新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

宴の終わり

2015年08月24日 07時14分46秒 | 身辺雑記

 昨日、孫を親元へ送って行った。

 私の夏の宴は、つつがなく終焉を迎えた。

 九月には私の誕生日がやってきて、馬齢をひとつ加えることとなる。

    かなかなに暮れて宴のはねにけり    ひよどり 一平

     (かなかなにくれてうたげのはねにけり)

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煙草とパチンコ

2015年08月20日 17時07分16秒 | 身辺雑記

 季節の巡りは、さすがに忠実ですねえ。

 秋雨が降り、にわかに秋めいてまいりました。

 我が家の前の道路は、いわゆる「抜け道」的な機能があるらしく、時刻によっては車の往来が激しくなったりします。

 人通りもあります。その中に、我が家の前で決まってタバコの吸い殻を捨てる人がいます。3~4人かなァ。

 捨てる時間帯は夜。

 100メートルほど先にパチンコ店あるので、帰る道すがらに捨てて行くのではないでしょうか。

 きっと負けたのでしょうね。

 いずれもフィルター付のタバコです。

 よほどの愛煙家らしく、吸い口のギリギリまで吸って、ポイと捨てています。

 私がそのあたりにいるときには、手前か先へ行って捨てます。一応は悪いと思っているのでしょう。

 私もパチンコに嵌まっている時代がありました。20代の終わりころまでのことです。

 神田からお茶の水まで、パチンコ店をハシゴしたこともありました。とても疲れたものでした。

 いまのパチンコは、昔とは違って、身体にも気分にもいいらしいですね。

 不器用だったのか熱意がなかったのか、儲かったことはほとんどありませんでした。馬鹿らしくなって止めてしまったのです。

 麻雀のほうが面白くなったからかもしれません。

 煙草は50代のころに止めました。止めた理由は健康問題でした。今は、止めてよかったなァと、しみじみと思っています。

 禁煙できなかったら、いま以上に病気をしたに違いありません。持って生まれた病弱な体質だったのでしょう。情けないことです。

 頑健な人にとって、煙草の害はきっと認識できないのだろうと思います。とてもとても羨ましいことです。

 

 

 

 

 

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過去型と未来型

2015年08月17日 08時34分35秒 | 身辺雑記

 今朝は雨。だいぶ涼しくもなった。

 孫たちも静かな朝を迎えている。

 話題の傾向として、過去型と未来型があるようだ。

 「小学校3年のとき、喧嘩した相手の子に怪我させちゃってねェ」

 「東京オリンピックの年に、徹夜麻雀で3万円やられ、家まで歩いて帰えったっけ」

 こんな話題が多い人は、どちらかち言えば過去型。

 「この手術が成功したら、沖縄の海を満喫したいなァ」

 「いっそのこと今のカアチャンと別れて、のんびりと一人暮らしをしようかなァ」

 このような人は未来型。

 きっと年齢にも関わることでしょうね。

 過去の記憶に舞い戻って、ウダウダと後悔ばなしや自慢ばなしをするのは、老人に多いかもしれない。

 同じ愚痴るのであれば、未来型がいいのかなァ。

 いやいや、いずれにしても、愚痴が多いのは身体に悪そうですね。

 過去の楽しい思い出で自分を慰めたり、ささやかな未来を夢見るほうが、健康的かもしれません。

 写真は裏磐梯の一景。

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未帰還兵

2015年08月14日 16時27分58秒 | 写真俳句・エッセー

 八月は心が波立つ月であり、鎮魂の月でもある。

 ヒロシマ、ナガサキの原爆の日であり、十五日はポツダム宣言を受諾し、敗戦を世界に宣言した日であった。

 まったくひどい戦争をしたもんだ。

 当時小学五年生だった私は、否も応もなく、歴とした軍国少年だった。

 「しっかり勉強して、特攻隊に入るんだ!」と、イノチガケで思っていた。教育とは恐ろしいものだ。

 あれから70年が経った。

 瓦礫の中での食糧難時代は、空きっ腹を抱えて、親たちの背中見て育った。

 「安保改定反対」の頃は、よく理解もせずに、デモ行進に参加していた。タダで貰えるお弁当に魅力があった。

 東京オリンピック以降の高度成長時代は、厭も応もなく、産業戦士の一員だった。

 今は一介の高齢者。

 先の戦争では叔父二人が戦死した。遺骨は帰って来なかったそうだ。

 その娘たち(つまり、私の従妹たち)は、孫たちに囲まれ、静かな余生を送っている。

 憲法九条を堅持すれば、国を守れると思っている人たちがいる。

 果たしてそうなのだろうか?

 明日はまた、八月十五日がやってくる。

   八月や未帰還兵に叔父ふたり   ひよどり

 

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タカコさんとフミエさん

2015年08月12日 20時42分04秒 | 身辺雑記

 わが輩は猫である。名前はあるが言わない。

 ときどきはこのブログで、わが輩の眼に飛び込んだ人間どもの可笑しさや悲しさを書きたい。

 今日の話題は、タカコさんとフミエさんのことだ。

 二人とも60歳代の中ごろで、わが輩よりはかなり若い。

 タカコさんは痩せぎすで、フミエさんはふっくら型。共に顔立ちが良く、元美人といったところか。

 ちょっと見には親友関係なのだが、そこがなかなかややこしい。

 二人のそもそもは、その昔、タカコさんがママとしてスナックを経営していた30代の頃、フミエさんはその店の従業員だった。だからかれこれ30年来の付き合いになっているはずだ。

 タカコさんは最初のダンナと離婚し、二度目のダンナは3年ほど前に亡くなり、その後同居していた母親にも逝かれてしまった。

 フミエさんもかなり以前に離婚し、長い間ひとりぼっちだったとか。

 経済的に余裕のあるタカコさんが、お互いの寂しさを慰め合う意味合いを含め、買い物や掃除の手伝いをしてもらうため、フミエさんに週3日ほど家に来てもらっているとのこと。もちろん、相応の報酬は月給として支払われている。

 ところがこの二人、なかなか気合いが合わない。タカコさんは雇用関係と思っているのだが、フミエさんは友人関係の延長のつもりのようなのだ。

 フミエさんにしてみれば、雇用されている意識よりも友人の意識が強く、友人としての厚意でお手伝いをしているつもりなのではないか。

 雄猫のわが輩には、女ごころの微妙なヤリトリは理解できない。

 タカコさんはイライラし、そんなタカコさんに戸惑っているフミエさん。

 ひょっとしたらタカコさんの心の中に、フミエ依存意識が強くなっているのかも知れない。

 人間の社会では、男女を問わず、高齢者の話題は難しい。

 わが輩のような猫の世界よりも、人間どもの世界は分かりにくい。

 それもこれも、キレイゴトで済まそうという意識が入り込むからではないか。

 

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