退院後間もないので、慎重を期して外出は控えている。
したがって、写真は蔵出しもの。
10日間余の入院生活で、病院のみなさんには大変な世話をかけてしまった。
とりわけ病棟の看護婦さんには、昼夜を問わず親身になって看護して頂いた。
独身時代は、「白衣の天使」として憧れていたが、「後期高齢者」に近い今は、可愛い孫世代の娘さんたちの献身的な行動力に、私は感謝と賞賛を惜しまない。
その「看護婦」さんも、今は「看護婦」とは呼べない。
呼び方としては「看護師」が正しいのだ。
胸の名札は、「看護師 ▲□ ○◎子」となっている。
法律上の呼称は、「看護師」や「助産師」と表記されているのだ。
もっとも、当の本人たちは、自分を「看護婦」と呼んでおり、上司を「婦長さん」と呼んでいる。これにはホッとした。
なぜそのような事態になったのか、詳細には承知していない。
基本的には、「男女同権」の意識に発した「男女雇用機会均等法」や「ジェンダフリー」の考えが、影を落としているのだろう。
いつの間にか、看護婦が看護師、助産婦が助産師、スチュワーデスが客室乗務員となった。
「看護婦」や「助産婦」や「スチュワーデス」という呼び名を、今までも、私は蔑称として使っていない。
むしろ、感謝や憬れや親しみや敬意をもって呼んでいた。
男の看護職に対する呼び方は、「看護士」でいいではないか。
助産婦は助産士、スチュワーデスはスチュワードと呼んで不都合はあるまい。
「女らしさ」を求め過ぎた男社会に対し、女性たちの反乱なのだろうか。
「ジェンダフリー」の先頭に立っていそうな人たちの顔が、そこここに見え隠れする。
男には「男らしさ」を、女には「女らしさ」を求めてはいけないらしい。
やはり、「女らしさ」を求めることで女性の隷属を強いた「男社会」が、このような反発を招いているのだろう。
「ジェンダフリー」運動の一環として、行き過ぎた性教育も云々されている。
常軌をを逸していると感じているのは、固陋な考えなのだろうか。
間もなく雛祭りがやってくる。
なんとも優しげな、「明かりを点けましょ、雪洞に……」の旋律は、いつ頃まで聞くことができるのだろうか。
ここまで反発されながら、まだ理解できていない私のような男がいる限り、「ジェンダフリー」の運動は続くのか。
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看護婦で通していたものを、女性の看護師と書くか、身なりを描き、女性と分かるように表現しなければならないですものね。
などといっては、時代に取り残されるのでしょうか?
個人的なことなら旧弊と言われようと、「看護婦さん」で押し通しますが、公に出すモノとなれば、気遣いが必要なのでしょうか。
ひところ、「言葉狩り」が横行し、抵抗して筆を折った作家がおりましたね。
落語の世界も大変なようです。
アチラ立てればコチラ立たず。
文化が変わります。
そのとき思った事はそういう方法でしか教えられないのか??と・・・・ただただびっくりしました
女性が元気になることはいいことですが権利だけ言うのはいけませんね 気をつけるようにします
男は男らしく女は女らしくはいいことだと思います。
ただ男性から思う(考える)女らしさと少しずれがあるかlも知れませんね と思います
ただ男らしく・女らしくの前に「人として」をつけるとやさしくなるのではないでしょうか?
とよく話すことがあります
ちなみに我が家は「カカアデンカ」の家です (^_-)-☆
うまくいっています
勾配綺麗です ぎっしり咲いて青空の色といい雰囲気です
男性から期待する「女らしさ」と真の「女らしさ」に違いがあるかもしれません。
しかし以前と違って、「女三界に家なし」とか、「節婦二夫にまみえず」などを言う世の中ではありません。
どんな馬鹿な男でも、男女同権の大前提に立ち、隷属させる対象の女性として、「女らしさ」を求めることはなくなっているのではないでしょうか。
ただ、愛玩用の娘や孫に、愛するが故に、過度の「女らしさ」を求めるかもしれません。
私などは危ない。
飾りたがる。危険思想かもしれませんね。
「七五三は女の子らしく着物でやれ」とか、「男は羽織袴だろう」とか、言いそうな自分を感じます。
従わせようと思っているわけではなく、ただただ可愛いから飾りたい!
きっと迷惑でしょうねえ。
「ジェンダフリー」は理念と具体的行動が違っています!
職業運動家にやられ過ぎている。
師と士の違いはいろいろ言われていますが、
看護師になった時一緒に働いていた看護科長が師の文字に決まった時大喜びしていたのを記憶しています。
私も男の看護師さんって思ったけど病院においては頼もしい存在になってきたと思います。私は女ですので入院した時、それぞれの特徴を生かしてほしいと思います。
看護師に対するセクハラなど今は大変な仕事と考えています。難しい
女らしさと男らしさはまた別と考えております。
少しきつい言い方かもしれませんがお許しのほどを・・
私も、この年になりますと、多少柔らかくなりましたが、若い頃はガチガチの「ジェンダーフリー」派?でした。
でも、今は違いますから、ご安心ください。。。(笑)
「女性らしく」素敵な事ではありませんか。「男性らしく」もまた然り。
言葉狩りもそうですが、あらゆることをあまりに声高に主張するのは、還って逆効果だと思っています。今流行りの、品格の問題?とでも言っておきましょうか。
ひよどりさんは、上品な方ではないですか。私も、見習いたいと思っています。では、また明日♪
「婦」と「師」、「士」の違いに人それぞれの思いがあるのですねえ。
「婦」が「師」に変わったとき、「看護科長さん」が大喜びをなさったとのこと、少し考えてみます。
見えないところの真実を勉強してみます。
私の「憬れ」としての「看護婦さん」にとって、やはりセクハラが大問題とは、とても残念で、口惜しいです。
一部の不心得が、男性の代表とは思わないで下さい。
意味深長なお言葉を頂きました。
「老いの一徹」が、不用意に顔を覗かせます。
方法論で上手にまぶすことが出来なくなります。
一徹と品格が同居できるかどうか?
つまり、一徹の内容(質、品格)が問題なのでしょう。
このような言葉遊び自体が、詭弁を弄す下品な所業かもしれませんね。
ありがとうございました。
以下、沈思黙考。