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涼(すずみ)天満宮


 近くに旧長崎街道があるとは、つい最近まで知らなかった。
場所は八幡西区引野口から、国道旧211号線(旧211号線)と、
平行して直方方面へ向かう道で、狭い脇道です。
それらしきを表す看板も標識もありません。




どうですか、旧街道らしき雰囲気が、ありますか?



国道と合流する所に、涼(すずみ)天満宮があります。





この説明文を写しました。

涼天満宮
 この神社は、菅原道真公をお祀りしている
「菅原神社」です。
前の道路は旧長崎街道で、境内にあった大松
の下で旅人が休息したので、この松は「夢想の
松」、「涼み松」と呼ばれ、いつしか神社も
「涼天満宮」と呼ばれるようになりました。
 今では松の木も枯れてなくなってしまいまし
たが、次のような言い伝えが残されています。
 江戸時代正徳年間(1711~1716)のあ
る年、長崎の熊部新治郎という人が所用で京都
に上る途中、ここで休息し、松の枝にお金の入った
荷物を掛けたことを忘れ立ち去ってしまいました。
 翌年新治郎が帰郷の時、再び立ち寄ってみた
ところ、荷物はそのまま残っていました。新治
郎は神のおかげと感謝し、石鳥居を寄進したと
いうことです。それから、この松の木は「かね
懸けの松」と呼ばれるようになりました。
            北九州市教育委員会




この鳥居が熊部新治郎さんが、寄進した石鳥居です。



風化が激しく、よく読み取れれません。 それに旧字体で、
石工 □□□衛□□□



・・・□□□新治郎□□、と書いているのだろうが、
新冶の前後がよく分からない。




境内(本殿横)にあった何代目かの「かね懸けの松」



涼天満宮の前の道路、右が旧長崎街道、左が国道211号。 
ここは上津役上の原です。



郷土・地元の歴史に触れるって好きです。
ここの鳥居は300年近いもので、「かね懸けの松」と同様に、
長崎街道を行き来する人々をずっと見守ってきたと想うと、
これからも大事(大切)にしたいですね。
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日曜日の徘徊


家から40分程度、旧長崎街道・曲里の松並木です。
今の時期、腰巻風のムシロを巻きつけているのが目立ちます。
これは松の防寒対策じゃありません。

「菰(こも)巻き」と言って、
害虫の幼虫を駆除する方法のひとつで、
幼虫が冬の間、暖かい処で越冬する習性を利用しています。
春になると、
この菰を外して、集まった幼虫と一緒に燃やすそうです。



何やら、変な格好の物が?



恐竜なんとかの化石かと思った!





今日24日は「第21回選抜女子駅伝北九州大会」の日でした。
ここ曲里の松並木の前の道が、折り返し点と第三中継所です。
暫し観戦です。



10時45分頃、トップが折り返した。
ゼッケン2番の天満屋です。
その後が高校生チーム興譲館(岡山)でした。



その後、続々と続きます。






最後のランナーが通り過ぎれば、ハイ解散です。




ここは旧年金病院の前の道路です。
1年前から工事していて、まだ終わっていません。




以前アップした旧プリンスホテルの前のショッピングセンターの建設工事は、着々と進んでいました。



10時に家を出て、女子駅伝を観戦して帰ったのが12時前、
出た時はチョット寒かったが、日も射して途中から汗が。
そんな日曜日の徘徊でした。
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また小倉魚町


また又、小倉の魚町です。
10日の『出初式』の帰りに、『十日えびす』に遭遇して、
20日に又、小倉に行く用事がありました。

着いたのが昼前、時間があったので、街をぶらりと歩きました。
平日の昼間と云うのに、けっこう人が多いなあ。





紫川横の「水環境館」に入りました。
入り口に、立派なゲートがあったが無料でした。




ガラス越しに見る紫川の水とその背景



ブラックバスいや、ライギョかな、その下はクサガメです。
この川や近くで見られる魚(生物)が水槽に飼育されていて、
まるで水族館のようです。





旧電車通りに出た所で、橋げた工事、新しい陸橋かな?




近付いて見たら、銀天街発祥の地の記念碑がりました。








アーケード方式の商店街(銀天街)の発祥の地だって。
そして今、
旧電車通りを挟んでのアーケードが、工事でした。
雨の日でも、少々の横からの雨でも大丈夫?
便利になります!!

今回の記事は、この事を知らせたくてアップしました。
完成は3月です。






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陣の原にて


先日、
洞海湾に行ったついでに、陣の原に寄りました。
陣の原は黒崎・折尾間の、少し折尾寄りです。

旧西鉄電車折尾線の跡。
もう何年前かなぁ、廃止の当日、黒崎から往復乗りました。
(確か無料だった)

この辺りの跡地の利用は、まだ目処が立ってないのかな?







近くにあったJR線の超低いガード下の通路です。
KBCテレビの「アサデス」で紹介されました。




高い所で180cm、途中低い所は120cm位でした。
大人なら、しゃがんで歩かないと、通れません。
鹿児島本線の複々線と福北ゆたか線が通っており、
かなり長いです。




やっと通り抜けた所。




更に、向こうにも、超低い通路がありました。
人影が見えました。 上は国道3号です。




ここは通らずに、上にあがって見たら、
瀬板の森公園の北側ゲート前でした。



3号線の下の通路は横断歩道があるので、
無理して通る必要もないが、
JRの超低いガード下の通路は、
向うに住宅(街)もあり近道で便利なようです。
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洞海湾へ

 先週の金曜日、ポカポカ陽気に誘われて金山川から、
八幡のシンボルのひとつ、
(くき)の海【洞海湾】へと歩きました。
左が金山川、右が折尾駅前から流れてきた堀川です。

(合流地点)



ウォーキング・散歩コースが整備されていて歩き易かったです。
桜並木、咲く頃はきれいだろうな!






結構、橋が架かっていて、特に目に付いたのはこの橋。
「ゆうじょう橋」、バイク禁止の歩行者専用です。






このモダンな建物は、結婚式場(ホール)です。




洞海湾の海も川もきれいになって、野鳥も来るようになりました。
(クリックで大きくなります。)






洞海湾です。 ここから見る皿倉山も見事でした。
(正面の工場は三菱化学です。)





詩人・野口雨情は昭和7年5月、皿倉山に登った時、
神功皇后西征(熊襲・三韓征伐)の伝説を基に作った歌

    帆柱山の歌

  くきの海辺の 船もよい
  船も帆がなきや 行かれない
  お供についた くまわにが
  山で帆柱 きりました
  その時きった 帆柱は
  帆柱山の 杉でした


くきの海辺とは「洞海湾」、
くまわにとは土地の豪族「熊鰐」のことです。
帆柱ケーブル「山の上駅」を降りて、少し登った所に、
この「野口雨情の文学碑」があります。


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