【2015年3月9日】
有名な美術館の展覧会では豊富な所蔵作品をたっぷりと展示することがあって、とても贅沢な気分を味わえる。しかし、満漢全席の如く、ありとあらゆるものを腹に詰め込んで満腹感はただならぬほどなのに、いったい何を食べたのか思い出せない。そんな感じで『◯◯◯美術館展』を見終えたことが何度かある。
とても残念なことだが、きわめて多種多様な作品群をいちどきに受容し、消化できるような広い感受領域を自在に行き来する能力を私は持ちあわせていないのである。
『ルーヴル美術館展』とだけ聞けば少し怖れも湧いてこようが、「日常を描く―風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄」という惹句を見れば、主題がはっきりした展示に安心できるし、楽しめそうな気分になる。
3日前に『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』がとても楽しめたのは、こちらも展示主題を「アメリカ合州国が誇る印象派コレクションから」と絞ってくれていたからだろう。
展示は、紀元前からの古代エジプト、ギリシャ、ローマ時代の陶器などに描かれた風俗画をプロローグとして紹介することから始まる。
ル・ナン兄弟(ラン、1600/1610年頃-パリ、1648年)
《農民の食事》1642年、油彩/カンヴァス、106.5×120.8cm、
パリ、ルーヴル美術館 絵画部門(ランス美術館に寄託)(図録、p. 81)。
次の展示コーナーは絵画作品のプロローグで「絵画のジャンル」である。風俗画は、一つのジャンルとして八世紀に入って認められ始めたものの、そのカテゴライゼーションはかなり曖昧だったという。
図録 [1] 解説は、その時代には「たとえル・ナン兄弟の作品が、しばしば偉大な精神性に相当するものを伝えていたとしても、風俗画と呼ばれる絵画のまさに典型とされている」(図録、p. 74)と評して、《農民の食事》を取り上げている。
数日前に読み終えた高階秀爾の『バロックの光と闇』 [2] でも、「鋭い観察力と入念な筆致によるその表現は、まさしくバロックの写実主義の最も優れた例といってよいもの」(高階、p. 152)として《農民の食事》のモノクロ写真を掲載して取り上げていた。
ただル・ナンは、これらの「農民たち」を描くにあたって、オランダやフランドルの農民画家たちのように、農民を戯画化したり、その卑俗さを強調することなく、重々しいまでに落着いた静謐な雰囲気の農民像を創り上げた。抑制のきいたその堂々たる姿は、ほとんど古典的な威厳を示しているといってもよい。食事をするというきわめて日常的な営みも、ここではほとんど聖なる儀式を思わせる。事実そこには、キリスト教の聖餐のイメージが重ねられている。画面において、パンと葡萄酒が特に強調されていることも、この結びつきを裏付けるものであろう。(高階、pp. 153-4)
高階はカソリックの対抗宗教改革としてのバロック性を強調しているが、たしかにここには風俗画として真っ先に想い起こすブリューゲルやヤン・ステーンが描く農民像のような(私の好きな)猥雑さがない。じつに端正な農民像である。
【上左】 ヘラルト・ダウ(レイデン、1613年-レイデン、1675年)
《田舎の料理人の女》、または《水を注ぐ女》1640年頃、油彩/板、36×27.4cm、
パリ、ルーヴル美術館 絵画部門(図録、p. 97)。
【上右】 レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(レイデン、1606年-アムステルダム、1669年)
《聖家族》、または《指物師の家族》1640年、油彩/板、41×34cm、
左下に署名と年記、パリ、ルーヴル美術館 絵画部門(図録、p. 115)。
【下】ヨハネス・フェルメール(デルフト、1632年-デルフト、1675年)
《天文学者》1668年、油彩/カンヴァス、51×45cm、
天球儀の右、画面中央に向かって署名と年記、
パリ、ルーヴル美術館 絵画部門(図録、p. 123)。
上の三作品は、ともに窓から光が差し込む室内の人物を描いたものである。一方向から差し込む光による明暗の強いコントラストは、カラヴァッジオに代表されるバロック絵画の特徴で、一七世紀初頭にはオランダでもカラヴァッジオ派が存在していたことからその影響を議論することも可能かもしれないが、私の手には負える話ではない。
三作品の中で、ヘラルト・ダウの《田舎の料理人の女》が明暗のコントラストをもっとも強く描いている。窓から差し込む光が照らし出す人物、野菜、台所道具類は見頃なリアリティを持っている。テーブルの下、背景などが闇に沈んでいる分だけ、描かれた事物の現実感が生々しく迫ってくるようだ。
