大10同好会

普通の高齢者の生活と情報

朝青龍考(土井)

2010年02月03日 17時29分40秒 | Weblog
朝青龍が袋叩きにあって、解雇か自ら身を引くことを求める報道が圧倒的です。
それに加えて今日、今現在で協会の対応が生ぬるいという批判も高まっています。

確かに朝青龍のこれまでの言動には批難されるべきものがあり、それなりの制裁も受けています。
しかしそれを克服して堂々と優勝し、立派に横綱の責任を果たしています。
大多数の意見の如くに報道されている要点は「これまでに何度も不祥事を起していて、今度やったらお終いだという状況にありながらまたやったのだから、もう許すことは出来ない」というものです。
そして本場所中に酔っ払う程酒を飲むこと自体とんでもないことで、横綱の品位と資格を欠くものだともいわれています。
それを全面的に否定する訳ではありませんが、場所中に大酒を飲むのは不謹慎だという考えの根底には、そんなことをしていてまともな相撲が取れる筈がないという一般常識が働いています。
しかし彼の場合、堂々と相撲を取りきって優勝までしているのだからそれは当たりません。

今回の件は言ってみれば仲間内で酒を飲んで、酒の上で若干のトラブルがあったというもので、何も大袈裟に取り上げて騒ぎ立てる程のことではないと思います。
日本人の場合は弱くて責任を果たせない大関でも批難せず、外国人なら大目に見るということをせず、厳しく糾弾するのは如何なものでしょうか。
考えてみても欲しいのですが、一人横綱の時も、二人横綱になっても、相撲界を背負ってその役割を果たしてきた一大貢献者の青年です。
感情が先に立って判断を過ち、追放にまで追い込むべきではないと思います。

人格の形成・パートⅡ(土井)

2010年02月01日 14時55分04秒 | Weblog
歳をとる程月日の経つのを早く感じるようになってから既に何年経つか分かりませんが今年も今日は二月の朔日です。
日経の「私の履歴書」もプロゴルファーの青木功に変わりました。
はっきり知らなかったのですが青木は67歳で、昨日最終回を書き終えた細川護熙は我々と同年代でした。
その細川元首相の昨日の最終稿は「私の死亡記事」と題して、自らの死亡と業績を伝える記事と、架空の大学の学長と陶芸家のコメントの形を借りて我が人生を総括するユニークな手法をとっていて面白かったです。
(自己採点がやや甘いのは誰の場合も例外なくそうですが・・・・・・)

細川自伝の中で印象的だったことの一つに漢書の丸暗記とそれを声に出して唱えること(所謂「師曰く友あり遠方より来るまた楽しからずや」といった類です)が人格の形成上計り知れない役割を果たしたというような記述がありました。
それが何故印象的だったかと言うと、これまでに色んな機会から、寺子屋の素読・丸暗記教育はその場では何の意味か解らなくても、自然に心の糧となって必ずその後の判断基準や生き方に大きなプラスをもたらすものだったという考え方に自分なりに同調していて、その一例が具体的に示されたからに他なりません。

教育基本法がどうなのか、日教組がどんな考え方とやり方をしているのかよく分かりませんが、本来なら学校で、それが駄目なら私塾ででも魂に触れる叩き込み的な教育が見直されてよいというより必要になってきているのではないでしょうか?
それは「誰でもよかったので人を殺してみたかった」というような輩の出てくるのを防ぐ一因となり得ると思います。