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ヤマボウシと皿倉山と雨情まつり


     (八合目、皿倉平より)

 5月の最終日曜日、
皿倉平のヤマボウシ(山法師)を見に皿倉山へ
2週間前見たときは、まだ小さくクリーム色だったが、
大きく開いて見事な純白となっていた。

これは花弁(はなびら)に見えるようだけど、苞(ほう)と言います。
つぼみを包んでいた葉のことです。

まあ、普通は花ですね。(ヤマボウシの花)
今年は花のつきが、ちょっと少ないような気がする。

この花は上を向いて咲くのが特徴で、下からは撮り難いです。
(初秋になる実も上を向いています。)
この花が咲くと、当に初夏、梅雨入りも、もうすぐかな?





山頂で、久しぶりに八幡の町を撮ってみました。
(クリックで大きくなります。)

:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*

桃園から黒崎方面





八幡駅方面  八幡駅が確認出来ますか?
(真ん中の円形が平和の像のロータリーです。)




中央町・スペースワールド方面




☆○o...:**:...o○☆**☆○o...:**:...o○☆**☆○☆**☆○o

この日、ケーブル山上駅から、
山頂に登る道の途中にある「雨情詩碑」の前で、
「野口雨情まつり」が行われました。

    帆柱山の歌
   くきの海辺の船もよい
      船も帆がなきゃ行かれない
   お供についたくまわにが
      山で帆柱きりました
   その時きったほばしらは
      帆柱山の杉でした


 くきの海辺とは、「洞海湾」、
 くまわにとは、土地の豪族「熊鰐」のことです。

 野口雨情は、昭和7年ここ皿倉山に登られた時、
案内人から、洞海湾を眼下に眺めながら、
当地の伝説(八幡に伝わる神功皇后西征の話)を聞くと、
いたく感動されて、即座に詩を作られました。
それが、この「帆柱山の歌」です。

 昭和32年に「雨情詩碑」が建てられた以降、雨情を偲んで
毎年、誕生日に近い5月の最終日曜日に行われています。

八幡の児童文化の関係者と、一般参加者で20人程度でしたが、
厳かに、帆柱山の歌による舞や記念碑にまつわる講話等があり、
最後は全員で、
「あの町この町」「七つの子」を合唱して式典は終わりました。

八幡の児童文化と関係深い偉大なる詩人野口雨情を偲んだこの祭り、
雨情詩碑がある限り、帆柱山がある限り続けて行こう。
とのことでした。




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雨の門司みなと祭り


日曜日の朝、鈍よりの曇り空、3時間毎の天気予報を見たら、
見事に傘の開いたマークがずらり、降水確率80%もずらり、
10時過ぎ、空を見上げるとチョッピリ晴れ間が?
最近、良く当たっているが、もしやもしや・・・で、
JRに乗って門司港へ。

☆○o...:**:...o○☆**☆○o...:**:...o○☆**☆○o...:**○☆

門司港駅に着きました。 ホームの屋根を見て下さい。
全体は木造じゃないけど、木の板を使っています。
照明、案内放送のスピーカーもレトロ調。



改札口にも、レトロな駅員さんが、
下の写真の女性は、卒業式帰りの女子大生ではありません。
駅の職員(駅員)さんです。
乗り越し客などに、愛想よく対応していました。





”生まれは台湾台中の 新高富士山見えるとこ 
色気のポーッとついた頃 島のねえちゃんにもぎ取られ
金波銀波の波越えて 着いた所が門司港、・・・ ”


こんな調子のバナナの叩き売りを見て、
(この人達は本職じゃありません。 
「バナナ叩き売り保存会」の人達です。)




スタンプラリーを遣っていた。
受付を済ませて歩き始めると、降りだした。

レトロの街を、
  ♪雨に歩けば~ Just Walking In The Rain

まずは、すぐ前の旧門司三井倶楽部へ、(中央の建物)



