もう1日の上映回数が減り、もうすぐ深夜割引の上映が無くなるというときになって、やっと近所の映画館に出かけた。ところが、行ってみたら、私が観ようとした時間の放映は日本語の吹き替え版だった。テレビでは吹き替え版の映画を違和感無く観るくせに、映画館では今まで吹き替え版を見たことがなかった。オリジナルの臨場感が無くなるような気がするからだ。しかし、それを観ないことには、劇場で観る機会が無さそうである。仕方なく初めて劇場で観る洋画を吹き替えで観ることになった。
 最近は、注意力の欠如か、思考回路の信号伝達のスピードが遅くなっているのか、簡単なテレビドラマを観た後、『???』と疑問に思うことが多く、家人に説明を求めることが多くなった。1学年年下の家人もまた同様に、私にドラマの内容に関して質問することが多い。したがって、昨年買い替えた地デジ対応のテレビについている簡単に録画出来る機能を利用して、観ているドラマを同時に録画することが多い。夜等は居眠りしてしまうことも多いし、自分の都合に合わせて観ることが出来て便利である。そして、1回の放映では夫婦して「???」の部分が多く、録画したものを再生して疑問点を討論し、二人で復習してやっと理解するのだ。
 ところが、映画館のロードショーはもちろん録画はない訳で、やはり「???」があった場合、しばらく疑問が残ったままになる。
 ハリー・ポッターでも終了後疑問が残った。それを家人に訴えたら、「吹き替え版で理解出来ないなんてダサイ」と言われてしまった。
 観た人しか分からないことだが、宿敵ヴォルデモートが飼っている分身の蛇、ナギ二をポッターの友人のネビルがグリフィンドールの剣を使って見事にやっつけるのであるが、なぜ都合良くその場に剣が現れたのかが、理解出来なかった。
 原作は、翻訳本が出てすぐに一度読んでいるが、我が脳の中で最も劣化の進んでいるのが記憶の分野、すっかり記憶に無い。その他にもいくつか小さな疑問を映画館に残ったままだった。
 で、結局「死の秘宝」の上下2冊を再読した。それでやっと疑問が解決しました。もっとも、分厚い本を再読しなくても、私以外にも同じ疑問を持った人が多かったとみえて、ネットで検索してみたら丁寧な答えが載っていました。それにしても恐ろしい位、記憶力と理解力が無いなあ。
(2011.10.3)
 
