かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(13)

2025年01月12日 | 脱原発

2016年12月23日

 先週の金デモの日(12月16日)に、司会者から脱原発犬チョモランマさんへの病気見舞いの報告があって、目を開けられないほどに重篤だったことを知った。その翌日、チョモさんが亡くなったとの知らせがあった。
 飼い主さんへ届ける言葉も見つからないまま、チョモさんのメモリアルアルバムを作ろうと思い立った。亡くなった直後にチョモさんの写真を見るのは飼い主さんには辛いことかもしれないという躊躇もあったが、なにか手作業のようなことに没頭したかったということもある。
 2012年夏から始まった金デモは200回を超え、私が参加した192回分の写真からチョモさんが写っている71枚を選び出し、RAWファイルがあるものはそのまま画像調整し、JPEGしかないものはPhotoShopで調整した。その作業に半日ほど費やし、「脱原発犬・チョモランマ〉メモリアルアルバム」をフェィスブックに載せた。

 人生を一緒に生きた動物たちの死はほんとうに辛い。兄や姉が家を出て行って母と二人きりの生活になった小学2年の頃、母が子猫を貰って来た。「ニコ」と名付けられた子猫は半年後に家に戻らなくなり、原っぱで野球をしていた私が見失ったボールを探していたとき草叢のなかに横たわる死骸を見つけた。
 中学2年のとき、姉の嫁ぎ先から黒い犬を貰って来た。そのまんま「クロ」と名付けられた牡犬は、私が結婚した翌年に亡くなった。
 息子が小学5年、娘が3年のときから17年間「ホシ」という雑種犬と暮らした。腰骨にがんができたホシは最後の4年間は完全介護が必要だった。一週間、毎日のように病院に通ってからブラジルでの国際会議に旅立った翌々日にホシは息を引きとった。リオデジャネイロの一泊目の夜、ホシの夢を見たが怖くて電話などできなかった。
 いま、16歳になった「イオ」という老犬と暮らしている。いずれ、別れがやってくることの覚悟を迫られている日々である。
 どこかで読んだ小学1年生の詩に「犬は悪い目はしない」というのがあった。たしかに、一緒に暮らしたどの犬も私を非難するような眼をしたことはなかった。ただ、こんなことは何度もあった。

犬は迷っている。お前には
持続のにおいがしない。
  ヒルデ・ドミーン「軽い荷を持って」から[1]

 犬は、迷ったり悲しんだりすることで私を批判して(そして、励ましてくれて)いたのかもしれない。

夕空見たら 教会の窓の
ステンドグラスが 真っ赤に燃えてた
いたずらが過ぎて 叱られて泣いた
こどもの頃を 憶いだした

 これはデモ集会でサトロさんがうたった「小さな空」の2番の歌詞である。この歌をユーチューブで聴きながらこの文章を書いているのだが、この辺りで急に涙が止まらなくなった。「いたずらが過ぎて叱られて泣いたこどもの頃」からこの年になるまで、私はずっと泣き虫のままだったのだ。

人が死ぬのに
空は あんなに美しくてもよかったのだろうか

燃えてゐた 雲までが 炎あげて
あんな大きな夕焼け みたことはなかった
   吉原幸子「幼年連禱三 VII呪ひ」から[2] 

 こんな年になったのだから、私を叱った人間たちとの別れもあった。4歳ころのとき祖母と別れた。母親に追いすがって泣く私を抱き上げる祖母、というのが唯一の祖母の記憶である。
 結婚する一か月前に父が亡くなった。それから34年後に母が102歳で逝った。母の死の翌年に15歳上の次兄が、4年後に17歳上の長兄が、8年後に9歳上の次姉が亡くなった。
 次姉は大阪で亡くなったが、残った長姉も三兄も老い過ぎて私だけが葬儀に参列した。6人兄弟の年の離れた末っ子としてみんなを送る覚悟はしていたが、次姉の葬儀の時にはその覚悟が揺らいでしまった。そんな運命を恨めしく思ったのである。
 不思議なことに、犬が死んだ時より肉親が死んだときの方が悲しみは激しくはなかった。人間には生きた証としての雑多なものが付随するが、犬は純粋に犬の死を死ぬだけなのだ。
 16歳になった犬のイオのことばかりではない。一緒に暮らしている112歳の義母も今年は救急入院が3回もあった。年齢が年齢だけに何が起きてもおかしくはないと医者が大事をとるせいもあるが、毎日が緊張する日々である。
 「死」はいつも私たちの身近にあるのだ(私の死もまた)。

いつの日も生まれるに良き日であり、いつの日も死に逝くに良き日である。
           アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリ[3]

 [1] 「ヒルデ・ドミーン詩集」(高橋勝義・高山尚久訳)(土曜美術社出版販売、1998年)p.125。
[2] 「現代詩文庫56 吉原幸子詩集」(思潮社 1973年)p.37。
[3] ハンナ・アレントによる引用(アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリはローマ教皇ヨハネス二三世である)。ハンナ・アレント(阿部齊訳)「暗い時代の人々」(筑摩書房 2005年)p.113 (原典:Jean XXIII, “Discorsi, Messagi, Colloqui, vol. V, (Rome, 1964) p.310)。


 


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