皆様、こんにちわ!
今日は、春分の日で、お休みの方も多いと思います。私は、なぜ、祝日なのだろうかと、今まで考えたこともありませんでしたが、ネットで、検索すると沢山、由来が出てきますので、気になる方は、検索してみてください。春分の日、太陽は、真東から昇り、真西に沈む、その沈む彼方に、日本人は、古来より極楽浄土に想いをよせてまいりました。
仏説阿弥陀経には、『釈尊は、長老の舎利弗に仰せになった。ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、極楽と名付けられた世界がある。そこには阿弥陀仏と申し上げる仏がおられて、今現に教えを説いておいでになる。舎利弗よ、その国をなぜ極楽と名づけるのかというと、その国の人々は、何の苦しみもなく、ただいろいろな楽しみだけを受けているから、極楽というのである。
私は、昔、西方に、極楽浄土があるというけれど、地球は丸いのだから、西方に行っても、いつか、元の位置に戻るではないか?と思いました。しかし、お釈迦様が、西方にあるという方角をお示し下さったのには訳があるはずです。私もいろいろな先生方のお話をお聞きすると、春分の日の太陽を、人間の一生に喩えて下さっている、「太陽が昇る」=この世に誕生する。「太陽が沈む」=この世を卒業する。また、ある先生からは、「西」という字は、鳥が、一日の仕事を終えて、巣に帰り休んでいる姿を現しているとお聞きしました。西が、生命あるものの帰る場所をあらわしてます。いつか、参らせて頂くお浄土は、やはり、西方がぴったり合うのだと思います。
そして、仏説阿弥陀経には、「十万億もの仏がたの国々を過ぎたところ」にとあります。仏様の世界は、それほど数多くがあるけれども、お釈迦様は、阿弥陀仏の極楽浄土を、お弟子の舎利弗に説かれています。仏説無量寿経には、阿弥陀仏が、修行者であった頃の名前、法蔵菩薩が、師の前で誓われた48の願いが説かれてありますが、その17願には、「わたしが仏となるとき、すべての世界の数限りない仏がたが、みな私の名をほめたたえないようなら、私は、決して悟りを開きません」とあります。
全ての仏様が、阿弥陀仏をほめたたえるのです。へんな喩えですが、この娑婆世界で、同業者が同業者を褒めるのって、凄いことだと思います。同業者同士であれば、当然、競争がありますから、「あの会社は素晴らしい仕事をする」とは、なかなか、褒めることはないはずです。つい、競争相手であれば、けちを付けなくなってしまうのが人間社会です。うちわの話ですが、お寺も正直同じです。
また、法蔵菩薩の願いは、師である世自在王仏の前で誓われたのです。仏様の前で、自分に対して、誓ったのです。人間が、人間の前で、誓うことはよくあります。親の前、上司の前、先生の前、また、選挙で、立候補者が国民の前で誓う、お医者様が、患者や家族の前で誓うなど、しかし、その誓いは、誓い通りに行くとは限りません。法蔵菩薩の誓いは、そのようなレベルではありません。誓いが成就しなければ、私は、仏に成らないという誓いです。師である仏様の前で、嘘や、いいかげんな誓いなど出来ません。
仏説阿弥陀経 「舎利弗よ、そなたはどう思うか。なぜその仏を阿弥陀と申し上げるのだろうか。舎利弗よ、その仏の光明には限りがなく、すべての国々を照らして何ものにもさまたげられることがない。それで、阿弥陀と申し上げるのである。また、舎利弗よ、その仏の寿命とその国の人々の寿命もともに限りがなく。実に計り知れない程長い。それで阿弥陀と申し上げるのである。舎利弗よ、この阿弥陀仏が仏となられてから、今日まですでに十劫という長い時が過ぎている。」
阿弥陀佛の救いには、条件が付いておりません。私は、すべての仏様の願いは知りませんが、お釈迦様も、阿弥陀仏をほめたたえているのです。お釈迦様も仏様のお一人ですから。ということは、仏様の中で、一番、優れた仏様であることを、お釈迦様が証明されています。法蔵菩薩は、ご修行を終えられ、阿弥陀仏と成られ既に十劫という長い時が過ぎている、17願の誓い通りに成就され、すべての仏がたがほめたたえる、優れた仏に成られているのです。ですから、お釈迦様は、阿弥陀仏を舎利弗に説かれています。
仏説阿弥陀経は、特徴がありまして、無問自説(むもんじせつ)の経です。お弟子様からの問いは、一切なく、お釈迦様が一方的に舎利弗(しゃりほつ)に説かれているのです。ですから、何度も舎利弗というお弟子の名前が出てまいります。この舎利弗を、ある先生は、自分に置き換えてみてくださいと教えてくださいました。お釈迦様は、何度も何度も、〇〇よ〇〇よと、阿弥陀仏の救いを私のために、説かれていると頂いてみてください。