大10同好会

普通の高齢者の生活と情報

喫茶店(土井)

2011年01月31日 14時20分14秒 | Weblog
その地に居れば普通のこととして別に気にもならないことが外に出た時、どうしてこうなんだとその違いに面食らったり驚いたりすることがあります。
国内と外国という程大袈裟なものではなく、名古屋市と一宮市位の近隣地域内でも良くあることで、その典型が喫茶店のサービスです。

名古屋でコーヒーを頼むと精々ピーナツかおかきの小皿が付いてくる程度ですが、モーニングサービス発祥の地といわれる一宮ではほぼどこの店でもコーヒーにはトースト(又はサンドウィッチ)、ゆで卵は当たり前、そのトーストもバター、チーズ、ジャム、小倉、シナモンとバラエテーに富み、その上に茶碗蒸し、ゼリー、サラダ、フルーツ、おつまみ、ヨーグルト、昆布茶と店によってそのいくつかが付きます。
午後は若干内容が減りますがそれでも2~3品は付いてきます。
また喫茶店の数も多く我家から自転車で5分位の範囲内に数十軒(十数軒ではなく)あります。
値段は350円前後ですが各店とも10~11枚綴りのチケットを1ヶ月か2ヶ月に1度位で安売りするので、私もそうですが多くの人が数軒のコーヒーチケットを持っています。
外部から一宮市に来る機会があったら、一宮駅の名鉄百貨店の1階食品売り場の1画に喫茶店のアンテナショップがありますからこのさーびすを実体験出来ます。

昨日は朝から雪で何処にも行けないので城谷君を呼び出して近くの喫茶店に行きました。
そこは庭のある大きな民家で、そこの奥さんが全てを一人でやっています。
日本家屋ですから靴を脱いで上がり、畳に坐ります。昨日客は我々二人だけだったので一部ある椅子席にしました。
結婚の紹介(仲介)も始めていて、この二年間で3組まとまり、今進行中が1件あるという話でした。
同じ一宮市内でもここは珍しいと城谷君も感心していました。
彼には我が菜園の冬野菜を6品種持って帰ってもらいました。

電子辞書(土井)

2011年01月28日 12時10分48秒 | Weblog
もう十年来になるでしょうか、SEIKOの「広辞苑」を手許に置いて、また句会にも必ず持参して事ある毎に利用し大変重宝しています。
時たま英語を確認したい時があります、例えばコマーシャルのmake it possible with cannon(キャノンなら出来る)は分かり易いのですが、日立のinspire the nextは感じは分かってもinspireは辞書で確めないと気分がすっきりしません。
その時は英語の辞書を引けば済むことなのですが、電子辞書に一緒に入っていれば尚便利だと思ったりもします。
この一抹の不便さに輪をかけるように最近パソコン同様、スイッチを入れても画面がすぐに出なくなりました。
電池の消耗かと入れ替えてみても直りません。

そんなこともあって新しいものに変えようとオークションを見たら、適当なのが安値で出ており、入札者なしだったので、最低価格より50円UPで入札し、締め切りを確めずに風呂に入って、出てきてみたらそれより50円UPで落札され終了していました。
一寸がっかりでしたがこうなるとやたらに何とかしたくなり、あちこち当たってみました。
今度は値段ではなく機能を優先して探し、結局シャープのPW-M800に決めました。
これは今まで使っていた広辞苑プラス逆引き広辞苑の外、英和、和英、四字熟語、カタカナ、漢字、故事・ことわざ、パソコン用語の辞典や外国語会話等内容豊富で定価36750円です。
次に価格の方を当たって結局楽天市場を通じて福岡県久山町のMrMaxという会社から6978円で購入出来ました。
送料は別に少しかかりますが、一両日中には届く筈です。

愛知県知事選挙(土井)

2011年01月26日 17時31分39秒 | Weblog
さすがに大寒とあって寒い日が続いています。
大寒は二十四節気の一つで陽暦の一月二十一日頃に当り、東日本では最も寒い時期、西日本では一月末から二月初めの気温が最も低い傾向があるそうですから今まさにその時期にあります。
今日は水曜日で詩吟教室の日、西からの寒風を真正面から受けて自転車で帰って来ました。
窓の外では木の葉が揺れ、分譲地の幟が止むことなく風にはためいています。

