ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

山梨での清里ミーティング2011

2011-11-21 | 雑念
清里ミーティングその1

このフォーラム参加の経験は記録に残すべきであろう。

全体会
自然学校と災害
復興と環境教育
などのキーワードが出てくる。

RQ緊急活動センターの話
復興支援
鹿児島に移り住んでから
ボランティアで東北に行くということを微塵も感じなかった。

対岸の火事の様なテレビの中の物語だった。

しかし関東でのイベントに参加した事で参加者は当然の事のように話をしている。

自分の意見を持っている。

しかし風呂での隣の人たちの会話では「環境教育と災害を結びつけるのは強引」という意見もあった。

そんな序盤の不信感から分科会のひとつが目を覚まさせた。

修験道×環境教育

山伏の3つの決まり
・説明しない
・質問はなし
・修行中声を出してはいけない

究極のインタープリテーションなのではないかと。

いかに自分が説明や手助けをしているのか?という戒めを受けた。

何もしゃべらず、ただただ森を歩く。少しずつ物事がクリアに見えてきた様な気がしてくる。1時間の体験でそこまで!?と思うかもしれないが、自分自身の留め金が早く外れたらもっと違う気づきが出て来たのではないか?

そして神仏が一体となり、八百万の神などの日本古来の精神世界を表現する。

般若心経と祝詞、そして山々への感謝。さらには東日本の震災への鎮魂と復興を祈った。

八ケ岳へ入るための感謝、東北の3山へいのる、そして富士山へも。

大先達(だいせんだつ)星野氏はいう。「山ガール、あと山への感謝の気持ちががあればグッドだね」イメージは、ドラゴンボールの界王さまの様なお茶目さ。

滝行や崖の上から下を見る行などストイック過ぎる山伏たちの世界のトップに居ながら、更に邁進している大先達。

山形の国宝五重塔で経を唱えたり、トランペッター(表現者)とコラボしたり、SM・ストリップのあとに舞台へ出て東日本の震災への祈りを捧げたり。

また山伏はいう。
「世俗にいてこその修行なんだよ」

また山形に修行に来てね、と法螺貝を吹き去って行った。

映画になるぜ!その立ち振る舞い。

振り返りで私は
「森の見え方が変わった。自分自身が変わったから。これからも参加者が見える世界が変わるほどの体験を提供できる指導者もしくは企画を実現したい」とシェアリング。
他の人も「楽しい」とか「風が吹いて来たのは神の力か?」とか「大先達が近くに感じた」など不思議体験をしていた。

私は未だに霊的なものには違和感があるが、精神性という日本人の心みたいなものには憧れや興味があるのは確かである。

そして、かつて聞いた狂言の師匠の言葉(私は狂言を習っているわけではない)にも同じことが入っていた。

我々は神に捧げるために狂言をしている。うけようが、うけまいが関係ないのだ。失敗した、成功したなどとはおこがましいことなのだ!と。

環境教育フォーラムで様々な人と出会った。

この人見知りの極みの様な人間でもある程度の名刺と会話、具体的な進展が期待出来そうな充実した時間を過ごした。

しかし最も印象深く、感動したのはこの「修験道体験」である。

その修行僧はFacebookをやっている。友達にもなってもらえた。

今後も何かつながりそうだ。

日本人の精神性を取り戻す!
そんなプログラムはとても魅力的である。