北九州八幡から発信
八幡、やはた、やわた、はちまん
大晦日から新年へ
今年の八幡の大晦日は、雪でした。
朝8時、外を見たら薄っすらと雪化粧、
午前中は、降ったり止んだり。
ここ、数年前から、
大晦日は皿倉山へ、と決めています。
大丈夫かなあ?(ケーブルは動いているかなあ?)
昼過ぎには、晴れ間が、
今年も登りました。(ケーブルで!)
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15時発の便です。
お客さんは20人位、スノーボード(ソリ?)を持ってる親子も
山頂です。
積雪は5~10cm、温度計は-3℃でした。
ちょっと耳が痛く感じるが、辺りは銀世界!
小さな雪ダルマを発見!
東側の斜面では、スノーボード(ソリ)遊びの人たち。
山頂からの眺めです。
今年オープンした東京スカイツリーとほぼ同じ高さが売りもの?
(↑ 展望台レストランから)
大晦日に皿倉山に登る。
何故かって?
この1年、無事であったことを故郷の山に感謝と報告を。
大晦日に、山頂から八幡の街を眺めていると、
来る年も頑張ろう!と言う気になれます。
(本当は家に居ても邪魔だから、)
稚拙なブログですが、
2012年のお付き合い有難うございました。
来る年も又、宜しくお願い致します。
ほばしら(hobashira)拝
八幡生まれの詩人・児童文学作家
先日、
八幡図書館での「帆柱新四国写真展」に行った時、
この近くに、八幡生まれの詩人・児童文学作家の詩碑がある。
と、聞いていたので、探したら見つかりました。
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ふ き の と う
みずかみかずよ
ゆ き が
そ こ だ け
と け て る の
あ っ た か い
い き が
か か る の ね
う れ し い
こ え が
ひ び く の ね
裏側の詩碑銘です。(書き写しました。)
詩 碑 銘
みずかみかずよ(1935~88)は八幡東区尾倉で生まれ、
皿倉山を見つめながら詩や童話を書き続けた。
詩は小学校教科書に掲載され全国の児童に朗唱された。
1981年北九州市民文化賞、96年『みずかみかずよ全詩集いのち』で
丸山豊記念現代詩賞を受賞した。自然を愛し、こどもたちと
ともに詩を楽しんだ故郷の詩人みずかみかずよの業績を
讚え、詩の発展を願う市民の寄金によって詩碑を建設した。
碑面の書は山本飛雲氏が揮毫された。
1973年3月
詩碑の「ふきのとう」は、86~91年度、
東京書籍の「新編新しい国語二下」に掲載されました。
その他「あかいカーテン」「金のストロー」「馬でかければ」
等など、多数の詩が教科書に採用されています。
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詩碑があった場所は、図書館の前の公園(小伊藤山公園)で、
北側入り口のすぐ側でした。
この地一帯は昔、丘陵地で小伊藤山と呼ばれ、
その麓まで家屋が立ち並んでいました。
太平洋戦争当時、
北から南からまた西から、防空壕が築造された。
昭和20年8月8日午前10時、米空軍による焼夷弾攻撃で、
付近一帯は焼け野原となり、この防空壕に避難した人々は、
火焔に包まれ全員窒息死した。その数300名といわれています。
戦災復興区画事業により、この地を公園とし、
戦災死者を追悼するため、昭和27年慰霊塔を建立しました。
(公園内にある慰霊塔の碑文より抜粋)
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みずかみかずよ氏の本は、
図書館に行き探したら、結構ありました。
「子どもにもらった詩のこころ」は、詩とエッセイ集で、
詩の一編ごとに、その解説(説明)があり、
自分の生い立ちから、結婚・子供のこと等が書かれています。
その中で、教科書に載った詩の反響?
現場の教師から、その詩で学習不振児がヤル気を起こした。
そんな知らせも受けたとか。
詩は人の心を動かす? 素晴らしいと思いました。
これは余談です。
作家の佐木隆三氏は、高校で彼女の後輩です。
校内の弁論大会では張り合ったとか?
(郷土の先輩、学校の先輩、ちょっと自慢していいかな?)
