かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(47)

2025年02月13日 | 脱原発

2017年4月7日

 今村復興相が福島の放射能汚染地からの避難者について「故郷を捨てるのは簡単」と話したとき、言葉は悪いが「この人はほんとうにゲスだな」と思った。「下衆」ではなく「ゲス」である。「下衆」だとまだ少し人間臭さがあるが、それ以下である。
 彼らは故郷を捨てたのではない。「捨てさせられた」のである。国の原子力政策と東京電力の安全への不作為によって故郷を追い出されたのである。どんな思いで故郷を離れたのか、その思いに想像が及ばない限り、「被災者に寄り添う」などということは美辞麗句どころか、ただの虚言である。
 しかし、4月4日に復興相はさらに言葉を極めてしまった。福島に帰れずに避難生活を続けるのは「自己責任」で、不満なら「裁判でも何でもやればいい」と発言した。ここまで言ってしまったらこの大臣が下衆かどうかという話ではなくなる。
 原子力事故子ども被災者支援法(「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」)には、東電1F事故の責任が国にあることを明記している。

第三条  国は、原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護すべき責任並びにこれまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っていることに鑑み、前条の基本理念にのっとり、被災者生活支援等施策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する。

 その上で被災者に対する支援を次のように定めている。

第二条の2 被災者生活支援等施策は、被災者一人一人が第八条第一項の支援対象地域における居住、他の地域への移動及び移動前の地域への帰還についての選択を自らの意思によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならない。

 第八条第一項にある政府の恣意性を問題にしなければ、「帰還についての選択を自らの意思によって行うことができる」というのに「自己責任」と主張するのは、法に逆らう言明ということになる。大臣というのは、その所掌する事柄に関する法律を誠実に実行すべき行政サイドの責任者である。これは、法からの逸脱などではない。法に反する発言である。
 こうした復興相の発言を聞いたという人間が新潟県の避難者施設に電話して「自主避難者は勝手に避難している」「毎日遊んでいるのに何で避難しなければいけないんだ」と繰り返し主張したというニュース(4月6日付け朝日新聞)があった。法には次のようなことも定めている。

第二条の4  被災者生活支援等施策を講ずるに当たっては、被災者に対するいわれなき差別が生ずることのないよう、適切な配慮がなされなければならない。

 「適切な配慮」どころか、大臣は「いわれなき差別」を煽っているのである。何重にも法に反しているのである。人格下劣な人間はその辺にもそれなりにいるが、職掌義務に反する人間というのは社会的に存在が許されないはずだ。それなのに、首相は復興相を辞任させる必要がないと発言している。たぶん、真意は「辞任させられない」「辞任させても意味がない」ということだろう。
 復興相より省格が上とみられている法相や防衛相ですらあのような無残な国会答弁しかできない(答弁ができない)のを見ていると、自民党には人がいないということは明らかである。復興相を変えたくても彼よりましな人間がいないということだろう。法相も防衛相も変えられなかったのは同じ理由に違いない。少なくとも、首相に忠実な政治家から選べば首相以下の能力ということになるので、極端に能力が低い人物になってしまうのはごくごく当然なことである。首相以下そっくりと交替させる以外に改善の道はない。



2017年4月15日

 アッキードスキャンダルと共謀罪法案などいやな話題でネットは賑わっている所へ、アメリカによるシリアへのミサイル攻撃や北朝鮮近海への米空母攻撃群の移動などのニュースが加わって、原発関連の話題はすっかり霞んでしまった。
 そんな中でも、九州電力玄海原発3、4号機の安全性が確認されたと佐賀県知事が発言し、佐賀県議会は再稼働容認の決議をしたという報道があった。玄海原発の30km圏内には佐賀、長崎、福岡3県にわたる一町七市が含まれ、そのうち伊万里市、松浦市、平戸市、壱岐市が再稼働に反対している。
 玄海町と唐津市は、ちょうど東北電力女川原発の立地自治体としての女川町と石巻市に相当する位置にある。玄海町は、2016年度の町予算の59%、42億5千万円が原発関連の収入になっている。ほかの立地自治体と同様、原発関連収入はいわば「麻薬」となってしまって、原発にすがるしか自治体の未来はないかのようだ。
 女川町も、2011年以降は震災復興予算が大幅に増額して原発関連収入は判然としない(経済音痴の私には読み取れない)のだが、2009年度予算では65%の64億円が原発関連の収入だった。
 3・11以降に停止している原発への国の交付金は、原発の81%が稼働しているものと見なして交付されているが、例えば、美浜町の原発関連収入が昨年度の41.5%から今年度は37.3%に減っているように、軒並みその額を減らしている。
 ところが、3、4号機をいったん再稼働した高浜原発のある高浜町では前年度の30%から一挙に55%へ増額した。これは、原発交付金を欲しがる立地自治体に再稼働を急がせようとする政府の方針があって、原発が稼働する立地自治体へは交付金を重点配分するためである。
 このような交付金配分は、地方自治体の「金め」を当てにした政策であって、こんな政治を続けてきたる自民党の政治家には国民がすべて「金め」で動いているとしか見えないのである。しかし、原発建設を阻止して拒否し続けている地域は全国に29ヵ所もある。処理施設や貯蔵施設を含めれば64か所に及ぶ(水口憲哉『淡水魚の放射能』(フライの雑誌社、2012年)より)。「金め」で動いてしまった自治体より、「金め」に動じない自治体の方が多いのである。
 原発を容認し、建設を認めてしまった自治体は、その収入を原発に依存する体質から抜け出せず、原発廃炉どころか、原発の増設を望むようになる。「禁断症状」が亢進してしまうのだ。
 東京電力福島第一発電所のある大熊町に生きて、事故後に避難先のいわき市で亡くなった歌人、佐藤禎祐が原発立地の町を詠んでいる(佐藤禎祐歌集『青白き光』(いりの舎、平成23年))。


原発依存の町に手力すでになし原子炉増設たはやすく決めむ

原発に縋りて無為の二十年ぢり貧の町増設もとむ

リポーターに面伏せ逃げ行く人多し反対を言へぬ原発の町


原発に自治体などは眼にあらず国との癒着あからさまにて

原発を本音で言ふはいくたりかうからやからを質にとられて

原発に縋りて生くる町となり燻る声も育つことなし

うからやから質に取られて原発に物言へぬ人増えてゆく町

 
 そして、原発事故後、次のような歌が詠まれていた(『短歌』2011年10月号)。


眠れざる一夜は明けて聞くものか思はざりし原発の放射能漏れ

死の町とはかかるをいふか生き物の気配すらなく草の起き伏し


 

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