昭和20年の夏、われわれはとんでもない日常を送っていた。
もちろん、年代によって、住んでいた地域によって、置かれていた環境などによって、「とんでもない日常」はさまざまだった。
当時の私は、国民学校(今の小学校)5年生。日本の国の実情など、深くはしらない。
私どころか、両親にしても町の指導者層にしても、戦況の悪さはうすうす感じてはいたはずだ。沖縄が悲惨な状況に置かれていることも、おぼろげながら知っていた。だから、「いずれ太平洋沿岸から、鬼畜のごときアメリカ軍が上陸してくる」という危機感は持っていた。私たちの住んでいた田舎町ですら空襲に遭ったのだから、そのように思うのは当然だった。
そんなある日、広島の原爆投下を知った。新聞やラジオでは、「広島市に新型爆弾が投下」と報じていた。
「悲惨な戦争を早く終わらせるため、原子爆弾の投下はやむをえなかった!」
平和主義者ヅラのアメリカ人が、今でも平気でそんなことを言っている。
チャンチャラ可笑しくって聞いていられない。手前勝手な言い訳に過ぎない!
もっとも、世の中の正義とはそんなもの。今さら怒っても仕方がないか……。
広島と長崎の原爆投下に慌てたソ連が、宣戦布告なしで日本に総攻撃をしかけて来た。これにもそれなりの論理があったに違いない。きっと「日露戦争」を持ち出すはずだ。
私は小賢しい平和論を信じない。あのようなものは、「国益」という「怪物」によって、いかようにでも解釈できる。
いずれにしても、私はトルーマンを許さない! 私はスターリンを許さない!
正義とは鬼の方便原爆忌 鵯 一平
「学べば学ぶほど……」なんぞと下を向いて言い訳していたくせに、今頃になって、チョロチョロと永田町に出没している「お子様」も目障りでならぬ。
「小便を済ませて早く寝ろ!」
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