この寒さとは裏腹に熱く燃えているのが愛知県知事選挙です。
中央政界の代理戦争的な要素もあり、各政党が夫々推薦候補を擁していますが、どうも党を挙げて応援するという風にもいかない複雑な様相も呈しています。
候補者は全員が無所属ですが東大出の元官僚が3人と現職のお医者さんが2人の計5人です。
お医者さんの2人はみんなの党と共産党の推薦ですっきりしていますが、後は少なからぬねじれの現象が見られます。

民主党推薦の候補には民主党を批判して連立を離脱した社民党が共同推薦しているし、自民党県連のの押す若い元官僚の候補は自民党本部の推薦は得ていません。
自民党の現職衆議員から転進した候補に自民党は除名処分を課しましたが、この候補者は自民党の河野太郎や元民主党の河村たかし名古屋市長(今回辞職して再選出馬中)、橋下大阪府知事等の応援を得て選挙戦を展開しています。
三者の公約には特段の差は無く誰が当選しても県政がそう劇的に変ることもないと思われますが、どういう結果になるかは注目を集めています。

また雪がちらちらしてきました、この分では今夜は積もるかもしれません。

小説について(土井)

2011年01月24日 13時17分42秒 | Weblog
これ迄に何度か取り上げてきた話題ですが小説についてです。
最近は世の中が進んできて音楽もレコードやCDでなく、形態端末で聞くのが主流とかで、それに縁のない世代にはどんな歌手がどんな歌を歌っていて、どんな歌が流行っているのかさっぱり分かりません。僅かにテレビやカーラジオで見たり聞いたりするお馴染みの歌手や歌で流行歌のほんの一部に触れているのが現状のようです。

小説についても「携帯小説」なる分野が急速に普及しているようですが、音楽に比べるとまだ単行本や雑誌、新聞等で読まれている方が圧倒的に多いような気がしていますが実態は分かりません。
私的には読書力(意欲・速度)の低下から単行本や雑誌を買わなくなってから久しく、小説は専ら新聞小説に頼っています。

年末から年始にかけて毎日朝刊の宮本輝「三十光年の星たち」、日経夕刊の小池真理子「無花果の森」、日経朝刊の辻原登「韃靼の馬」が相継いで終刊となり寂しくなりました。
この三作品はこれを読めるだけで購読の価値がある程興味深いものでした。
中でも「韃靼の馬」は久々に小説の醍醐味を満喫させてくれる力作でした。
知人の一人はこの小説の終刊を契機に高い日経から安い一般紙に替えたと言っていました。
宮本輝も力量のある作家で十分面白い小説でした。
そしてこれも偶々ですが先週は雪で外出出来なかったのを機会に、昨年図書館で貰って来た除籍図書の中に宮本輝の「錦繍」があったので、本当に久し振りに単行本の小説を読みましたがこれも結構面白かったです。

肩書きが取れても(土井)

2011年01月21日 13時34分58秒 | Weblog
宴席などでよく見かけ、また日常生活にあっても同様ですが、何となく人の輪ができる人とそうでない人がいます。
勿論組織の中にあっては上位にある人の所ほど人は寄ってきますが、それはその地位が必然的に引きつけるもので、その人が誰かに代われば、人はその代わった人の所に寄っていきます。
あれ程チヤホヤされて人気のあった人がその役を離れた途端誰も寄り付かなくなったというようなことは普通にあることで不思議に思う人すらいません。

大きなことを成すには力があることが条件ですが、力だけで成せるものでもないことは歴史が証明しています。
中国における覇権争いでは曹操と劉備、項羽と劉邦の例はあまりにも有名です。
我国でも、信長の後の覇権を争った光秀と秀吉の場合にもこの法則はそのまま適用されます。
人気がある、人を引きつける、人心を掌握する等のことは天賦の才能であって、それを持って生まれてくる人は極々限られていますし、その限られた人は一様に、人に倍する努力をする能力も合わせ持っているような気がします。
では我々一般人はどうしようもないかというとそうでもない筈です。
先ず面と向かってでも、相手が居ない所でも悪口や愚痴を言わないこと、出来るだけこちらから声をかけること、この二つはかなり難しいことですが、我々レベルでも意識して努力すれば出来る範囲のことで、これが普通に出来るようになれば周りの雰囲気は変わってきます。
「春風や藤吉郎の居る所」の藤吉郎の代わりに自分の名前が入るようになれば最高です。