八幡駅前を散策
先日、久しぶりに八幡駅前を散策と洒落込みました。
JR八幡駅の周辺は、昔の面影はありませんが、
雰囲気は変わっていません。
かってその昔、八幡の中心繁華街となる?筈でしたが~、・・・
(この場所から見る皿倉山は、優雅で一番美しく見えます。)
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旧電車通りの角にある「喫茶・琥珀」、
昔の建物は建て変わっても、同じ場所に外形も同じ?!
若い頃は、よく利用しました。
向かった先は、「八幡図書館」です。
本当の目的は、これでした。 「帆柱新四国写真展」
「帆柱八十八ヶ所についての本はありますか?」
利用者から、こんな質問を受けた係員がその存在を知り、
興味を持った司書2人が、
実際に八十八ヶ所を歩いて巡った記録の写真展だそうです。
「帆柱新四國八十八ヶ所霊場」とは?
明治31年(1898)本場の四国霊場からお砂を頂戴して来て、
高祖寺を第一番札所とし、黒崎~八幡~戸畑~河内~畑~香月~
上津役~黒崎と帆柱山を一周するように88の札所が創設されました。
明治31年というと、製鐵所ができる前のことです。
遠賀郡黒崎村・八幡村・戸畑村・香月村・上津役村という
当時の行政区分を越えて霊場がつくられ、
多い時には千人参りと称されるほど多くの参拝者でにぎわい、
お遍路やお接待の文化が北九州でも根付いていったのです。
その後、貯水池の建設、戦後、区画整理などのため、移転・返上
された札所もあり、巡拝の順路は少しずつ変遷を遂げてきました。
現在は、帆柱新四國本部の方々によって、春と秋に分かて、毎年
途切れることなく参拝が続けられています。
(会場にあったパンフレットより)
実は、我が家のすぐそばに、「札所」があり、
そう言えば、春と秋に、十数人の巡礼者?がやってきます。
又、近くにも数ヶ所の「札所」があります。
それで、全体的にはどうなのだろう?
ちょっと興味があったので行ってみました。
実際に歩いてみては、どうかって? 「う~ん!」
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ここからは、周辺の建物を紹介します。
昭和30年建設の八幡図書館です。
設計は文化勲章を受賞した建築家の村野藤吾氏
(1891年5月~1984年11月)
村野藤吾氏は佐賀・唐津の生まれですが、育ちは北九州です。
福岡県小倉工業学校(現小倉工業高校)機械科を卒業後、
八幡製鐵所に入所(2年?在籍)、
その後、早稲田大学に進学して建築家の道へ。
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図書館の横、八幡市民会館です。
昭和33年建設、これも村野藤吾氏の設計(作品)です。
隣り(横)には、
全国初の都市型公民館・八幡中央公民館がありました。
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廃校となった旧尾倉小学校跡、
現在は、現代美術センターCCA北九州、北九州市職員研修所、
九州国際大学文化交流センター等の施設がありますが、
すぐ近くの市立八幡病院が老朽化の建て替えで、
(八幡病院が)ここに、やってくるそうです。
ロータリー(平和の女神像)西の救命救急センター、市立八幡病院です。
昭和30年頃の建設だが、その後、建て替わって、結構新しいと思うが、・・・
ロータリーから八幡駅方面、
平和の女神像は白っぽくなっていた。(垢を落した?)
このロータリーのすぐ横に、TNC(テレビ西日本)の本社があった。
旧電車通りに戻って、
この建物は「福岡ひびき信用金庫本店」です。
これも、村野藤吾氏の設計で、昭和46年建設です。
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八幡駅周辺の建物で、忘れてはいけないのが、これ!
大正4年(1915)の建設の「旧百三十銀行八幡支店」です。
設計は東京駅で有名な辰野金吾氏(1854年10月~1919年3月)
現在は、「北九州市立旧百三十銀行ギャラリー」として、
各種の展示会や、コンサート等の会場に利用されています。
この日は、何も行われていませんでした。
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ぐるっと廻って、八幡駅に戻りました。
駅前の有名な「八幡のチャンポン」です。
テレビの「秘密のケンミンSHOW」で紹介されたそうで、
「カツ入り焼きそば」、「カツのせチャンポン」が目玉商品?
カツは、チキンカツです。
カツのせチャンポンは食べたことがあります。(美味しいですよ!)
この日は、サーと帰りました!!!
