まだ少し早いですが、春先、地中から草の芽が吹き出ることを下萌(したもえ)または草萌などといいます。(春の季語)
これに対して今の時季の草や木の芽は休眠から醒めわずかに萌え出でんとしています。この状態及びその芽そのものを冬萌(ふゆもえ)と呼びます。(冬の季語)
古来永永と狂いなく受け継がれている自然の営みに今更ながら感心させられます。
人と自然が一体となってこの輪廻の中に生命を繋いでいる訳ですが、核爆発や石化燃料の大量消費、遺伝子の組み換えなどこれ迄の自然現象になかった人工的な行為が頻繁に行われるようになると、この循環システムに支障を来たし、生命の永続性まで危うくなってきます。
科学が発達して人類が豊かになり、幸せになることの必然性と重要性を否定するものではありませんが、その行き過ぎについては今迄以上に注意を払わなくてはなりません。
このことは自然界のみならず、経済、社会に於いても同様で、自由放任主義が行き過ぎると極一部の人の繁栄が多くの人に圧迫を強いるようになりがちです。
しかしよくしたもで、あれ程全国各地に拡がった背高泡立草も自家中毒現象を起し
今では一時占領していた薄(すすき)原もまた元の薄が盛り返しているし、同様に国でも会社や自治体でも行き過ぎには自ずとブレーキがかかり自浄作用が働くのもまた事実です。
だからという訳でもありませんが、ある程度の注意は払いつつも、あまりクヨクヨもせず、自然の変化にも関心と興味を持ち、少しでも心を豊かにその日、その日を送りたいと思う今日此頃です。
冬萌も赤し不知火の国なれば 福田蓼汀
冬萌や湖国の畦木みな低き 藤田湘子
冬萌を圧す護岸のブルドーダー たくみ
これに対して今の時季の草や木の芽は休眠から醒めわずかに萌え出でんとしています。この状態及びその芽そのものを冬萌(ふゆもえ)と呼びます。(冬の季語)
古来永永と狂いなく受け継がれている自然の営みに今更ながら感心させられます。
人と自然が一体となってこの輪廻の中に生命を繋いでいる訳ですが、核爆発や石化燃料の大量消費、遺伝子の組み換えなどこれ迄の自然現象になかった人工的な行為が頻繁に行われるようになると、この循環システムに支障を来たし、生命の永続性まで危うくなってきます。
科学が発達して人類が豊かになり、幸せになることの必然性と重要性を否定するものではありませんが、その行き過ぎについては今迄以上に注意を払わなくてはなりません。
このことは自然界のみならず、経済、社会に於いても同様で、自由放任主義が行き過ぎると極一部の人の繁栄が多くの人に圧迫を強いるようになりがちです。
しかしよくしたもで、あれ程全国各地に拡がった背高泡立草も自家中毒現象を起し
今では一時占領していた薄(すすき)原もまた元の薄が盛り返しているし、同様に国でも会社や自治体でも行き過ぎには自ずとブレーキがかかり自浄作用が働くのもまた事実です。
だからという訳でもありませんが、ある程度の注意は払いつつも、あまりクヨクヨもせず、自然の変化にも関心と興味を持ち、少しでも心を豊かにその日、その日を送りたいと思う今日此頃です。
冬萌も赤し不知火の国なれば 福田蓼汀
冬萌や湖国の畦木みな低き 藤田湘子
冬萌を圧す護岸のブルドーダー たくみ