皆様、こんばんわ。
本日の法話会、ご参加ありがとうございました。
今日は、法話会の後、お通夜にお参りをさせて頂き、先ほど、帰宅致しました。
最近は、一日葬儀が多くなりましたが、今回は、お通夜を勤めて下さること有難いことです。
法話会でも、少し、お話をしましたが、この娑婆世界には、絶対安心というものなどありません。
というのが、仏教の世の中の見方です。
親鸞聖人は、阿弥陀如来様のご本願が成就し、南無阿弥陀仏とはたらいてくださること
が、唯一の真実であり安心ですとお示し下さいます。
安心を求めて、安心に執着すれば、それは、苦しむ源になります。
それでも、私は、毎日、安心を求めてしまいます。お金や保険や医者通い、とくに異常もなさそうだけど、
とりあえず、毎年の健康診断など、安心を得るためには、いろいろと大変です。
安心を得るには、時間もお金も手間もかかります。
私の持論は、「不安が、経済を支えている」
特に、日本人は、真面目で潔癖、完璧主義の方が多いです。
だから、平和で暮らしやすく、最高の国です。でも、なぜか、幸福度は低い。
理由は、未来が不安だからだと思います。不安の正体は、取り越し苦労だと言われますが、
本人は、未来に、今の不安が現実になると思ってしまうから苦しむのです。
日本人は、無宗教の方が多いと言われますが、そんなことはありません。
みんな、安心をもとめて、神社仏閣にお参りするのが、大好きです。私も同じです。
私、10年以上 沖縄の健康茶というものを飲んでいるのですが、効いているのかどうかわかりませんが、
日課なので、今更、やめられません。結局、私も健康にめちゃくちゃ執着しています。
昔、先輩の僧侶に、「住職に一番大切な事は、健康だ」と言われ、この方は、本当に僧侶なのか?と違和感を感じました。
なぜなら、先生から、この世で、一番大事なのは、健康ではないと教わるからです。
しかし、いざ、自分が、住職になるとその通りだと思ってしまいます。
ある先生は、日本人は、健康病にかかっていると言われていました。
昔読んだ 藤澤量正先生の本に、WHOの健康についてが載ってました。
だいぶ、古い本なので、今は、変わっているかもしれません。
「健康とは、病気でないということではない。何事に対しても、前向きの姿勢で取り組めるような精神・肉体及び社会的適応状態をいう」
そして、「環境に順応できるのが健康体であり、環境に適応できないものは病める人である」
健康の定義を教えて頂きました。
健康のために、ウォーキングを日課にされていた方が、交通事故で亡くなることもあります。
人間ドックを、毎年受けていたのに、亡くなる方などは珍しくありません。
健康に良い食事を心がけていた方より、毎日、お酒、たばこに、一切、食べ物を気を使わない方が長生きしたりもします。
思い通りにはいかないものです。
結局、仏教では、執着心が、苦しむ原因であるとしています。でも、わかちゃいるけどやめられないのです。
しかし、自分のこころを、仏教を通じて、知ることは、人生でとても役立ちます。
まずは、人間は、常に、不安な生き物であり、世の中に、絶対安心はないということです。
それを、どうにかしてやろうと、頑張るのはやめましょう。自然に任せることが一番です。
私は、浄土真宗という教えに出会ったからこそ、何とか生きていますが、
親鸞聖人の教えに出会ってなかったら、それこそ、欲と安心という幻想の迷いの中に引き込まれ、
人生、狂わせていたかもしれないと思うと、お寺に生まれたことに感謝しかありません。
それでは、おやすみなさいませ。