レンブラントの《聖家族》の光の扱い方はいっそうドラマ的である。窓から差し込む陽光が幼子(キリスト)にスポットライトのように注いでいる。《田舎の料理人の女》とは異なり、ここでは指物師の家庭内の様子が分かるぎりぎりの程度に拡散した光は室内を照らし出す。室内の情景を薄暗くも顕わに描き出しながら、聖母子をハイライトによって主題化するというみごとな手法である。
フェルメールになると、また光の扱いが異なってくる。光は一方向から差し込んでいるが、室内の様子はある程度分るように描かれる。これは、フェルメールの特徴で、そのような描き方で室内の道具立てが明示される。そして、その道具たちが語り出すさまざまな物語に人々は惹かれるのだ(と私は考えている)。
フェルメールの光は、その過剰な物語性を支えるに必要かつ十分なだけ室内に差し込んでくるのである。
【左】アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン(パリ、1803年-フォンテーヌブロー、1860年)
《稼いだ金を数える物乞い》1833年、油彩/カンヴァス、41×32.5cm、
パリ、ルーヴル美術館 絵画部門(図録、p. 106)。
【右】バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(セビーリャ、1618年-セビーリャ、1682年)
《物乞いの少年(蚤をとる少年)》1647-1648年頃、油彩/カンヴァス、
134×110cm、パリ、ルーヴル美術館 絵画部門(図録、p. 107)。
《稼いだ金を数える物乞い》と《物乞いの少年》は並べて展示されていた。この二作品を眺めながら思ったことが二つあった。一つは、一九世紀のドゥカンはさておき、一七世紀中葉にムリーリョが描いた物乞いの絵はいったいどのような評価を受けたのだろうか、ということである。風俗画自体がもっとも劣位にあるジャンルと評価されていた時代のことである。
もう一つは、日本画には物乞いを主題にした絵があるのだろうか、ということだった。これは、私が無知なだけかもしれないので、疑問は宙づりにしておくしかないのだが。
ムリーリョの絵については、上記の高階が『バロックの光と闇』の中で言及しているが、もちろん、私のような「物乞いの絵だから云々」などということではない。
ムリーリョはカラヴァッジオ派とはみなされていないが、カラヴァッジオの絵の「明暗の対照が生み出す現実感の迫力」は《物乞いの少年》でもよく表現されているとして、「荒れ果てた廃屋の土間の日溜りで無心に蚤を取る少年の姿は、斜め左上から差し込む太陽の光とそれが生み出す明暗の対照によって、きわめて身近な存在感を与えられている」(高階、pp. 112-3)と解説されている。
私はドゥカンという画家をよく知らないのだが、図録解説にはドゥカンについてきわめて重要な評価を与えている。
アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン(1803-1860年)は、イデオロギーを内に隠したり寓意を潜在させることなく、彼の手法で、長きに亘る風俗画の刷新の終焉を告げた。そこでは、通りの情景のみならず、職業あるいは社会情勢の写実的描写が、真の絵画主題、主要な芸術的創造となったのである。 (図録、p. 89)
さて、そのような高い評価を受けているドゥカンの価値を私はどうやって確認すればいいのだろう。『ドゥカン展』は無理だとしても、せめて画集でもあればいいのだが。
セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659年-ヴェネツィア、1734年)
《サテュロスと農民》1720-1730年頃、油彩/カンヴァス、37×50.5cm、
パリ、ルーヴル美術館 絵画部門(図録、p. 124)。
《サテュロスと農民》の前で、風俗画にサテュロスが登場していることに少しびっくりした。画家が生きた時代の風俗を生き生きと描き出すその同時代性に風俗画の価値があるものと考えていた私には、一八世紀初頭のイタリアの農民の暮らしの場にギリシャ神話のサテュロスが登場することを奇異なことと思ったのである。
これも私の無知がもたらした疑問で、「サテュロスと農民」というのは有名なイソップ寓話で、これを主題として描かれた絵画は多いらしい。寓話の持つ説諭的な物語はさておき、サテュロスの異形を除けば、とても雰囲気のある農家と農民家族の佇まいであることは間違いない。このような柔らかな筆致の背景というのはとてもいい。
ジョゼフ・ヴェルネ(アヴィニョン、1714年-パリ、1789年)
《風景、雷鳴》1763-1769年頃、油彩/カンヴァス、50×64cm、
