《2017年9月15日》
朝っぱらからJアラートが鳴って、不愉快な一日が始まる。ミサイルはすでに太平洋遠くに落下したというのにテレビでは延々とその話題が続き、なかにはヘルメットを被ってどこやらから中継している間抜けなリポーターも登場している。
戦争を煽る論調、特定の国を敵視する論調、それらは人種差別を基調にしながらテレビなどのマスコミを通じて毒ガスのように蔓延している。
新聞の見出し
白地に赤い丸
「日本」という言葉のもとに
死者達は売店のそばに立ち
そして大きな眼で
新聞の見出しを見つめる
白くそして赤く印刷された憎悪を
「日本」という言葉のもとに
死者達は恐れる
これは死者達が恐れている
国である
これは、「灰色の時代」と題されたヒルデ・ドミーンの詩 [1] の言葉を私が勝手に一部置き換えてみたものだ。元の詩は、「白地に赤い丸」は「赤と黒」、「白くそして赤く」は「黒くそして赤く」、「日本」は「ドイツ」という語句である。
ドミーン(ドミン、ドーミンと表記されることもある)は、1912年ドイツのケルンで生まれたユダヤ系の詩人である。彼女はナチス政権から逃れて、イギリスやドミニカで長い亡命生活を送った。彼女を生まれ育った国から追い出したのは、人種差別から人種殲滅へと向かうナチス思想だった。
ナチズムは、ナチス政権の思想であり、それを支えたドイツ大衆の思想でもあった。いま、日本で起きている敵国扇動や戦争への躊躇のなさが自公政権だけのものならさほど怖れるに足りないのだが、マスコミや大衆がそれに唯々諾々と乗せられている状況を見ると、ナチズムが席巻したドイツの時代とどうしても重なってしまう。
ナチスだけがユダヤ人を虐殺したのではない。ナチスに煽られ乗せられた大衆もまたユダヤ人虐殺の犯罪者なのだ。関東大震災で朝鮮人や中国人を虐殺したのは官憲だけではない。普通の日本人(と自称する)である大衆も虐殺に加わったのだ。いま、日本はその一歩手前、半歩手前まで来てしまったのではないか。ひそかにこの国を出ていく、つまりは、ひそかに亡命を始めた被差別マイノリティが生まれているのではないかという想像が働く。民族差別が民族殲滅に向かう歴史を知悉する者ほど、現代日本を畏れているに違いない。
1892年ベルリン生まれの哲学者・思想家のヴァルター・ベンヤミンは、民族殲滅に雪崩れていってしまう群衆を商品に群がる消費者に喩えて描いた。
劇場の観衆、軍隊、ある都市の住民などは、それ自体としては特定の階級に属していない群集を〈形づくる〉。自由市場はこの群集を、急速に、そして計り知れない規模で増大させる。いまやあらゆる商品が自らの顧客である群衆を自らのまわりに集めるからである。全体主義国家が模範としたのはこの群衆である。民族共同体は、顧客としての群集との完全な一体化を妨げるすべての要素を、一人一人の個人から追放しようとする。 [2]
商品に群がるようにマスコミ報道の戦争ごっこと敵国視の言説に取り込まれているのは誰だ。「顧客としての群集との完全な一体化を妨げるすべての要素」のあれこれを失い始めたことに気づかないままに騒いでいるのは誰だ。
ヴァルター・ベンヤミンもまたナチス・ドイツから亡命する。そして、1940年秋、パリを経てたどり着いたスペイン国境で服毒自死を果たす。現在でも、多くの思想家が語り継ぎ、論じ続けている優れた哲学者の48歳の死であった。
いま、私たちは無自覚のまま、どこかでマイノリティの人々を追いつめ、死に向かわせているのではないか。エスニック・マイノリティとポリティカル・マイノリティたちを……。
そんな怖れで憂鬱なままにすぎた秋の日の終わり、「顧客としての群集との完全な一体化を妨げるすべての要素」の一つ、政府への抗議としてのデモを私たち「一人一人の個人から追放」させないために、気を取り直して「金デモ」のために夜の街に出かける。
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