U-turn

2011-10-25 08:58:56 | Autobiography
年は明けて 1981 年…おいらは小学校の5年生になっていた。

このころのハヤリモノと言えば『ゲーム&ウォッチ』で、ひとつ持っていいないと仲間内から相手にされない勢いだった。
当時のゲームは…今のと比べると随分『牧歌的』で、1ハードに対して1ソフトしか対応していないため、直ぐに飽きる…。
だから、仲間が別々のタイトルを買って、集まって交換してやる…おいらは『ヘルメット』をねだってねだって…何とか買ってもらった。

最近の子どもらは…集まって別々のゲームをしている…なんて言えない…。
おいらなんて、そのスタイルの『ハシリ』だもん。

そんなことをやっていた頃に、親父が姉貴とおいらにとある質問を投げかける。
『引越すなら、熊谷市と大宮市、どっちが良い?』
小5のおいら…熊谷と言う地名は知っていたが、行ったことも無く…。
大宮は泉市に引越すまで住んでいたからよく知っている。
悩むまでもなかった…『大宮!』と即答…姉貴も全く同じ反応だった。

この質問の真意は直ぐに理解できなかったが、答えは間もなくやってきた。
『夏休みに引越しだ。大宮のあの団地に戻る。』

親父の転勤だった。
仕事場は大里郡寄居町…随分悩んだんだと思う。
仕事を優先すれば近隣の『中堅都市』熊谷だろうが、自分の住処として購入した団地が大宮にある。
街の規模、利便性は圧倒的に大宮が上。
だが…そこから通勤するとなれば、片道 50km 時間にして1時間半はかかる。

結果的には、自宅を取る…という決断。

うちら家族は3年と1ヶ月過ごした泉市の借家を払い、大宮に U-turn する。

姉貴は泉市にいるうちに中学生になったのでそうではないが、おいらは入学した小学校に戻ることになる。
『あの、野球を一緒にした仲間のところに戻れる!』
泉市でできた友達と別れることよりも、旧友との再会が嬉しくて。

真夏の夕方。
家族を乗せたクルマが泉市を離れる。
集まってくれた何人かの友だちに、笑顔で『じゃぁね!』って言ったように思う。

『残る寂しさ』が理解できるようになったのは、それから20年も経ってから。
家族の都合とはいえ、おいらはいつも立ち去る方だった。

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