フランスの田舎の町ルルドに行った時である
小高い城跡に登って町を見ていると
教会の塔のまわりをたくさんのツバメが飛び回っていた
この光景は何かを思い出すなあと考えていたら
「幸福の王子」
王子の像の宝石を貧しい人にツバメが運んでいく物語である
ルルドには奇跡を起こすといわれている泉がある
しかし、この世に奇跡などあるのだろうか
その昔、ベルナデッタという少女が洞窟で聖母マリアを見た時から
この奇跡の話は始まった
結局のところ、泉の水に病気を治す力が有るのかどうかわからないが
ベルナデッタという少女が人を助けようとした事
病気の人が直りたいと祈ってこの場所に集まったのは確かだろう
その気持ちを象徴していたのが「水」だった
この「人を助けたい」とか「生きたい」と思う気持ちがたぶん「奇跡」なのだろう
ふだん「人を助けたい」とか「生きたい」とか真剣に思うことは少ない
それが、この土地では思うことができた、という事が奇跡なのに違いない
人間には相手を傷つけてでも自分が幸福になろうとする心と
自分が犠牲になってでも他人を助けようとする両方の心がある
そういう矛盾みたいなものを少し考えてみる場所として
教会は有るのかもしれない
小高い城跡に登って町を見ていると
教会の塔のまわりをたくさんのツバメが飛び回っていた
この光景は何かを思い出すなあと考えていたら
「幸福の王子」
王子の像の宝石を貧しい人にツバメが運んでいく物語である
ルルドには奇跡を起こすといわれている泉がある
しかし、この世に奇跡などあるのだろうか
その昔、ベルナデッタという少女が洞窟で聖母マリアを見た時から
この奇跡の話は始まった
結局のところ、泉の水に病気を治す力が有るのかどうかわからないが
ベルナデッタという少女が人を助けようとした事
病気の人が直りたいと祈ってこの場所に集まったのは確かだろう
その気持ちを象徴していたのが「水」だった
この「人を助けたい」とか「生きたい」と思う気持ちがたぶん「奇跡」なのだろう
ふだん「人を助けたい」とか「生きたい」とか真剣に思うことは少ない
それが、この土地では思うことができた、という事が奇跡なのに違いない
人間には相手を傷つけてでも自分が幸福になろうとする心と
自分が犠牲になってでも他人を助けようとする両方の心がある
そういう矛盾みたいなものを少し考えてみる場所として
教会は有るのかもしれない