《2016年3月11日》
5年前の3月11日も小雪のちらつく寒い日だった。町内の避難先はすぐそばの県立高校だったが、グランドが避難先で建物には入れないのだという。避難先で凍死などというのは悪すぎる冗談で、川向こうの小学校に避難させてもらうことになった。
町内会が今も市と交渉しているのだが、市の管轄外の県立高校なのでうまくいかないのだというのである。どんな災害が起きても、役所は旧弊を変える気はないということらしい。政治家や電力会社のように、ここでも学習しない人たちがいる。
錦町公園での集会が始まるころから雪がちらつき始めた。ここのところずっと暖かだったのに、今日にかぎってまるで5年前と同じだ。涙雨とはよく言うが、涙雪というのもあるらしい。
集会は長い黙祷で始まった。これは脱原発の集会だが、参加者のなかには肉親や友人、知人など身近なひとたちを喪った人も大勢いるだろう。私も、家をそっくり流されたり、肉親を亡くした同級生を励ますための会を立ち上げたのだったが、本人たちの心が落ち着くまで待つのに二年もかかったのだった。心の傷が癒えるには長い時間が必要なのだ。そして心の傷が癒えないことを助長するかのように、5年も経ったのに復興はまったくの道半ばなのである。
黙祷が終わり、主催者挨拶は、「女性自身」という週刊誌(3月22日号)の「福島県60小中学校『放射性物質』土壌汚染調査『8割の学校で18歳未満立ち入り禁止の数値が出た!』」という驚くべき内容の記事のことだった。調査した60ヵ所の約8割で「放射線管理区域」の指定を受ける4万ベクレル/m^2を超える高い数値が観測されたという記事である。
「放射線管理区域」とは、空間放射線量や表面汚染線量が一定の値以上の場所で、法によって一般人の立ち入りが禁止され、放射線作業従事者(18歳以上で、かつ一定の教育訓練を受けた者)だけが立ち入り可能で、そこではすべての飲食が禁止される。小学生や中学生がそこで暮らすことなど絶対的に法で禁止されている場所なのだ。にもかかわらず、福島原発事故以降は放射線被ばくに関してはまったくの無法状態である。「復興とはいったい何なのか。日本はまったく狂っているとしか思えない。」と怒りのスピーチである。
3月11日、それに続く東電福一の原発事故の5年後の日を前に、とても大きなニュースがあった。3月9日に、大津地裁が関西電力高浜原発3、4号機の運転を禁止する仮処分決定を行ったのである。主文は、「債務者は、福井県大飯郡高浜町田ノ浦1において、高浜発電所3号機及び同4号機を運転してはならない。」というものだ。
4号機はすでに緊急停止で止まった状態で、3号機は直ちに運転を停止した。最大限の敬意を表して裁判官の名を記しておこう。山本善彦裁判長、小川紀代子裁判官、平瀬弘子裁判官の三人である。
決定文(脱原発弁護団全国連絡会のホームページに掲載されている)のなかに、次のような記述がある。
福島第一原子力発電所事故の原因究明は,建屋内での調査が進んでおらず,今なお道半ばの状況であり,本件の主張及び疎明の状況に照らせば,津波を主たる原因として特定し得たとしてよいのかも不明である。その災禍の甚大さに真撃に向き合い二度と同様の事故発生を防ぐとの見地から安全確保対策を講ずるには,原因究明を徹底的に行うことが不可欠である。この点についての債務者の主張及び疎明は未だ不十分な状態にあるにもかかわらず,この点に意を払わないのであれば,そしてこのような姿勢が,債務者ひいては原子力規制委員会の姿勢であるとするならば,そもそも新規制基準策定に向かう姿勢に非常に不安を覚えるものといわざるを得ない。
福島第一原子力発電所事故の経過(前提事実(6)イ)からすれば,同発電所における安全確保対策が不十分であったことは明らかである。そのうち,どれが最 も大きな原因であったかについて,仮に,津波対策であったとしても,東京電力がその安全確保対策の必要性を認識してさえいれば,同発電所において津波対策の改善を図ることが不可能あるいは極度に困難であったとは考えられず,防潮堤の建設,非常用ディーゼル発電機の設置場所の改善,補助給水装置の機能確保等,可能な対策を講じることができたはずである。しかし,実際には,そのような対策は講じられなかった。このことは,少なくとも東京電力や,その規制機関であった原子力安全・保安院において,そのような対策が実際に必要であるとの認識を持つことができなかったことを意味している。現時点において,対策を講じる必要性を認識できないという上記同様の事態が,上記の津波対策に限られており他の要素の対策は全て検討し尽くされたのかは不明であり,それら検討すべき要素についてはいずれも審査基準に反映されており,かつ基準内容についても不明確な点がないことについて債務者において主張及び疎明がなされるべきである。(決定文44-45頁)
福島の原発事故の原因が解明されていないにもかかわらず作成された新規制基準や再稼働への行為そのものに疑義を呈している。そして、それらの問題を超えて原発が安全であることについては債務者(関西電力)が責任をもって証明しなければならないと主張している。
おそらく、現在の原子力村の科学力、技術力では福島事故の解明は当分不可能であろうから、大津地裁の決定文の論理は、再稼働を目指すすべての原子炉にそのまま適用できるものだ。
これで、志賀原発、大飯原発、高浜原発と三つの運転差し止めの判決が出た。川内原発の再稼働を容認した裁判官たちは心寒い気分に陥っているに違いない。こうして少しずつであってもこのような判例が増えていくことは、これからいくつも続く原発差し止め訴訟で必ずや良い影響を与えるだろう。
政府の意向に従順な裁判官も少なくないだろうが、法の論理を重んじる裁判官だって少なくないはずだ。これらの判例の論理を重く受け止めてくれることを期待してもいいのではないかと思う。地裁レベルでこのような判決が増え、それが高裁を動かし、もっともあてにならない最高裁も無視できなくなることを、私は期待している。
泥憲和さんという元自衛官の方がいる。安保法制などに積極的に発言を続けておられ、2月28日に開催された「憲法9条のもとで自衛隊の在り方を考える」(立憲民主主義を取り戻す弁護士有志の会、野党共闘で安保法制を廃止するオールみやぎの会主催)でも講演されている(残念ながら、私は所用で聞くことができなかったのだが)。
その泥さんが、じつに明快(痛快)に今度の大津地裁の決定文を要約されて、フェイスブックに(ツィッターにも)投稿されている。
【快挙!高浜原発運転差し止め決定】
ざっくりいうとですね、
「福島原発事故の原因さえわかってないのに、この段階で安全であるなどと、どの口が言うのか」(意訳)
「人類の経験など浅いもので、地球温暖化の影響などで今後どんな災害がやってくるかも分からんのに、裁判所に対して十二分に安全対策がなされたと見なせというのか、ふざけるな」(意訳)
「福島事故を経験したにもかかわらず、過酷事故に対応する設計思想はあかん、外部電源の問題も失格、地震想定もさっぱりで、津波対策はろくなもんじゃないし、避難計画さえまともじゃない。
こんなことで運転許可なんかできるか!運転差し止め!」(意訳)
ぶった切りですな。
拍手!
この通り、もう言うことなしである。
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