晩秋、故郷の海です。
この日は穏やかに凪いだ海でしたが、暗い雲が垂れ込めていたせいか、荒れた感じに撮れました。
私の生れ育った家は、ここから2キロほど離れたところ。
また、数百メートルほどのところに、詩人野口雨情の生家があります。
この砂浜には、いろいろな思い出が詰まっています。私にとっては原点の一つです。
当時、この辺りは遊泳禁止になっていました。浅いように見えて、急に深くなっているのです。
イシモチ釣りにはよく来ました。滅多に釣れたことはありません。
釣り人はたくさんおりました。いい仕掛けの竿を持った大人たちです。
私は竿なしでした。錘をしっかり持ち、引き波を追って行って、沖を目がけて放り投げるのです。
私のような子供に引っかかるのは、イシモチではなくほとんどフグでした。フグはその場で捨てました。
昭和20年(1945年)7月、ここの沖合に停泊したアメリカ第七艦隊が、陸に艦砲射撃をしたことがありました。豪雨の深夜でした。
こんな近くにまでアメリカ艦隊が近づいたのですから、日本が戦争に勝てるはずはありませんでしたね。
成長してから後、私はこの海から、生きる勇気をたくさん貰ったつもりでいます。
そしてまた、沢山の悔いを捨てました。ふるさとは悔いの捨て場所でもあるようです。
悔い捨つるためのふるさと秋深し ひよどり 一平
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