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カニが怖い

2011年09月20日 | ポエム




 カニが怖い

 日本人は、カニが大好きで、北海道や北陸、山陰地方の観光の目玉の一つになっている。
 島育ちの私は、なぜか海のものが苦手で、物心がついて以来、魚もイカもタコも貝も一切口にしなかった。当然、カニも食べた記憶がない。私の母がやはりタコ以外は魚介類を口にしなかったから、母親の影響がなかったとは言えない。
 私は、あの磯の匂いが嫌いなのだ。海水浴のときに最初鼻につく磯の匂い。いけすのある日本料理店も入っただけで、ウッときてしまう。料理でも煮魚、焼き魚の匂いには、辟易だ。ただ成人して後に、少しずつ魚介類の「食わず嫌い」を克服していった。
 成人して後も、ご馳走していただける機会があり「好きなものは?」と聞かれると、「海のものは苦手です」と答えていた。しかし我がままが言えない人にご馳走になる席や、大人数の宴会のときは、自分の好みを言ってられない。それで、好きな人には申し訳ないが「やむを得ず、口に出来る魚介類を恐る恐る」開拓していった。最初はマグロの赤身の刺身。フグ刺し。うなぎの蒲焼き。バターやソースで磯の香りがごまかせる洋食系。白身魚のムニエルやフライ。海老フライ。エビの天ぷら。伊勢エビのグラタン。ニンニクとパセリを利かせたあさりバター。サザエのつぼ焼き。ここにあげたマグロ以降の料理は、だんだんと「食べることが出来る」魚介類の料理から、むしろ自分でお金を出しても食べたい積極的に好きな魚介類の料理となって行く。さらにあんなに嫌っていた魚介類の料理の中の一品、二品は、むしろ肉料理より美味しいとさえ思う様になってしまった。アジの天ぷらやシジミのみそ汁は自分でも作る。そして気がつくと、いくつかの例外を残して、ほとんどの魚介類の料理を食べることが出来る様になった。おとなになったなあ。と、いうよりもうすでに爺様に近い歳になってしまったが。
 磯臭さが苦手なのは今でも変わりがなく、サンマは食べても、食後の自分の口の中の匂いが嫌になるし、焼き魚や煮魚の料理する匂いを「美味しそう」と感じたことは未だに無い。毎年のように挑戦するおせちの「数の子」は、毎年吐きそうになるし、好きなウナギもちょっと店を間違うと、生臭い匂いがして途端に箸が止まってしまう。
 私の生まれ故郷の島では、車エビとワタリガニが名産である。エビは大好きだけど、カニの方は未だに苦手である。これは、磯臭いとかの問題ではなく、生き物としての「カニが恐い」のだ。世の多くの人には、苦手なものがあり、その多くは「蛇嫌い」「毛虫や芋虫嫌い」「蜘蛛嫌い」などに代表される。私自身は蛇も毛虫も蜘蛛もミミズも平気なのだが、カニだけは存在を想像しただけで鳥肌が立ってしまう。「カニが恐い」という人には、半世紀以上たっても会ったことがないし、生きたカニは一般的にひょうきんで可愛いキャラクターとなっているらしい。だから「カニが怖い」というと、笑われてしまう。嫌いな理由は不明。前世でカニのハサミに因縁があるのかもしれない。幼心に「あわて床屋」の童謡をリアルに疑似体験してしまったのかもしれない。
 地元の宴会によく供される茹でられて丸ごと出て来るワタリガニの料理は、もちろん手をつけたことがない。動かないから同席だけは許せる。その点、足だけが出てくることが多い、ズアイガニやタラバガニの類いは、むしろその味も大歓迎。しゃぶしゃぶや鍋のしめのおじや。カニグラタンやカニクリームコロッケもお好みどす。
 あのお姿がダメなんですねえ。ハサミが怖いンでしょうか?でもカニに負けない立派なハサミを持つオマール海老は平気で、「利き腕の方が美味しい」なんて言って食べているから、ハサミが恐いわけではない。おなじカニでも実は、私の生まれ育った島に生息する半陸生の10センチくらいのカニが特に苦手なのです。だからそれに近いお姿のカニは皆ダメですね。もしアカガニの大発生で有名なクリスマス島の大発生のシーズンに地面にガリバーみたいに括られたら、私は何でも白状するし、何でもしてしまうに違いない。
 私がカニ嫌いであることは、当然小さい頃から家族中が知っていた。ある日、庭の草むしりをしていた母が、あろうことか私の嫌いなカニをつかんで、近くにいた私に向けて放り投げたのだ。私は飛んで来るカニの姿を目の端にとらえ、即座にその場から50メートル走り去った。母にとっては、軽いおふざけだったかもしれないが、親の行いがすべて正しい訳ではないことを体感し、母親というものから私が精神的に独立した瞬間の出来事だったかもしれない。
(2011.9.26)
 
 
  