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鉄道の町門司で、JR施設の見学
門司にあるJR施設を、見学してきました。
ひょっとして、JRウォーキング? アッハハ!そうです。
門司駅から、まずは少し山手の方に上って、「JR九州病院」へ、
ここでは無料で、健康チェックを遣ってくれていたが、
時間が無いのでパス。
次が「JR九州社員研修センター」トップの写真は玄関です。
病院もだけど、住宅街のど真ん中にありました。
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研修センターの内部です。
動力車操作者養成施設を見学しました。
展示物(電車部品等)、電車の運転台(研修用?)等を見学。
実際に、ドアの開閉操作などを体験!
此方は新幹線のシュミレーターです。
新幹線の(モデル)運転台に座って、運転のシミュレーション。
前面の大型スクリーンに、走行時の前景(風景)が、
1人2分間ですが長蛇の列で、あきらめて横から見学。
それでも、人が多くよく見えないし、どうなってるのか?サッパリでした。
これは架線事故?の時に、現場まで駆け付ける車両。
タイヤと車輪が付いていて、道路用と兼用です。
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移動して、「JR貨物門司機関区」です。
機関区とは車両基地のこと、門司駅から小倉寄りの所です。
貨物用?機関車に特急のヘッドマークを付けて、
マニアへの撮影サービス?
『部品の即売会』、
マニアなら宝物、普通の人が見たらガラクタです。
はい、しょうもないガラクタに見えました。
(結構、高いです。)
オークションです。
↓ 車体に付いてるプレート、最低入札価格が10万円
↑ 『浜小倉事務室』の木製の看板でも1万円
JR貨物ご自慢の金太郎(EH500型機関車)です。
特急さくらのヘッドマークを付けてのサービス。
運転台に入って見学もできました。
(運転席からの眺めは素晴らしいです。)
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この後、門司の商店街(みずき通り)を歩いて、
赤煉瓦プレイス → 海浜公園 → 門司駅のコースでした。
門司は、門鉄(門司鉄道管理局)の時代から、
鉄道の町だとは、知ってたのだが、
門司港地区だけでなく、大里地区もだと、
北九州に居ても、知らない所が多いです。
知らない町を歩く!、安心して歩ける。
これがJRウォーキングの、最大の魅力なんです。
最後の写真は門司赤煉瓦プレイスと門司駅(海岸側です。)
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黒崎のイルミネーション
今年も、
JR黒崎駅、ふれあい通り、黒崎中央公園、曲里の松並木に、
イルミネーションが点灯しています。
期間は11月22日~1月14日まで、17時~23時
華々しく点灯式も行われようですが、知らなかった。
12月1日に、見てきました。
本音を言うと、数は少なくあまり自慢できるものじゃないです。
トップの画像は長崎街道・曲里の松並木です。
両側の松並木を利用してネットを張って、
その上に満天の星を散らめた様な電飾は、幽玄の世界へ招待です!
(右に明りがみえる建物は、今年完成した八幡西図書館。)
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カムズ名店街から見た黒崎駅、駅の方へ向かいます。
(ペデストリアン)デッキを歩いて、
黒崎井筒屋です。 点灯式はここで行われたようです。
ふれあい通り
此方は黒崎中央公園のイルミ
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おまけ
熊手銀天街です。 天井に絵を描いた幕が、
これはテント地に、絵の具で日本の四季を描いているそうで、
長さ120メートル、幅2.5メートルの大きさです。
描いたのは小倉北区在住のイラストレーターと
ボランティア約30人だとか。
実は10月の宿場まつりの時、ここで描いているのを見ました。
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黒崎のイルミネーションは、小倉や門司レトロに比べると、
華やかさはありませんが、
クリスマスコンサートが、12月23日 11時から16時
黒崎中央公園で、サルサやジャズの演奏など、
又、同時に商店街周辺では、
「恐竜・怪獣スタンプラリー」も行われます。
黒崎のイルミは、地域活性化の為に頑張っています。
最後に最新(12月4日)のコムシティ。
内部の改造中ですが、全体を幌・足場で固められました。
来年3月末には改修工事が完了し、
先ず、区役所以外の公的施設や商業施設が順次入居、
区役所(4~6階)は、5月に移転の予定です。