ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

【ネタバレ】永遠の0を読んで【長文注意】

2013-05-10 | 雑念
(長文)永遠の0を読んで(ネタバレ注意)

活字の面白さは人から無理強いされてもわからない。特にファミコン世代の自分にとって夏休みの「読書感想文」など拷問に近かった。ただ大人になって文章の意味や実体験が少なからず増えてくると、ストーリーの情景や心理描写がリアルに心に染み込んでくる。

先日、村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が話題となって店頭に在庫が無いというまるでドラゴンクエスト3を思い出すほどの人気小説を手に入れた。それは単純にミーハーな心が無かったとは言えないが、たまには小説でも読んでみるかという興味本位と発売のタイミングが合致した。そして「面白い」と感じたのである。そこに世界がもうひとつあるような不思議な爽快感が駆け抜けた。

底知れぬ小説の魅力を再発見し、活字中毒になりかけている。あれほど小説を読む事が苦であったゲーム少年がである。飽き性でもあるので短期間の中毒症状かもしれないがとにかく何でもいいから「ストーリー」を味あわせろ!てなもんで本屋さんに向かう。

最近テレビで観た「本屋大賞」の百田尚樹著「海賊とよばれた男」に興味があった。店頭でも平積みで特設コーナーがあった。やっぱり面白いんだろうなあと購入直前までいっていたが、その隣の彼のデビュー作「永遠の0」が気になった。文庫本で安いというのもあった。さすがに本屋大賞と言えども自分が好きになる文章なのかどうかはわからない。ハード版上下で結構値が張るわけで、いわゆる冒険するまえに文庫本で試すという思考回路が働いた。

結果「永遠の0」読み終えた。

これは面白い!百田さん!デビュー作でこれはすごいわ!
期待値をはるかに超えた。

自分が住む鹿児島には知覧特攻平和会館があり、年間通して修学旅行生が平和学習と称して訪れる。移り住んで初めて戦争の歴史を近くで感じる場所である。今まで広島や長崎、沖縄など戦争と日本を考える場所に行った事があるがあまり本気で考える事がなかった。平和学習と言いながら全く学習などしていなかったのである。まあ一般的な学生のひとりであろう。

学校生活の中で社会や歴史の授業での戦争はどこか別の土地で別の人間が昔やっていた出来事を資料として読む程度に思っていた。まあ「受験勉強の一科目」。歴史の出来事はいわゆる記号のひとつであった。

これも大人になって少し考える事ができるようになったためだろう。なぜ政治家が靖国参拝をテレビで報じられ問題になっているのか?教科書問題として歴史認識がどうとか、憲法改正の是非が、9条?

歴史は教科書の中の記号ではない。歴史は今の自分の生活の中に存在するんだなあと改めて思う。日本は徴兵制度もない。なのに日本はアジア諸国とのいざこざを今もやっている。数年後は中国や韓国、北朝鮮と少なからず軍事衝突は避けられないだろうなぁとつくづく思う。

「永遠の0」の宮部(登場人物)の様に愛する為に自分は何ができるのだろう。単純に特攻隊は嫌だけど。

でも日本国民がメディアに煽られて、「特攻=名誉」という建前を強要していた事実は拭えない。大多数が特攻バンザイだったのだ。今の北朝鮮と変わらない。国民一人一人がそれを認めていた、と言わざるをえない。

心の中に「それはあかんやろ!」と思っていたはず。そう信じたい。作中でも特攻隊員の「天皇バンザイ」の手記から特攻とテロリストを同一視する新聞記者が登場するが、全く違うと自分も思う。

社会がそうさせていた。望んでいないのに「お国の為に」と死ぬしか選択肢がないようになっていた。

今の日本人から見たら「何で嫌なのに嫌って言わないの?」てなもんでしょう。実際自分自身も自分の行動を無理強いされるのは嫌だし、「NO」と言える日本人だと思っている。

でも社会全体が緊急事態に陥って戦争になったら?素直に間違った事を「間違っている」って言える?想像もできないが、相当な勇気が必要だと思う。非国民だとののしられて社会から抹殺される。いわゆる現在のいじめの構図と一緒である。

実際いじめ問題を解決できない日本社会は正義が抹殺される危険性を孕んでいる。

現代の学生は特に「KY」などと言う言葉ができるくらい他人にどう思われるかを気にした人がたくさんいる。個性の時代だといい、多様性がどうとかいわれるが、今の若者が社会の流れに反骨精神を見せるとは到底思えない。「めんどくさい」のだ。自分が安全であれば、自衛隊が頑張ってくれ!と特攻を認めるかもしれない。現に当時「志願兵だから」と特攻させられていたのだから!

そんな時代に大切な事は、多くの近しい人たちと話をして「間違った事を間違っている」と言える関係を多くの人とつくることだと思う。傷つく事から避ける現代人は自分の意見や自分と考えが異なる人とは関わらない。自分もそうだし。

またネットの匿名性の中で炎上させているような卑怯な議論は結局究極の判断をしなければならない時、弱者を犠牲にするという判断を下してしまうだろう。

作中のエリート達の判断ミスが戦争を長引かせ、特攻を生んでしまう。現在の官僚達にもあてはまるような危険性が存在している。だから!だからこそ!である。

コミュニケーションの時代と言いつつ、他人の顔色を見ながら嫌われないように学校生活をそれなりに過ごし、影で塾に通ってエリートを目指す。これでは数百年後の日本が心配である。もっと早い段階でガタが来る?

とにかく危機感を持つ必要があることを感じた。

確かに心は動いた。感動したのだ。
それをどう表すのか?

やっぱり「教育」「学び方」「学校では教えてくれない生き方」にたどり着く。当然我々大人が率先して話し合う必要がある。そしてその生き方を次世代に示す必要がある。

それはやはり学校の科目には決して見つからない。

部活動?いやいや結局、軍隊と変わらないトレーニング方法が問題視されてるじゃん。戦後日本はGHQに再教育されたように錯覚されているが、何も変わっていないのではないだろうか?単純にメリケンの都合のいい合理主義を植え付けられて、カモにされているだけじゃないか?

日本は今「日本人の生き方」を考える時期に来ているのではないか?

当然、軍事もさることながら教育や文化、経済や政治もすべてが時代とともに悲鳴をあげて「早く卵からかえりたい」と中からクチバシでつついているのではないだろうか?

そんなところまで想いが広がって、ふと小さな文庫本を見直してみる。

すごい壮大な世界が広がっていた。
本て!
よし次は百田尚樹作品を読んでみよう。

まあ文庫本が出てる作品から!