 
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1等車とウインナーカレー

2011年09月20日 | ポエム


 1等車とウインナーカレー

 「博多のおじちゃん」は、ハンサムで姿勢が良く、いつも凛としていた。
 母の長兄。子ども心に誇らしく格好良かったのは、国鉄時代の駅員の制服姿だった。
 博多駅の助役として勤務していた頃は、おじさんが僕や僕の家族が乗った急行列車の発車の合図を出すことがあった。僕たちの席の窓際のホームに立っている制服姿のおじさんは、ギリギリまで家族としゃべっていて、僕をハラハラさせた。
 そして発車のベルが鳴ると、白い手袋をした手に持つ懐中時計を見て、笛を鳴らしながら列車の前後を確認し、手をまっすぐに上げて出発の合図を出す。子どもの僕らは、それだけで完全にしびれた。
 どういう事情か忘れたが、小学校の低学年だった僕と2歳年下の従兄とおじさんと3人で、熊本県の宇土半島の西端の終着駅三角駅から熊本駅まで准急列車に乗ることになった。余談だが、今考えると、東海道新幹線が開通する前で、その列車は準急「ひかり」だったかもしれない。昭和36年の10月に熊本のローカル線を走っていた「ひかり」は、3階級特進して超特急「ひかり」となった。
 まだ車社会となる以前の話なので、今は1両か2両の車両でのんびり走っている三角線も利用者が多く、5両から7両編成の列車もあった。そして準急「ひかり」にもちゃんと1等車が連結されていた。
 鉄道が好きだった僕は、その日「おじちゃんと急行に乗ると、1等車に乗れるよ」と、僕は1歳年下の従兄に告げ、はしゃいだのである。
 事実そういう経験が何度かあったのだ。
 おじさんと急行列車に同乗したとき、検札に来た車掌はおじさんに敬礼をする。しばらくして、「こちらに」と案内されるのが、1等車だった。さすがに1等車は乗客もまばらで、豪華で白いシートカバーが清潔だった。現在の気軽に乗れるグリーンカーと違い、子ども連れの若い家族がそうそう乗れる雰囲気ではなかった。三角線で乗った「ひかり」の1等も他の乗客は数人で、僕と従兄は静かに興奮し、おおいに喜んだ。
 ところが、熊本駅に着いて改札を出るとき、僕はしっかりと気がついてしまった。おじさんと僕らの切符は、最初から1等の切符だったのだ。僕が1等に乗れるとはしゃいだために、おじさんは黙って高い料金を支払ってくれたのだ。子どもながらに悪いことをしたと思った。車掌さんがおじさんのことを知っていて、1等車に乗れるのは、博多車掌区が担当する列車に限られるのだと、にわかに理解した。でもそのことは口に出さず、僕も黙っていた。
 熊本駅を出て、駅前の洋食屋で昼食を食べることになった。おじさんは僕と従兄に何でも食べたいものを注文するように言った。
 すぐにウインナーカレーという料理サンプルが目についた。当時は、ソーセージといえば、魚肉ソーセージのことで(今でも時々食べるけど)、赤い皮のウインナーソーセージは、まだ1、2度しか食べたことがない、あこがれの美味しいものの一つだった。そのウインナーが大好きなカレーライスの上に3本も乗っているのである。子どもにとって夢のようなメニューは、当然カレーライスより高い。贅沢だ。列車でおじさんに高いお金を使わせてしまった負い目もある。でもそこは子ども。結局、ウインナーの誘惑に勝てずに、僕とそして従兄も贅沢なウインナーカレーを注文してもらい食べた。
 子どもが女ばかりだったおじさんは、僕をとても可愛がってくれた。鉄道に興味を持って1等に乗れたことを大喜びする男の子。いつでもお腹をすかせ、美味しそうにガツガツと料理を食べる男の子。高い料金を払った分、おじさんも喜んでくれていたかもしれない。後年、おじさんに何度かお酒を飲みに連れて行ってもらったが、行きつけの寿司屋やバーで、僕は「息子」と紹介された。1等車に乗った日のことは、一度も話さないままおじさんは亡くなってしまった。
 昭和44年。僕らが1等車に乗った6、7年後に1等車は廃止され、グリーン車となった。
(2011.9.21)
 

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365歩のマーチとなみだの操

2011年09月13日 | ポエム



 365歩のマーチとなみだの操

 二日前の朝、ふと気がつくと出勤の準備をする僕の頭の中で、「あなたーのたーめーにぃー、守りぃーとおしたあ‥‥」と、あの殿様キングスの曲が繰り返し再生されている。「あーあ、やめてくれえ」とストップボタンを頭の中で10回程連打して止めるのだが、気がつくと、「あなたーのたーめーにぃー」と頭の中で再生が続いている。それだけでなく、あろうことか、頭の中のCDがレコードか音楽テープかわからないけど、その再生の曲に合わせて、自ら声を出して口ずさんでいるのである。日によっては、水前寺清子の365歩のマーチも同じ位の頻度で再生される。思わずマーチに合わせるように腕をふって足をあげて行進してしまう。
 演歌は好きになれない。テレビやラジオで演歌が登場したら、まず可能なら消すかチャンネルを替えてしまうだろう。その嫌いな演歌が頭の中で自動的に再生されるのである。こんな現象は僕だけなのでしょうか。そう言えばこのことを誰にも話したことがない。頭の中の自動的な再生が、ラフマニノフのピアノ協奏曲だったり、バッハの無伴奏チェロ組曲だったら、どんなに幸せな朝になるだろう。一度鳴り始めた殿様キングスは、下手すると昼近くまで続くのである。
 昔話をする。昔話はどんどん頭に浮かんでくる訳で、昔話ばっかり語り始めたら、それが年取ることの特徴の一つかもしれないけど。
 僕が中学生、高校生だった頃までは、NHKの紅白歌合戦と言えば大晦日の国民的行事だった。僕自身の歌謡曲に対する関心が薄くなってきただけで、今でも紅白歌合戦は国民的行事と言えるかもしれないけど。確かに言えることは、以前の紅白では、出場者の顔と名前と唄をほぼ全部知っていたのに、最近それでも見てしまう紅白は、懐メロ参加以外は、大晦日に初めて見る歌手、初めて聴く唄がほとんどだということ。
 昔のように、幼児からお年寄りまで口ずさむ所謂国民的ヒット曲がいつの間にか無くなってしまったことも一因だろう。作り手と聴き手の音楽の多様化により、幼児からお年寄りまで楽しめる歌謡番組が成り立たなくなったことも大きい。今年一番売れたアルバムと言っても、知らない歌手、知らない曲だという現象が起きる。
 昔はヒットしたら、否が応でもテレビからラジオから、町中から、その曲が聴こえてきて繰り返し耳に入るのである。昭和40年代ころまでは紅白出場と並んで、誰がレコード大賞をとるか、新人賞は誰かが、国民的関心を集めていた。積極的に歌番組を見ることも無かった僕でさえ、その予想の議論に参加することが出来た。そういう背景があって、自ら聴くことのなかったはずの演歌が、頭の中に入力保存されているのだろうか?それにしてもなぜ、それが自分の意思とは関係なく、頭の中で勝手に再生されるのか、誰か教えてください。(2011.9.13)