宝くじと念力または神頼み(土井)

2011年01月19日 16時52分05秒 | Weblog
元旦の新聞を切り抜くのを忘れていたのを今日思い付いて、PCで年末ジャンボを照合してみたら何と100万円の当選番号と2字違いのものがありました。
その上に1万円と1字違いのものが1枚と、3千円と1字違いのものが2枚ありました。
普通は最後の1桁だけが当たって後は全くかすりもせず、やっぱり買うだけ無駄かと思わせるのですが、これだけ近づいたのがあると今年の年末にもまた買ってみようかという気になるから不思議です。
尚もっと言うと今回はバラを30枚買って、1万円が1枚、3千円が1枚の稀に見る大当たりでした。

宝くじについてはよく当りが出るという売り場に遠くからでも出掛けて、並んででも買うという人が多いそうですが、そうなればそこで売れる枚数も多くなるので当りの出る確率も上がるのは当然です。
売れた枚数に対する当りの確率は全国何処で買っても変らない訳ですが、よく当りが出る場所で買いたいという心理が働くのも分からないではありません。
また高額当選者の話として、買う前には斎戒沐浴するとか、買った券は神棚に供えて毎日拝むとか、夫々に懸命に願をかけたなどということを聞いたりもします。
そうすることによって高額当選を複数回引き当てたなどと聞けば、やはりそこには理屈以外の何かの力が働いた可能性も無いとは言い切れないような気もします。

またこれも偶々今年に入っての知人の話ですが、家を処分して息子の所に移り住もうかどうしようかと悩み続けていたら、それまで何十年間一度も夢に出てきたことのなかった祖父が三晩続けて夢に出てきたので、処分せず住み続けることにしたそうです。
それとは少し違うかも知れませんが、今読んでいる宮本輝の「錦繍」にも死と霊魂に関する部分があり、前にも同じような記述のある小説を読んだことを思い出しました。
超常現象というか大いなる偶然というかはあって不思議はありませんが、願わくばいい方のそれであって欲しいと思います。

雪(土井)

2011年01月17日 12時42分38秒 | Weblog
昨日は時折は降り止むも、殆ど一日中雪が降り続き、風も強い、この冬一番の寒い一日でした。
お陰で一歩も外に出ず新聞や本、テレビも又「女子駅伝」、「大相撲」、「笑点」、「江」、「レッド・クリフ」と久々にたっぴり見る羽目になりました。
今朝も10数cm積もった上に尚降り続いていましたが、10時過ぎから薄日も射してきて一端融けかかったのですが、その後は正午過ぎの今も降雪と薄日を繰り返しています。

「雪国」や「伊豆の踊子」で知られる川端康成はノーベル賞受賞講演の冒頭で道元禅師の「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて涼しかりけり」の歌を引いたそうです。
これは日本人が古より自然の美を深く愛してきたことを象徴的に伝えようとしたのだろうと思います。
事実「雪・月・花」に対する憧憬というか賞讃というか、その美しさに寄せる関心は古来我々の心の中にあり続けています。
それを対象とした絵画、詩歌等の芸術の傑作も数限りありません。
月の厳かな光と輝き、花の鮮やかな色彩とほのかな香に対して雪は白一色の清しさを誇ります。
そして雪はまた豊かな水資源となり豊穣をもたらすものとしても人々の生活に深く関っています。
勿論雪の被害も少なくありませんがそれに数倍する貴重なものとして雪を愛し楽しみたいものです。

   時折の薄日が落とす枝の雪

   音かすか小枝跳ね上ぐしずり雪

タイガーマスク現象(土井)

2011年01月14日 17時56分57秒 | Weblog
一人の人が児童養護施設にランドセルを寄贈したことをきっかけに同様の行為が相継ぎ、今や全都道府県に広がり、尚拡大しつつあります。
何故かくも急速にこの動きが広がったか、その最大の要因はネーミングの妙というところでしょうか。
「タイガーマスク」または「伊達直人」は早くも今年の流行語大賞の有力候補となった感があります。

