雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

一つの駅弁と貧幸

2013年03月09日 | エッセイ
 一つの駅弁と貧幸

 3月8日の私の地元熊本日々新聞のコラムに「貧幸」という言葉が載っていた。
 脚本家の倉本聰さんが「豊かになったら幸せになったと思えない。豊かな不幸か、貧しい幸せか、僕はためらいなく後者をとりたい」と著書『倉本聰の姿勢』の中で書かれた文章がそのコラムで紹介されていた。
 「貧」と「幸」という相反するような二文字の熟語は、聖書の「心の貧しき者は幸いなり」という一説を連想させる。倉本さんの言われる「貧」は、物質的な貧しさであり、聖書に書かれた心の貧しさとは違っている。しかし、聖書の言葉も「物質的な豊かさに恵まれている人は、心が真に求めているものに気がつきにくい。心が求めているものをたくさん持っている人、つまり物質的にも貧しい人は、だから幸せだ」とも解釈できないでしょうか?
 いやー、今回はさすがブログ開設3年目に入り、いきなり高尚ですなあ。
 昭和51年。高校を卒業して、熊本から美大受験のために上京し、実際は千葉県の市川市に住んでいた頃。2浪目の年末年始の帰省を終えて、再び上京する際に、前年の春に博多まで開通したばかりの山陽新幹線を利用することになった。記憶では、1歳年下の同じ美大を目指す同郷の友人と一緒だった。岡山で一旦途中下車し、倉敷を訪ねて大原美術館を見学する計画だった。
 熊本から博多までは、在来線の急行で行った。
 急行電車の普通車は2人がけの椅子が向かい合わせで固定されたボックスシートと呼ばれる形態で、私と友人のボックスシートに同席したのは、質素で控えめな雰囲気の若い男女二人連れだった。
 夫婦だったのだろうか。二人ともほとんど会話も無く、旦那はしばらくして奥さんから手渡された駅弁を開いて一人で食べ始めた。
 「奥さんは食べないの?」と、他人事ながら気にするともなく見ていたら、旦那は半分程食べた幕の内弁当の蓋を開いたまま奥さんに手渡したのだ。
 受け取った奥さんはそれを食べ始めた。そして弁当はもう一度旦那の手に渡り、旦那が残りを完食して片付けられた。
 つまり二人は一つの弁当を二人で分けて食べたのだ。その理由を聞いた訳ではない。二人とも一つの弁当を二人で食べて丁度いい位の少食なのかもしれない。お昼ご飯には少し早い時間だったから、遅めの朝食代わりに半分ずつ食べて、お昼ご飯はまた別に食べるのかも知れない。美味しそうな弁当があったので、味見に買ったのかもしれない。
 しかし、その時の私には、若い夫婦は慎ましやかな生活をしていて、節約のために二人で一つの弁当を食べたのだと感じた。無言の内に箸と弁当が手渡され、人の歯形のついた半分の卵焼きを同じ箸でためらいもなく口にする二人の姿が、清々しく見えて感動した。そしてそこには幸福がにじみ出ていた。
 「これが夫婦なのだな」と、結婚に対する若いあこがれと共に、後々様々な場面で思い出すシーンの一つだ。
 そのときの帰省は、以前この私のブログに登場した国鉄に勤める伯父に新幹線の指定席を取ってもらったのだが、伯父から弁当を差し入れるからとの連絡をもらっていた。伯父は当時博多駅で助役をしていた。制服姿の格好いい伯父から博多駅で受け取ったその弁当というのが、後にも先にも食べたことが無い三段重ねの超豪華弁当だった。
 もちろん18、19の食べ盛り。伯父に感謝しつつ、博多まで同席した若い夫婦の弁当のことも思いつつも、ぺろりと食べ上げてしまった。
 現在に戻って、私と家人は、外食のとき、一人分を分け合って食べることもある。理由は食が細くなったからである。あの夫婦のように、お互いが口に付けた箸やコップを使い、食べかけの食べ物を何の躊躇も無く食べる。夫婦なら当たり前のことだろうが、ときどきふっと第三者的な目で、不思議に思う。
 あの時に垣間みた清貧の生活に今でもあこがれを感じる一方で、目の前の欲望には逆らえない自分もいる。
(2013.3.9)

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1 コメント

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蜜柑 (デイブ―)
2013-03-16 18:41:32
ひとつのお弁当を分け合って食べるというのはいいですね。貧しいよりお金があった方がいいですが、お金があっても一人でご飯を食べるのはさびしいですよね。ふと、芥川龍之介の小説「蜜柑」という小品を連想しました。お弁当を夫婦で分け合うお話とは異なりますが、列車の窓から蜜柑を弟たちになげて別れて行くまだあどけない姉の姿が思い浮かびます。
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