パリ、ルーヴル美術館 絵画部門(図録、p. 156)。
《風景、雷鳴》という題名の通り、この絵を風景画として眺めた。雷光が輝き、やがて雷鳴が轟くであろう野の道を、荷車を引く痩せた牛を駆り立てて道を急ごうとしている農民たちが描かれた光景である。背後の折れた大木はかつての激しい落雷を暗示しているかのようで、道を急ぐ農民たちの必死さの象徴なのかもしれない。
自然の持つ荒々しさを描いているが、それはけっしてターナーが描くようなドラマティックで非日常的な荒々しさではない。雷は誰でもが普通に経験しうる自然現象であり、雷鳴、雷雨に追われて道を急ぐこともほとんどの人が経験することだ。そういう意味では、優れた風景画でもあり、優れた風俗画でもあるのだろう。
【左】 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(パリ、1796年-パリ、1875年)
《身づくろいをする若い女》1860-1865年、油彩/厚紙、34×24cm、
左下に署名、パリ、ルーヴル美術館 絵画部門(図録、p. 169)。
【右】 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(パリ、1796年-パリ、1875年)
《コローのアトリエ》1873年頃、油彩/カンヴァス、63×42cm、
左下に署名、パリ、ルーヴル美術館 絵画部門(図録、p. 177)。
「室内の女性――日常生活における女性」というコーナーにコローの二つの作品が展示されていた。《身づくろいをする若い女》を見て感動した後で、《コローのアトリエ》を見つけて少なからず驚いた。
3日前の『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』で展示されていたコローの《芸術家のアトリエ》とまったく同じ絵なのである。いや、まったく同じということはないだろう。同じように見える作品と言うことだ。
実物を並べて比べることはできないので、図録を眺めて見ると少し違いがある。こちらの絵には署名があるが、あちらにはそれがない。背後左斜め上から差し込む光が、女性のスカートにハイライトを作っているが、あちらの作品が白の上塗りが鮮明でより明るく見える。全体的に言えば、こちらの作品が光の当たり具合が柔らかく、より落ち着いた雰囲気がある。
あちらの絵を見て次のような感想を書いた。ほとんど同じ絵なので、こちらの絵でも同じ感想しかない。「アトリエらしく明るすぎず暗すぎない室内は茶を主調とした色彩で統一されている。この落ち着きがいい。/その部屋の明度と色彩のため、女性の白い着物や赤い髪帯が印象に残るアクセントになっている。なによりも、顔の見えないこの女性がとても美しい人なのだと、私は強く信じてしまうのである。そういう絵である。」
さて、《身づくろいをする若い女》の魅力も企まざる女性の美しさだろう。普段着らしい衣服の若い女性が髪をいじりながら身繕いをしている姿が描かれているだけだが、なぜか不機嫌そうな印象を受ける。
これから起きるなにごとかのために身繕いをするのだが、手で髪を整える程度の身繕いだから、とてもドラマティックなことが起きるとは考えにくい。日常的でささやかなことだが、髪を整える。そうして身繕いをするのだが、日常的でとくに楽しいことではないのだ。
そうした若い女性の姿は、普通に「そこ」に「いま」いる女性そのものである。《身づくろいをする若い女》の絵画性は風俗画を超えていると思うのだが、「いま」、「そこ」の風俗を描いた真性の風俗画でもある。そんな風に考えながら《身づくろいをする若い女》を見ていたのである。
ニコラ=ベルナール・レピシエ(パリ、1735年-パリ、1784年)
《素描する少年》1772年、油彩/カンヴァス、41×33cm、
パリ、ルーヴル美術館 絵画部門(図録、p. 185)。
最後のコーナー「アトリエの芸術家」にも、私にとって魅力的な絵がいくつもあったが、なぜか《素描する少年》がとてもお気に入りだった。端正な表情をした少年の初々しさもさることながら、机の木肌や重ねられた紙の質感がとてもいい。重ねられた紙の端のまくれ具合のリアリティにうたれたと言ったら大げさだろうか。
紙のまくれ具合の描き方に感動する絵があってもいいではないか、と誰に言い訳するでもないことを思いながら展示会場を後にしたのである。
[1]『ルーブル美術館展 日常を描く――風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄』(以下、図録)(日本テレビ放送網、2015年)。
[3] 高階秀爾『バロックの光と闇』(以下、高階)(小学館、2001年)。