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TO YOU

2011年09月07日 | ポエム
 TO YOU

ひとときもひまがないほど
どんなにぼくが働いていても
本当は
ぼくがどんなときを愛しているか
あなたは知っていますね

あなたに会うと
いつも心のなかに消しているつかれが
思わずでてしまって
そうつかれていないのに
つかれたと思ってしまう

ごめんなさい
心配をかけて‥‥
(1974)


 ボレロ
 僕が生まれて最初に「好きだなあ」と意識したクラッシックの曲は、「白鳥の湖」か「ボレロ」でした。どちらを先に好きになったのかまでは、定かではないけど。
 昭和30年代の後半、僕が小学校の低学年だった頃。LPレコードやステレオのコンポが普及を始めるのは、まだ数年後のことで、我が家にもシングル盤のレコードしか乗せられない小さなターンテーブルのプレイヤーがあって、もっぱらペラペラの赤いソノシートに録音された童謡を聴いていた。そのコレクションの中に混じって、「白鳥の湖」と「ボレロ」があった。父か5歳年上の兄が買ったものだと思うけど、他にもクラッシックの曲があったのかは、記憶に無い。チィコフスキーとラベルの曲で、考えたらどちらもバレエ音楽だ。この2枚のレコードも、他と同じ様に、好きな時に自分で操作して聴くことができた。
 昭和40年代になると、我が家にもステレオのコンポが登場し、LPレコードも聴けるようになった。中学、高校とブラスバンド部に在籍した兄のクラッシックのコレクションは増えて行くが、僕は高校を卒業するまでは、兄の音楽会以外は、ほとんどクラッシックに触れ合うことは無かった。それでも家の中にクラッシックの音楽があることは、耳が知っているらしく、兄がかけるレコードの中で、いつかバッハのオルガン曲が好きになった。ときどき兄にせがんで聴かせてもらった。
 バレエという踊りを見て、初めて感激したのは、若い頃「愛と哀しみのボレロ」という映画の中で、ジョルジュ・ドンが踊る「ボレロ」を見たときだった。バレエ音楽の、音楽の部分を聴いて楽しむだけだった自分も、それからバレエという踊りで表現される芸術を認識するようになった。その映画を機会に亡くなる前のジョルジュ・ドンのバレエコンサートに2回行き、汗が飛んで来る様な舞台から最前列の席で生ボレロを見た。識者によると、最盛期の姿には遠く及ばぬという話だったが、興奮の舞台だった。
 シルヴィー・ギエムの「ボレロ」も見た。一人の女性、一人の人間の肉体から超越して、神を見てしまったように感じた。
 父がボレロが好きだと知ったのもこの頃で、東京バレエ団の「ボレロ」のコンサートに一緒に行ったりした。幼い日に聴いたレコードは、父が求めたものかもしれない。僕の車に父が同乗する際には、ボレロのCDをかけると喜んでくれた。父はボレロが本当に好きだったらしく、その父が1昨年に亡くなった葬儀の際には、生前希望していたように、このボレロを流して見送った。
 後年、娘が幼くしてクラッシックバレエを習いはじめ、年に一度の発表会では、くるみ割り人形や眠れる森の美女やドンキホーテなど、十年以上にわたって繰り返し、曲と振りを見聴きすることになる。それまで特には聴いていなかったチャイコフスキーなどのバレエ曲を好んで聴くようになったり、バレエ曲を聴いていて、その振りがなんとなく頭に浮かぶようになったのは、娘のお蔭で、ありがたいことだと思っている。(2011.9.12)
 
 


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