北九州八幡から発信
八幡、やはた、やわた、はちまん
国見岩

その昔、神功皇后が更暮山(皿倉山)に登られた時、
この岩の上に立って周坊・筑紫・豊国(後に豊前と豊後に分割)
を望見されたと言われている「国見岩」です。
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(ここからは)山頂と同様に八幡の町が、良く見下ろせます。
小学生の頃、社会科で八幡の地図を書くことが多々あった。
その時は必ず、カクカクの洞海湾から書いていた。
その洞海湾が良く見えます。


高校時代、山岳部の友人がいた。
土曜日の放課後は、リュックに30キロの砂をいれて、
学校から皿倉山に登っていた。
そして、
この国見岩でロッククライミングをやっていたと言う。
私には、到底そんな真似は出来ませんし、
やりたいとも思わなかった。
(勿論、山岳部なんかには入らなかった。)
だが、彼(等)に連れられて、
日曜日は、よく尺岳・福智山に登っていた。
お蔭で、色んなルートは我が庭のように覚えた。
遠い昔の想い出、
いま彼は、どうしているだろうか?
この国見岩を下から見上げた時、
ふと思い出した。
勇敢にクライミングするグループに出合った。



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八幡の東西境界線を歩く
八幡東西区の境界は?
大体、分っていたがMapionで確認して、歩いてみました。
旧電車通りから八幡中央高校までです。(歩ける範囲)
八幡の今、東西の境界辺りの風景をご覧下さい。
地図上の番号の位置と、写真の番号は対応しています。
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そのー1

①、旧電車通り、西鉄バス停【桃園】より西寄りの所
(この道路が境界線です)
写真左側が東区(桃園2)、右側が西区(陣山1)です。

②、右に曲がって、西の方向に向かっています。
左側が東区(桃園公園)、右側は西区(陣山1)
この道路は、旧電車通りの一つ上の道です。

③、旧電車通りからの道と交差、道の向こうが西区(陣山2)
これより左に曲がって、南の方向に進みます。

④、左側が東区(桃園3)、右側が西区(陣山2)
(下の写真は、陣山市民センター(旧公民館)です。)
陣山は西区だが、
東区の桃図に陣山市民センターが、この辺がややこしい。

⑤、さらに進むと、山手(線)のバス道路へ、(陸橋がある所)

⑥、陸橋から東区を望む(左:桃園公園 右:桃園陸上競技場)

⑦、陸橋から西区を望む(左:清納1 右:陣山3)

⑧、陸橋を下って、左は桃園陸上競技場(東区)右は西区清納1

⑨、道脇から桃園陸上競技場(東区)が見えました。

⑩、さらに上っていくと、花尾中学です。

⑪、花尾中学は東区(桃園4)、右は西区(清納1)

⑫、門が開いていたので、ちょっと門の内側に入りました。
校舎は10数年前、建て替わっています。
旧校舎前にあった記念碑です。
(この画像はクリックで大きくなります。)

⑬、中学の裏側です。右は西区(西川頭町)

右手を見たら、ごうとう山です。
昔は石を採掘していて、山肌がむき出し(ハゲ山状態)でした。

⑭、桃園球場が見えました(東区)

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そのー2

⑮、正面の山、皿倉山です。 左(東区祇園4)、右(西区東川頭町)

⑯、さらに進んで、左:東区祇園原町、右:鳥野神社(西区東川頭町)

⑰、さらに上って行くと、突き当たった所が八幡中央高校、
中央高校を含めて右側が西区元城町です。

⑱、正門が開いていたので、ちょっと入り込みました。
境界線は高校の敷地を西区に入れて、道らしきものはありませんでした。
(この画像はクリックで大きくなります。)