門司港レトロ展望室
(中央の高層マンションの最上階31階にあります。)
左に見える赤レンガの建物は旧門司税関です。



遊覧船のりば  後ろは門司港ホテル



4番目の「門司港地ビール工房」辺りでは土砂降りに、
本来は9箇所廻るはずだったが、
ここで、「次の旧門司税関で切り上げです。」

  ♪雨に走れば ずぶ濡れで、・・・

スタンプラリーは終了。
豪華な景品が当たる抽選にチャレンジ!
商店の福引で使うカラカラ廻すやつ、
赤球が出て参加賞(いわゆるスカだった。)



雨は降るし、門司名物の「焼きカレー」の一番安いのを食べて、
折角だから、栄町銀天街へ、

★☆★ +∵・∴+∵ ~~★☆★ +∵・∴+∵ ~~★☆★

雨が降れば、銀天街の中が一番。
カラオケ大会かな? よさこいの衣装姿も集まっていました。
パレードは中止になったが、ここで「よさこい踊り」を?



銀天街内にある「昭和レトロ館」です。
駄菓子や、地元出身の漫画家の作品原稿、漫画の本。
大体、昭和30年を再現したものです。

昔の学校の机にきちんと座って、
熱心に?ゲームを遣ってた子が印象的でした。






上の写真のバケツが並んでいるのは、天井からの雨漏り受けです。
これを見ていると、ザ・タイガーズの
  ♪雨がしとしと日曜日 僕は一人で
   君の帰りを 待っていた ・・・


今日は日曜日で雨、昔こんな歌が流行ったなぁ。

*:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*

予想通りの雨とはいえ、残念だった。
第一動きが取れない。
途中、安い傘をと探したがビニール傘も結構高い。
450円で買ったが、これが又子供用?肩からずぶ濡れ。
栄町のレトロ館を最後に早々と帰路へ。
後で考えたら、
せめて昼飯は小原市場のレトロ食堂でするんだった。
(中も見たかった。)
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黒崎よさこい祭り2010

正式には、
「黒崎よさこい祭り2010 長崎街道 黒崎・花・まち・フェスタ2010」
「よさこい祭り」と「花・まち・フェスタ」が、一緒になりました。
黒崎の街は町興しに苦労しています。

そもそも、「よさこい」って何だろう?
高知の「よさこい節」が有名ですが、
独特な踊りが入ったイベントが「よさこい祭り」になるらしい。

その独特な衣装と化粧をして、
踊りは、大音量で流れるロック調のソーラン節?が、基本???

16日、「駕与丁公園のバラまつり」の帰りで黒崎駅に降りたら、
この祭りに遭遇しました。

黒崎井筒屋前や商店街など、JR黒崎駅周辺の5カ所の会場で、
市内外から、60チームが参加したとか。 
ちょっぴり見てきました。

*:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・

黒崎駅です。
ご覧の通り、人は疎ら。
祭り時の人出の統計を取るアルバイトの学生さんでしょうか、
カウンターを押していたが、とてもヒマそう~?



商店街の中の踊り会場
年齢構成は、すごく幅がありました。
小さい子から、80過ぎのおばあちゃんまで踊っていました。
老い若きも、元気が一番ですね。



次の出番を待つチームです。
バザー・出店も出て楽しそうだが、人は少ないです。
(ここは多い方)



中央会場へ向かうチーム、
歩道は広いけどなあ? 
今日はお祭りだよ!(ふれあい通りにて)



中央会場です。(旧年金病院の跡地)
ここは広いから、思う存分踊れた筈です。




黒崎の商店街は、シャッターが下りてる店が多いです。
色んなイベントを遣ってますが、人出は今いち。
お客さんは郊外の大型店舗(ホームセンター)に行ってしまう。
これも時代の流れでしょうか?
「頑張れ、黒崎!  ガンバレ、くろさき!」
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駕与丁公園のバラまつり


「駕与丁公園」って、ご存知ですか?
先ず読み方ですが、【かよいちょう】公園と読みます。
場所は、粕屋郡粕屋町。 

JR長者原(ちょうじゃばる)駅から800m位の所、
長者原と言えば、九重の長者原高原を思い浮かぶと思いますが、
県内にも、長者原がありました。(私は最近知りました。)
香椎から香椎線で、宇美行きに乗って約15分位、
福北ゆたか線(篠栗線)と十字に交差した辺りが長者原です。

「駕与丁公園」は農業用水用の大きな溜め池ですが、
それは、もう湖みたいで、よく整備された公園です。
池の周囲は4.2195Kmで、10周すればフルマラソンの距離です。
ここで日曜日、「バラまつり」がありました。

・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・・*:.。. .。.:*・

JR長者原駅です。
下が福北ゆたか線、上が香椎線になっています。
赤レンガのトンネルを発見、いや橋梁かな? 



