今日も暑かったので、夕方から境内のお掃除を始めましたが、今年初めてファンベスト着ました。
さて、皆さんは、今日から心を入れかえて、良い人間になろうと思う事は無いでしょうか?逆によく本のタイトルにあるように、「いい人を辞めたら、心が軽くなった」と言う感想を見て、私も、いい人を辞めよう決意したことはないでしょうか。私は今まで何度もありますが、何度も失敗しております。私たちは、簡単に変わることなどできないのであります。良い人間になろうとしても、悪いことをしてしまい、またその逆もあります。良い人間になろうと思っても、結局は苦しみ、もう良い人間はやめたと思っても、結局は苦しむのであります。生き方は、自分の思い通りにならないのであります。時々、あの人は、自分の思い通りに、自分の思ったことを言い、思った通りに行動し、きっと悩みもないんだなぁ、うらやましい人だと思うのでありますが、案外、その人も思い通りに生きていないのかもしれません。思い通りに生きられないのは、私たちの前世の行いが、今の自分を作っているからであります。決して運命ではなく、私の行いが、今の私を作っているからであります。ですから、思い通り生きられないのは当たり前であり、受け入れていくしかないのであります。生き方に対する本は、たくさん出ています。それだけ、みんなどう生きればいいか悩んでいるからであります。しかし、次から次と出版されるには、理由があります。本を読んでも、読んだ時はなるほどと思うけれども、結局その通り生きられず、また、別な本に手を出すのであります。なぜそんなことを言えるかと言うと、私がそうだからであります。生き方に対する本は、持っておくと役には立ちます。何度か読み返すと良いこともたくさんあります。でも、浄土真宗では、生き方を説かないのであります。みんな、お互い前世の行いが違いますから、現世での生き方も違うのであります、そして、生き方に正解などないのであります。何より如来の救いに条件はございません。良い人間にならなければ救われないと、条件を出されたら、私は救いから外されます。