《2016年4月8日》
去年の8月30日、安保(戦争)法案に反対する国会前の大集会で聴いた「民衆の歌」がずっと耳に残っている。自由に身動きができないほどの人混みの流れに押されながら、自由の森学園の高校生たちが合唱する切れ切れの歌声が、音楽に低い感度しか持たない私の心にもどういうわけか強く残っている。そのとき、闘いの歌は、こんなにも若々しい声で歌われるのがいいと思ったのだった。歌声そのものが希望のようなのだ。
戦う者の歌が聞えるか
鼓動があのドラムと響きあえば
新たに熱い命が始まる
明日が来た時 そうさ明日が
犬とのっそりのっそり散歩しながら、ユーチューブでその歌を探し出して聴いたりする。若い時には、多くの闘いの歌を聴いた。中には、経験とその記憶から歌うことを躊躇うようになった歌もある。「民衆の歌」にはそういう過去の記憶がない。それが良かったのかもしれない。
列に入れよ 我らの味方に
砦の向こうに世界がある
戦え それが自由への道
かつて「自由」という一点に結集する民衆がいた。いま、高度な消費社会で政治的イッシューは拡散し、ファッションのように誂えられたイッシューを消費するばかりのようだ。しかし、分散から集結へと様相が変わりつつあるように見える。原発と戦争法制と辺野古は、かつての「自由」の現代的表象のようだ。
溶けさうな大きなあをさを空と言ひその空を歓ぶ春ふかくして
河野裕子 [1]
咲き残る桜もまだ少し見ることができる四月最後の日曜日、とても暖かな日になった。8時半に家を出て、上天気の空を見上げながら、「今日は遊ぶ暇がないなぁ」とちょっと悔しく思い、植え替えが遅れているいくつかの花木のことなども思い出した。
町内会の総会があって、その会場設営を手伝おうと早々と家を出たのだが、私が着いた時には準備が終わっていて何もすることがないのだった。総会が終わり、昼食をとりながら反省会をして、家に戻ると午後1時半である。
急いで着替えて、家を出直し、元鍛冶丁公園の午後2時の集会にはなんとか間に合ったが、もう汗だくである。ザックからカメラを取り出し、そのスペースにジャケットを詰め込んで顔をあげたら、集会は5、6人のゴミ拾いから始まっているのだった(ゴミのほとんどは煙草の吸殻だ)。
「ゴミ拾いの皆さんもこちらにお集まりください」という言葉で、集会が始まった。天気の良い休日は参加者が少ないというのは経験が教えてくれる。今日も少ないな、と思っていたのだが、気が付かないうちに増えていて、デモが始まると45人になっていた。私が見ていたかぎりでは、4人の人が一番町でデモの列に加わった。
一番町に出て、陽に輝いてやけに明るい人混みの中を歩き出して、とつぜん思い出したことがある。まだだいぶ若かったころ、こんなにも明るい昼日中の街で、人も風景も急速に遠ざかっていくように見え、なぜ私は人々からも風景からもずっと離れて一人で歩いているのだろう、と思うことがあった。たびたびそんな気分に陥っていたのに、今はまったくそんなことはない。いつごろから起きなくなったのかも記憶にない。たぶん、何十年もなかったのだ。デモの列を追いかけながら、そんなことを思い出していたのだったが、そのうちに陽が翳ってしまった。
行きずりの 誰かが誰かに話しかける
この人があの人で
あの人がこの人であってもいいのだ
こんなにゐるのに たった一人のひとがゐない
(……)
こんなにゐるから さびしいのだ 完璧に
しびれるほどに
(こんなに似てゐて 誰かは誰かをわからないから)
何をしてもわかられる心配はないから
みち足りて こどくなのだ
吉原幸子「街」部分 [2]
一番町広瀬通り角ではYMCAの若い人たちが熊本地震災害への救援金を呼び掛けていた。何人かはデモの列に手を振り、私たちのコーラーは「熊本地震災害の救援金カンパを行っています。ご協力ください」とトラメガを使って市民に呼び掛けるという交歓シーンもあった。
まだ若い緑だが、青葉通りのケヤキは葉が茂りだした。まもなく5月、青葉若葉の季節が仙台では一番いい季節だと、私は思い続けている。心落ち着かない桜の季節が終わって、仙台の街中の緑色は奥州山地の山々に続くようになる。
私は桜が嫌いなわけではないのだが、芥川賞を受賞した青山七恵の小説の一節に次のような文章があって、この若い神経症に苦笑しつつも少しばかり共感できるのはたしかだ。
駅前の桜並木で、白い花びらがはらはらこちらに散ってくるのがうっとうしい。春なんて中途半端な季節はいらない。晴れていてもなんだか肌寒い日ばかりで、じらされているようなのが気に障る。冬が終わったらいきなり夏が来ればいい。花見がどうだとか、ふきのとうや菜の花や新たまねぎがおいしい、なんて聞くと、浮かれるなと怒鳴りたくなる。自分はそんなものには踊らされない、と無意味に力んでしまう。
青山七恵『ひとり日和』から [3]
[1] 河野裕子『歌集 紅(こう)』(ながらみ書房、1991年)p. 13。
[2] 吉原幸子「詩集 夏の墓」『吉原幸子全詩 I』(思潮社 1981年)p.208。
[3] 青山七恵『ひとり日和』(河出書房新社、eBookJapan電子書籍版) p. 14。
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