猖獗を極めていた猛暑も、ここのところ、幾分かやわらいできた。
とは言え、まだまだ熱中症に対する注意は必要とのこと。
甲子園で行われている高校野球でも、足が吊るなどの症状を示す選手がいるようだ。それにしても、元気な若者たちだ。
しかし、「目にはさやかに見えねども」、秋の気配が忍び寄って来ている。
子供たちにとっては、宿題が気がかりになり始める頃だ。八月のお盆が過ぎると、にわかに焦り始めて可哀想なほど。
始業式までの宿題のない私ではあるが、気がかりなあれこれはあるにはある。
死ぬ病得て安心(あんじん)や草の花 森 澄雄
今は亡き俳人の森澄雄さんの句だ。
糟糠の妻アキ子さんを亡くしたのち、わが身の癌を発見された折りに詠んだ句とのこと。
「これでやっと死ねるんだなァ」と思い、一種の安心を得たのだそうだ。
成り行きにまかせようと思っていたとか。
そんな中、
やすらかやどの花となく草の花 森 澄雄
という句が得られたのだそうだ。
「まったく理解できない」というほどではないが、とても私にはその境地に到達できていない。
死の恐怖に強く怯えているわけではない。現世に未練が強く残っているわけでもない。まだまだ割り切れていないのだ。
これからのあれこれ思ひ草の花 ひよどり
やはり、覚悟ができていないということなのか。
参考 草の花
秋は野山や路傍を問わず、多くの草が花をつける。
それらの花の多くは、春や夏の花と違って寂しくて可憐だ。
俳句ではそれらの花を「草の花」として、秋の季語にしている。