新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

草の花

2015年08月11日 22時35分16秒 | 身辺雑記

 猖獗を極めていた猛暑も、ここのところ、幾分かやわらいできた。

 とは言え、まだまだ熱中症に対する注意は必要とのこと。

 甲子園で行われている高校野球でも、足が吊るなどの症状を示す選手がいるようだ。それにしても、元気な若者たちだ。

 しかし、「目にはさやかに見えねども」、秋の気配が忍び寄って来ている。

 子供たちにとっては、宿題が気がかりになり始める頃だ。八月のお盆が過ぎると、にわかに焦り始めて可哀想なほど。

 始業式までの宿題のない私ではあるが、気がかりなあれこれはあるにはある。

   死ぬ病得て安心(あんじん)や草の花    森 澄雄

 今は亡き俳人の森澄雄さんの句だ。

 糟糠の妻アキ子さんを亡くしたのち、わが身の癌を発見された折りに詠んだ句とのこと。

 「これでやっと死ねるんだなァ」と思い、一種の安心を得たのだそうだ。

 成り行きにまかせようと思っていたとか。

 そんな中、

   やすらかやどの花となく草の花       森 澄雄

 という句が得られたのだそうだ。

 「まったく理解できない」というほどではないが、とても私にはその境地に到達できていない。

 死の恐怖に強く怯えているわけではない。現世に未練が強く残っているわけでもない。まだまだ割り切れていないのだ。

   これからのあれこれ思ひ草の花    ひよどり 

 やはり、覚悟ができていないということなのか。

 

   参考  草の花

        秋は野山や路傍を問わず、多くの草が花をつける。

        それらの花の多くは、春や夏の花と違って寂しくて可憐だ。

        俳句ではそれらの花を「草の花」として、秋の季語にしている。

      

 

 

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立秋

2015年08月07日 20時48分20秒 | 身辺雑記

 今日8月8日は、暦の上で立秋。

 連日、テレビ画面では、「熱中症にご注意を!」と叫んでいる。とんと「秋立ちぬ」の雰囲気ではない。

 相応しい写真を探してみた。一昨年の8月11日に芝増上寺付近で撮ったもの。まだ秋の芒とは言えない。

  秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる   藤原敏行   (古今和歌集)

 確かに秋はそんな感じでやって来るのだが、今はそんな状況ではない。日々幾人かが熱中症で亡くなっている。

 我が家では今日から孫娘がやって来る。つまり夏休みなのだ。私にとって至福の日々。どう考えても秋ではない。

 そんな気分ではありながら、一方では、暦を見ながら夏休みの日数を惜しみ、意地悪な秋の到来を感じる日々となる。

 一般的には、暑さにうだりながら秋を待つ気分が「晩夏」なのだが、私の気分はまるで真逆。学生・生徒の気分と同じだ。

 とかく老人は、世の動きには従い難い。

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新型爆弾

2015年08月06日 14時55分16秒 | 身辺雑記

 70年前の今日昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。

 翌々日8月8日の読売新聞の朝刊に、

   「B29 新型爆弾を使用」の見出しで、

   『大本営発表』(昭和20年8月7日15時30分)

     一  昨八月六日広島市は敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じたり

     二  敵は新型爆弾を使用せるものの如きも目下調査中なり

    落下傘で中空爆発

      家屋倒潰と火災  正義は挫けず  見よ敵の残虐

  という記事が載った。

  次ページには、「広島の訓教」というタイトルで、

   「侮るな少数機 適切な待避こそ肝要」 という解説記事が載っていた。

   あれから70年の歳月が流れた。

 核廃絶は叫ばれているが、果たして効果は上がっているのだろうか。

 日本人は、「非核三原則」などと言って自分で気分を良くしているが、国際的になんら意味を持たない。

 世界の強国は、核拡散なんぞと都合のいいゴタクを並べながら、核兵器の高度化を進めているに違いないのだ。

 冷厳な国際力学の中では、キレイゴトだけで生き伸びることはできない。

 さればとて、イスラエル、インド、パキスタン、イラン、北朝鮮などなどのように、日本の核武装が可能になるとは思えない。

 無法な核保有国から日本を守るには、同盟国との紐帯を強めることで、抑止力を高めることが必要なのではなかろうか。

 安保法制の真摯な論議を強く求めたい。

 

 その日の「陣影」というコラムで、

    たばこの配給がいよいよ5本から3本に減らされる。

    砂糖なしの生活には馴れた。酒の不自由さも大して苦痛とは思はなくなった。

    併したばこは砂糖よりも酒よりも辛いといふのが定説である。

    この減配は愛煙家にとって相当にこたへるあろう。

  などと書かれてあった。5本だって大変なことだろうに、それが3本になるというのだから、悲喜劇があったことと思う。

  そう言えば、「ヨモギ」や「玉蜀黍のヒゲ」を干して吸っていた人がいたっけ。

  現在は健康指向のため、禁煙に立ち向かって苦労している人が多い。

  私たちは、幸せな時代に生きていることを、心から感謝しなければならない。

  私の禁煙は約30年前からだが、途中で一ヶ月ほど戻ってしまったことがあった。

  しかし、その後再発起し、以降の20数年は一服もしていない。

  禁煙をしてよかったなァと、しみじみそのように思っている。

 

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カボチャ大好き

2015年08月03日 20時06分39秒 | 身辺雑記

 先の大戦末期ごろ、食べ物が無くて大弱りだった。

 もちろん、米や麦はほとんどなく、じゃがいも、さつまいも、かぼちゃなどをせっせと食べていた。

 それすらも不足がちだったので、母親の苦労は大変なものだったと思う。

 貨幣価値の変動が激しかったので、お札だけでは売ってもらえず、なんやかやと持って行ったようだった。

    花かぼちゃ記憶の底に母の影    ひよどり

 

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八月や

2015年08月01日 09時38分32秒 | 処世雑感

 今日から8月です。

 8月には忘れ難い日が重なっています。

 広島と長崎に原爆が投下された日。8月6日と8月9日。

 敗戦日は8月15日です。

 あの年から70年が経ったのですね。道理で私は間もなく81歳です。

 中国や韓国では、「戦勝」や「独立」の記念行事があることでしょう。

 我が国では哀悼の誠を捧げる一ヶ月となります。

 「首相談話」が注目されるのだそうですね。

 特に中国、韓国では、「反省だけではダメ。謝罪の言葉を入れろ」と言っているようです。

 村山総理は「痛切な反省の意を表明し、心からのお詫びの言葉を表明する」という談話を発表しました。

 小泉首相は「侵略についての反省」はしていたが、謝罪の言葉はなかったのではなかったでしょうか。

 箸の上げ下ろしから言葉の端々についてまで、イチイチ注文を付ける両国の姿勢には、正直のところウンザリ。

 ウンザリというより、「まことに失礼!」と、怒りすら覚えます。

 国内の批判勢力からも同様な注文が付いている様子。

 安陪総理は、「未来志向」の談話にするとか言って、「謝罪」を入れるとも入れないとも明言していません。

 中国や韓国にしてみれば、国内対策として「謝罪」の言葉がほしいのでしょう。なんともミミッチイことだ。

 韓国のナントカ大統領は、「怨みは千年忘れない」と言っていたのですから、謝罪の言葉は求めるのでしょうね。

 ともかくも、8月は重い月。

 戦火に果てた人々に思いを馳せ、心から追悼の誠を捧げたい。

 

   八月や消えし機影はまぼろしか    ひよどり

   

   写真は平成16年8月3日4時55分、裏磐梯秋元湖で撮影。

 

 

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