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八幡の行政の歴史を調べてみました。
・明治22. 4. 1 八幡村の誕生(尾倉・大蔵・枝光村が合併)
・〃 33. 2.15 八幡町に昇格
・大正 6. 3. 1 八幡市となる
・〃 14. 4.28 企救郡板櫃町の一部(槻田及び板櫃の一部)を編入
・〃 15.11. 2 遠賀郡黒崎町を編入
・昭和12. 5. 5 遠賀郡上津役村を編入
・〃 19.12. 8 遠賀郡折尾村を編入
・〃 30. 4. 1 遠賀郡香月町・鞍手郡木屋瀬町を編入
・〃 38. 2.10 北九州の五市が合併し、北九州市となる
・〃 39. 4. 1 政令指定により区制施行(八幡区に)
・〃 49. 4. 1 行政区再編成により八幡区を東西に分区、
八幡東区・八幡西区を新設
最近、八幡西区の分区が問題になっています。
合併でも分轄でも、一番問題になるのが名称(名前)です。
さて、どうなるだろう?
参考にした「Mapion(八幡の東西)」をリンクしました。
写真ばかりでウンザリでしょうが、最後に皿倉山からの、この辺りの写真です。
(クリックで大きくなります。)

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春風誘う宗像大社と鎮国寺へ
土曜日(16日)、
ウォーキングで宗像地方を歩きました。
こんな田園風景がメインです。

麦畑、
今年はチョット遅れ気味?
毎年、同じ時期に見てるから、大体わかります。
福岡県の生産高は北海道に次いで、全国第二位。
大半は麦酒の原料になっているそうです。


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宗像大社に参拝
宗像大社は天照大神の三柱の御子神が祀られています。
沖ノ島の沖津宮には、田心姫神(たごりひめのかみ)
大島の中津宮には、湍津姫神(たぎつひめのかみ)
田島の辺津宮には、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
この三宮を総称して宗像大社と言うそうで、
ここが田島の辺津宮って言うこと。
(単に宗像大社で通じると思うが、)


写真の貼り方がおかしい?
はい、裏口から入って表から出ました。
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鎮国寺の山門です。
急な階段を登って行きます。

例年なら、色とりどりの絨毯のようになっているのだが、
今年は、かなり遅いようです。


弘法大師(空海)は大同元年(806)、唐より帰朝された時、
まず宗像大社に礼参されました。
その時、屏風山に瑞雲が棚引くのを観られ、
奥の院岩窟において修法を始められたところ、
「この地こそは鎮護国家の根本道場たるべき霊地」
とのお告げをこうむり、
一宇を建立し、屏風山鎮国寺と号されました。
(鎮国寺HPより抜粋)



本堂より離れた所にある「桜美苑」
奥には、聖観世音菩薩が、
(奉納された般若心経写経は台座に納められています。)

いろんな八重桜が満開でした。
お目当ては緑の桜・御衣黄(ぎょいこう)でしたが、
やっと開花宣言かな? (左の写真です。)


鎮国寺を後にゴールを目差します。

釣川に沿って南下、
“そよ風にふれて、” と云いたいが、
この日はチョット強風でした。
でも、こんな川沿いの道を歩くのは気持ちいいです。
東郷駅から東郷駅まで約12キロのコースでした。


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皇后崎の桜

(↑ 南王子の陸橋からみた皇后崎公園)
又又又又、桜で恐縮です。





今度は、今日(14日)の皇后崎公園の桜です。
毎年、行っているので、見るだけは見ておかないと。
状況は、“落花しきり” と云った状態でした。
無理して辛抱すれば、週末(土日)までは大丈夫です。
例年なら、夜桜見物の照明(提灯)が灯るのですが、
今年は自粛です。
これまた説明抜きで、ご覧下さい。
(今回もコメント欄は閉じています。)










ちょっとだけ、
ほんのチョットだけ、酔っぱらっちゃったら、
この道の段差で、転んじゃった。
この後、どうなったんだろう?

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金山川の桜とチューリップ

又又又、桜です。
例年通り、4月第2日曜は「金山川チューリップ祭り」でした。
今年は、桜もちょうど見頃、天気にも恵まれて、大勢の人出、
穏やかな川に、カヌー・屋形船も出て、大賑わいでした。
説明抜きで、ご覧ください。










最後まで、観てくれましたか?
ガチャ、ガチャ、ガチャのガッチャ これで良し!
(コメント欄は閉じています。悪しからず)
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