ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

長くて何の意味もない文章を書くという事は…

2013-05-12 | 雑念
前回の文章が長文になったのはPCで作文したからだ。iPhoneからの投稿で親指入力では流石に長文は厳しい。画面の小ささもそれに耐え切らない。やはりスマホはTwitterやFacebook、LINE(これだけ手を出してはいない)などのツールと背丈が一致する。

ブログで思いを伝えるならPC入力が合う。

最近は活字の面白さを再発見している分、自分の文章と比較してしまう。少しは面白い文章が散りばめられてはいたりする。後になってブログを読み返すと「自分が書いた文章なのか」と疑ってしまうくらい素敵な文章もあれば、この内容はどうでもいい時に書かれた文章だなと分かる時もある。

不思議なもので書いている段階では意識していない。この曖昧でムラのある所がプロとアマの違いだと思う。

それは技術面での話。発想や切り口などはセンスや経験から読み手に好印象を与えるアマもいるだろう。

あとは継続している事も大切なのかもしれない。下手な文章、数打ちゃ当たる。ムラのあるブログも何年か続けていると少しは読み手が期待するアマ物書きになるのかもしれない。

ちなみに自分の文章は、このブログは総合的にムラどころか箸にも棒にもかからない文章だとも思うし、同時にリアルなブログであって等身大の自分を上手く表現できているとも感じる。

たまにブログの閲覧数が目に入ると「何でこんなに見てるの?」と驚く時もあるが、誰かが何回も訪れているのかリーダーアプリが自動的に読み取ってサラッと流れる様に見ている様で見ていない読み手も含んでいるんだろうと納得させたりする。

別に大人数に読んで欲しいと思ってブログを続けている訳じゃないのだ。

これは現代のブロガーの大多数の正直な所だと思う。それに自分がこの世に存在した証として、などと大袈裟な事でもない。

かと言って紙の日記の様な秘密裏な事もない。つくづく「何でブログなんかやってたのかな?」と思う時がある。

それが今読んでいる小説の中の登場人物の描写の中にヒントがあった。

文章を書く事で、答えのないモヤモヤが気持ちいいと思える感覚。確かにブログを書く事はストレスを発散するのかもしれない。

逆に文章を書く事でしか発散できないストレスを解消しているのかもしれない。

世の中には

カラオケで発散する
身体を動かして発散する
好きな趣味で発散する
仕事で発散する
友達・恋人と過ごして発散する
他にも

色々あるが、それぞれはそれぞれの部分しか発散できない領域があるのでは?その発散方法を知らない人は発散したと脳が錯覚させるか、忘却させるか。

効果的な発散方法が、それぞれのストレスに存在するのかもしれない。

まるで大発見のように言っているけど、すでに周知の事実であるかもしれない。はっ、恥ずかしい。だとしたら恥ずかしい。

ブログにこんな恥ずかしい事実を書き残すなんて!だったら消去すればイイじゃん!

でも残す。

もしかしたら大発見かもしれないし、この文章を書く事で何らかのストレス領域を解消するのかもしれない。はたまた新たなストレスが発生するのかもしれない。

兎にも角にも、良くも悪くも、長文を書いてみた!

そしてそれをiPhoneで書いてみた。

構成やストーリーは無視して。羅列してみた。事実や思いをただ連ねていった。そして大発見のような結論を導き出してみた、様な気になってみた。

それはそれで気持ちのいいもの?なのか実際定かではない。

このまま保存せず、アプリを閉じれば簡単にこの文章は消える。儚い!あまりに儚すぎる。

でも何の価値もない日本語の羅列は記号の羅列と変わらない。ストーリーや主張があってこその文章に価値がある。

なんの意味もない
この文章には

いや、ある。
自分の気持ちを落ち着かせる何かが

んー、「長くて意味のない文章を書く」って疲れる。