公園に渡る陸橋から見た”かすやドーム”(体育館?)
池には、水はたっぷりとありました。



↓木が並んでいる所が、「駕与丁堤」です。
 いわゆる堤防で、400年近い歴史があります。
池の周りを1周しました。 
旧志免炭坑のボタ山が見えました。



公園全体が緑に包まれています。
野鳥観測の小屋です。 アオサギ?を発見



展望公園です。
ここで、「バラまつり」が行われていました。




展示されていたバラと、ここに植えられているバラです。
(即売品もあり多くの列が出来ていました。)
説明抜きでご覧下さい。








最後のバラの名は「ピース(Peace)」です。
淡い黄色地に、ローズピンクの複輪が入っている大きな薔薇
その名が付いたのには、次のようないわれが、あるそうです。

このバラは1939年フランス生まれで、
当時、第二次世界大戦の最中、ドイツ軍に占領され、
このバラも焼失するかも知れない運命にさらされるも、
密かにアメリカに送られ、難をのがれた。

1945年5月8日、サンフランシスコに連合国側50カ国の
代表が集まり「国際連合」の創設を協議する会議が始まった。
その代表たちが、ホテルの自室に入ると、
そこには見た事もない黄色い大輪のバラが待っていたという。
そのバラには以下のようなメッセージカードが付けられていた。
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 このバラは、去る4月29日ベルリン陥落の日に、
パサデナにおいてピースと命名されました。
願わくばこの花の名において全世界に恒久の平和と安定が、
もたらされますよう、御活躍をお祈り申し上げます。
 全米バラ園芸協会事務局長アール・C・アレン(博士)

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新幹線を歩く


九州新幹線、現在は新八代~鹿児島中央間の営業ですが、
来年の春、博多~新八代が開通して全線営業となります。
これを記念して、15日(土)新鳥栖駅付近で、
レールウォーキングがありました。

鳥栖駅を降りた時から、異常な熱気、凄い人人人、
ウォーキングで、こんなの初めてです。
鳥栖駅から歩いて40分程度、新幹線新鳥栖へ、もう長い行列です。



新幹線の線路内に入る所から、長蛇の列です。 
約1キロはありました。

原因は、今回を含めて、あと2回しか無く、
大勢が集まりすぎた。 それと、線路内に入るには、
ヘルメットの着用が義務付けられている。
JRが用意したのは500個、
そのため終わった人のヘルメット待ちです。
倍は必要だったと思う。
一番悪い時間帯だったようで、2時間半も待ちました。
(炎天下、クタクタ)





やっと中に、(線路内に)入れました。
筑紫トンネルまで、往復約2.5Kmを歩きました。
全員ヘルメットを被っています。(何年ぶりかな?)






筑紫トンネルです。中には入れませんでした。
何やらレールに計器?が。
 
我が100均の温度計は30℃、暑いはずだ。



新鳥栖駅です。
今から内装のようです。
駅は立派だが、周りは何もありませんでした。
(土地の整備工事中でしたけど)




今回のウォーキング、総距離は約6Kmだが、
炎天下での待ち時間、2時間半はバテました。
小さい子供も多く、あまり愚痴も云えません。

鉄ちゃんじゃ無くても、
新幹線の線路内を歩くって、興奮しますね。

レールの上を、
平均台の様に歩いたり、触ったり、座ったり、寝転んだり、
兎に角、何でもかんでも、
パチパチ・パチパチで後の整理が大変だ。
くたびれたけど、有意義な1日でした。
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