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臼杵の石仏に逢いたくて、




 11月23日10時35分、臼杵駅に降り立った。
およそ50年ぶりです。でも、何にも思い出せない。
ここからバスに乗って、「臼杵石仏」を観に行った以外は。

その石仏さん、
駅前に出張?していて、出迎えてくれました。



しばらく歩いていくと、お城(臼杵城)が見えました。
大友宗麟が、臼杵湾に浮かぶ丹生島に築城した海城で、
当時は断崖絶壁で海に囲まれた城として有名だったそうですが、
現在は、埋め立てにより地続きで、
臼杵公園として整備されています。
下から眺めただけで、中には入っていません。



臼杵は、
臼杵藩(稲葉氏)5万石の城下町として栄えた町です。

ここは昔の町並みを残した町人の町(商店街)かな?
他にも、数多くの城下町の面影が残っているようでした。
今回は、チラッと!

目的が、紅葉と石仏を訪ねる「ウォーキング」ですから。
時間があれば、ゆっくりと城下町の散策もいいようです。



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今回の目的地の一つ、臼杵の紅葉の名所「白馬渓」です。



「白馬渓」の説明です。(クリックで大きくなります。)


この渓谷の一番高いところに、
伊勢神宮の外宮豊受大神の御分霊が祀られています。



ちょっと急な坂道(参道)を、渓流に沿ってジグザグに、
小さな石橋を渡って登っていく。
周りの紅葉を鑑賞しながら、とは、いかなかったです。










小さな石橋が多いなぁ! 後で、説明看板を読んだら、
天保4年(1833年)の作で、現在8基残っているそうです。
(撮った証拠写真は足りないです。 見落とし?)

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れより、国宝の臼杵石仏の見学です。



(クリックで大きくなります。)


石仏群は4群に分かれ、
ホキ石仏第1群(堂ヶ迫石仏)、ホキ石仏第2群、
山王山石仏、古園石仏、と名付けられています。
(各々、そこの地名だそうです)

ちゃんと標識(看板)があったのですが、
メモしてないので、どれがどれだか?(写真は一部です)







臼杵石仏は、
すべて切り立った岩肌に彫られた磨崖仏です。
昔は無かったと思うが、屋根付き建屋で保護されています。
けっして、観光用の為ではなく、風化を防ぐ為です。

また、地衣類(コケやシダ)が生えないように、
紫外線(殺菌灯)照射で、クリーニングも行っているそうです。
その準備で、やぐらが組まれた石仏もありました。



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昔、ここを訪れた方なら、見覚えがある石仏だと思います。
古園(ふるぞの)石仏と言い、中尊は大日如来像です。

本当のことを言えば、
この石仏さん・大日如来像に、再会したくて来ました。


>


上の写真を見ても、思い出せないですか?

それなら、傍にあったこの写真は?
以前は、落ちた仏頭が仏体下の台座の上に安置されいました。
平成5年に、保存の為の修復に合わせ、仏頭も復位されたそうです。
(クリックで大きくなります。)


仏頭が落ちた状態の大日如来像、
長く人々に愛され続け、世界的にも有名だったそうで、
それなりに、良さはあったと思うが、
完全な大日如来像に戻り、喜ぶべきだと思います。

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ウォーキングは約10Kmでしたが、
4時間以上も経かった。 それだけに、疲れました。
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帰りの臼杵駅ホームです。石仏さんがお見送り(お出迎え)、
行きは気が付かなかった。(反対側のホームでしたから) 



同じホームに、「早春賦」の歌詞を書いた碑がありました。

   春は名のみの風の寒さや

作詞の吉丸一昌氏は臼杵の出身だそうです。


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