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八幡の鉄町



          市指定史跡「九州鉄道茶屋町橋梁」

 八幡に「鉄町」と呼ばれる町があります。 
それは多分、
製鉄所に関係するのだろうと思われがちだが、違います。 鉄道の「鉄」です。 

八幡に陸蒸気が走ったのは1891年(明治24年)と記録されています。(製鉄所が操業を開始したのは明治34年です。)
 
当時は今の海岸沿いではなく、以前西鉄電車が走っていた所より、やや南側のようです。
 
この鉄道(大蔵線)は明治44年に廃線となりましたが、
鉄町の町名や、橋梁跡が今も残っています。

小倉~黒崎間で唯一の駅が「大蔵駅」です。
現在の大蔵公園辺りと推定されています。



 昔の鉄町、
現在の末広町ですが、鉄町がお米屋さんの看板に残っていました。電柱には「日本キリスト教団八幡鉄町教会」の案内板がありました。地元の人は今でも「鉄町」の方が分かり易いのかも知れない。 
(この道路が鉄道跡です。)



 荒生田(あろうだ)の南に「東鉄町」があります。
現在もこの町名です。
私が幼年期を過ごしたところです。(この道路が鉄道跡です。)



 今も残る尾倉橋梁。
この上の道路が鉄道跡です。
余程、注意していないと、上からは分かりません。見えません。




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尾倉橋梁の画像を追加しました。(09’10.21)

この橋梁のある場所は、
製鐵病院の西側、旧電車通りの少し上(南)です。



尾倉橋梁の真上です。
橋を渡っている感じは全然ありません。店もありますから。






下に降りて見ると、赤レンガの橋梁がはっきりと分かります。






壁体は煉瓦の長手と小口を交互に積んだイギリス積みで、
煉瓦の小口を5段積みした弧型アーチは、
茶屋町橋梁と同じ手法だそうです。




橋の内部。(片方は)倉庫として使われていたのだろうか?






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