自分というのは最小ユニットであるが
どこまでが自分の輪郭であるかは定かでない
風呂に12時間くらい入って皮膚がゼラチン化してくると
どこまでが自分でどこからがお湯かわからなくなるし
歯科で麻酔を打たれると
どこまでが自分の顔かわからなくなる
眠りにつくと
どこまでが夢でどこからが外の闇かわからなくなる
というか、そういうことを考えて
どないするねん
そういうことが哲学とか
学問になってるとすればどこか間違っている
そんな暇があるなら
ニンジンを植えたり、サンマを捕ったりするほうが
よっぽど有意義な気がする
といいながら
考え込む台風通過後の秋の夜長である
どこまでが自分の輪郭であるかは定かでない
風呂に12時間くらい入って皮膚がゼラチン化してくると
どこまでが自分でどこからがお湯かわからなくなるし
歯科で麻酔を打たれると
どこまでが自分の顔かわからなくなる
眠りにつくと
どこまでが夢でどこからが外の闇かわからなくなる
というか、そういうことを考えて
どないするねん
そういうことが哲学とか
学問になってるとすればどこか間違っている
そんな暇があるなら
ニンジンを植えたり、サンマを捕ったりするほうが
よっぽど有意義な気がする
といいながら
考え込む台風通過後の秋の夜長である