長良川温泉 ホテルパーク

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川端康成さんの初恋の人に送った恋文 その2

2014-07-12 16:25:53 | スタッフ日記
"僕が十月の二十七日に出した手紙見てくれましたか"

"僕が十月の二十七日に出した手紙見てくれましたか。
君から返事がないので毎日毎日心配で心配で、ぢっとして居られない。
手紙が君の手に渡らなかったのか、
お寺に知れて叱られてゐるのか、
返事するに困ることあるのか、
もしかしたら病気ぢゃないか、
本当に病気ぢゃないのかと思ふと夜も眠れない。"

この書き出しで始まる手紙は、
1921年に書かれ、当時22歳だった
川端康成が15歳の女性に宛てた、
愛の言葉にあふれた内容。
相手の女性は「千代」こと伊藤初代(はつよ)、川端の初恋の人だった。

ふたりが出会ったのは東京だったが、
初代の住まいは岐阜。
川端は岐阜へ何度も訪れ、
東京で彼女と暮らすことを切望する。
初代もまた、東京へ行くことを望み、
ふたりは婚約写真まで撮影した。
ところが、事態は急転直下する……。

この初代との恋愛をモチーフに、
川端は『篝火』『非常』『彼女の盛装』といった、いわゆる「ちよ物」と呼ばれる作品群を発表している。

それほど川端の小説に影響を与えた女性へ送った恋文は、川端文学を研究する第一級の資料といえるという。
しかも、その手紙は投函されなかった。

 ノーベル賞作家の川端康成(1899~1972年)が暮らした神奈川県鎌倉市の自宅から、初恋の相手とされる伊藤初代(1906~51年)と交わした書簡計11通が見つかったことが8日、分かった。
相手への思いを綿々とつづった文面は若者の純愛を伝え、川端作品の背景を実証する貴重な資料となる。

 11通のうち10通は初代から川端宛て。1通は川端が初代宛てに書いた未投函の手紙だった。
初代は東京・本郷のカフェで働いていたが、岐阜県の寺の養女となった。
21年、22歳の川端と15歳の初代は婚約。
しかし初代は「ある非常」を理由に約束を破棄する。



御手洗池(みたらしいけ)のご紹介

2014-07-12 16:02:50 | 金華山:岐阜城
ホテルパークより
徒歩二分ほど

御手洗池(みたらしいけ)は、岐阜県岐阜市にある池です。
岐阜公園の北東部、日中友好庭園と
岐阜護國神社の間にあります。


以前、この池の後方の山にあった
伊奈波神社(金華山の丸山にあった)
参拝の際、この池で手を洗っていたことからこの名が付いています。

慶長5年(1600年)岐阜城主であった織田秀信は石田三成を中心とする派に付き、関ヶ原の戦いの前哨戦で岐阜城に立てこもるが、徳川家康を中心とする派の福島正則や池田輝政らに攻められて落城しました。

その折に城を抜け出した大勢の奥女中が当時長良川の淵だったこの池に投身自殺したといわれています。

また、この池にまつわる伝え話があり、釣り好きの子供がこの池で釣りをしていたら釣り針に女性の長い髪の毛が引っかかったという。
2014,7,12にも長い髪の一団が?

また付近のカジカカエルが投身自殺をした女中たちの生まれ変わりとの伝え話もある。このカエルは小田の蛙として民謡「お婆」の中で謡われている他、池畔にある句碑でも謡われています。

2014,7,12撮影

紫陽花も終わりかけでした。

御手洗池より東にある
護国神社では、
7/13日曜日に
かっぱ祭りの予定もあります。

お散歩がてら
いかがですか。