人は誰でも注目を浴びたいという欲望をもっていて、それは赤ん坊の時から成長するに従っても変ることはありません。
その為には反社会的な行為に走ることも珍しくなく、駐車中の車をパンクさせたり、目立つ建造物に落書きをしたり、集団を組んで暴走を繰り返したりする等はその典型的な例ですが、ここで問題はマスコミがそれを面白おかしく大きく取り上げることです。
当然注目されたくてウズウズしている輩の中には真似をするのが出てきて連鎖反応を起します。
ニュースとして報道するのが義務なら、地方版で小さくするべきだと思うのですが、何時まで経ってもそうなりません。

反対に善意の行動の場合はその輪が広がることは歓迎されるので、このような場合は精々力を入れて報道してもらえばいいし、今まさにその状況にあります。
しかしここでも例によって有識者が登場して、寄付に対する社会の制度や仕組みが不十分であるなどとマスコミを通じて卓見を述べギャラを稼いでいます。
それはそれで結構なことですが、我々庶民派としては無料でなされる書き込みの方により親近感と共感を覚えます。
「子供達にランドセルを背負わせるのが伊達直人、子供達に借金を背負わせるのが菅直人」

新年初出の思い出と今(土井)

2011年01月12日 21時22分13秒 | Weblog
我々が入社した頃の初出の日は通常業務は無く、幹部の挨拶と職場毎の簡単な祝賀行事だけで早々に退社していました。
女性の多くは着飾った和服で出社していました。
その女性を何処かに連れて行くのが若い男性に課せられた務めのような雰囲気がありました。
思い出の一つは数人で平安神宮に参拝したことです。
あの広い白砂の庭が艶(あで)やかな和服で埋まり、朱と緑の華麗な神殿もこの時ばかりは色褪せて見えるほどで、写真には撮っていませんが、その光景は今でも脳裏に刻まれています。
もう半世紀以上も前のことで、何処で食事をしたかやどうやって帰って別れたかは全く覚えていません。

時移り職場も変って、初出の様子も次第に変ってきましたが比較的長い期間の定型は、全員で社長のテープの挨拶と所長の挨拶を聞いて乾杯、その後は部門毎に懇談と軽食をしながら特約店や取引先の年賀を受けたり、主な得意先や官公庁に挨拶に出掛けたりするというものでした。
その後の数日間は年始の挨拶回りが主な業務となっていましたが、先方も同様で多くは挨拶に出掛けていて不在、無人の机の上に「年賀」か「謹賀新年」のゴム印を押した自分の名刺を置いて帰って来ていました。
そして昨今は和服での出勤は証券関係に限られ、大多数の職場では初出の日から通常の日常業務に入っているようです。
虚礼廃止、効率的で合理的な行動をとらなければ厳しい競争に生き残れず、それが世間一般の行動パターンになってきているとも言えるようです。
尤もなことですが、効率が優先され余裕、潤い、情緒等の薄れてきていることも否定できません。

幸いにして現役を離れた今は無駄を省かず、この薄れ行くものと仲良く付き合って行きたいと思っています。

初句会兼新年会(土井)

2011年01月10日 18時37分15秒 | Weblog
今日は地元の初句会兼新年会でした。
十時から正午までの句会の後が懇親会となりました。
かつては三十人を越えていたのですが、今回は都合や体調の関係で不参加の人が数名あり、十九名の出席に止まりました。
木曽川河畔に建つ県営の宿泊施設からは雄大な木曽川の流れや、冠雪の伊吹山が一望されます。
景色はいいのですが、運営が県なのでサービスはイマイチ、五千円の会費にしては少しお粗末、カラオケ装置も機能せずやや早めの散会となりました。

この地に住み慣れていて、俳句等にも関心の薄い人には特にどうということもないかもしれませんが、木曽、長良、揖斐の三川が濃尾平野を分けて海に注ぎ、輪中や、銀杏、蓮根の里、御嶽山や伊吹山、指呼には養老山脈を望むこの地の風物は、四季夫々に独特の感動的な美しさを見せてくれます。

それは兎も角次は今日一番点の入った句と、少ししか入らなかった拙作投句五句です。

   一椀に天地の恵み七日粥

   髪飾揺るる御慶を受けにけり
   海に入る鉢巻白き寒稽古
   氏子らと囲む篝火去年今年
   定刻に来て帰り行く鴨猟師
   遼君かクラブ持ちたる雪だるま