■じっと手を見る/窪美澄 2018.8.13
海斗くん、その未練が君を不幸にするよ。
海斗君は、健全な精神の持ち主で優しい好青年だが、未練が捨てられない。
登場人物は、いずれも心優しい人ばかり。
すごくゆたかではないにしても、そこそこ、食べていける仕事には就いている。
それでも、ひとりとして心から幸せだと感じていない。
人間には、誰でも、特に若ければ多少ギラギラとしたところがあるものだが、彼らにはない。
ぼくには、大人の童話でした。
以下の文には、作品の内容に触れる部分があり、まだ読んでいない方はご注意ください。
宮澤さんは、学歴も良く、しかも幼い頃からエスカレータ式だから受験に苦労したこともない。
父親は大きな病院の院長で金にも困らないし、女にも不自由しない。
お嫁さんの父親は、会社経営者。宮澤さんは自分の会社設立時には援助してもらい社長となる。
ぼくから見れば、幸福を絵で描いたような経歴の持ち主だが、本人は幸せでない。
・宮澤
世の中には、生まれたときからツキに(金と言い換えてもいい)恵まれた人間と、そうでない人間がいて、僕や仁美が前者であることに海斗はいらだちを隠さなかっただけだ。
・日奈と宮澤
それでも、体を重ねるたびに、快楽だけをむさぼることが上手になっていった。心はどこか遠くに置き去りになったまま。
「あの子とのこと、あなたは何か特別なことだと考えているかもしれないけれど、あなたがしていることは、世間から見ればただの浮気なのよ。簡単に説明がつくの」
・日奈と海斗
専門学校の同級生だった海斗と、恋愛の輪郭をなぞるような恋をしていた。..........
ひどく不慣れで無様だったけど、お互い、人生で初めてのセックスだってした。でも、どんなことをしても、心から楽しいと思える瞬間は来なかった。
・海斗と日奈
俺を受け入れながら、眉間に皺を寄せ、必死に耐えている日奈の顔が浮かぶ。俺の汚さを拒否しない日奈が、さっき雄三が言ったみたいに恐ろしく感じられることもある。女っておっかない。そう思っているのに、なぜ女に近づき、女を好きになるんだろう。
唯一、畑中(真弓)さんだけは自分の幸せのためには何でも利用してのし上がろうとする積極派。だが、果たして幸せになれるのだろうか.........。
・真弓
子どもに対して罪の意識なんかない。私のところに生まれてきてしまったことが間違いだ。
私はどこかが決定的に欠けている人間で、子どもを持ったことがそもそも間違いだった。
・畑中と海斗
「父親気取りみたいなことやめてよ。父親じゃないんだから」と真弓が起こったように言う。......
「情みたいなものに流されるの、海斗の悪いくせだよ」......
「結婚しよう」
「馬鹿」......
「好きな男がいる」
「東京でデイサービスと住宅型有料老人ホームをたくさん経営している男なの。......その人が東京に来ないか、うちの社員にならないかって」
「あたし、もう疲れちゃった。介護士やめたい。……結婚して楽したい」
......あたし、それなら人を使うほうにまわってみたい。大学に行かせてくれるってその人が。あたしは楽なほうでいきたい」
・海斗
「裕紀のこと、誰かが捨てたりしない。もし、もしも、そんなことが起こったら」
俺は筆箱の表面にひらがなで「かいと」と大きく書き、自分の携帯番号を書き付けた。
「ここに電話すること。これはおにいさんの電話番号。わかった?」
うん、と頷いたものの裕紀は不安そうだった。
雄三君はすぐ子どもを作るが、この子は、ぼくの子かと悩みながらも、貸しボート屋のおやじとして健気に生きている。
誰も彼もみな幸せでない。しかし、すごく不幸でもない。富士山の樹海に足を踏み入れるほどには、そんな世界で生きている。
「それに比べれば」
「仕事があるだけ幸せなのかも」
「ここでならなんとか暮らしていけるし」
集まりの終わりは、いつもこんな会話で締めくくられた。あれに比べればまだまし。そういう話をして、私たちは不安を解消させた。不幸せの事例を出して幸せを相対的なものとして語った。それは、明日もまた介護の仕事を続けるためのカンフル剤のようなものだった。
窪美澄さんの作品は、これまで2冊読みましたが、いずれも印象は良かったです。
『ふがいない僕は空を見た』 2011年11月
『晴天の迷いクジラ』 2013年3月
子どもはお子様ランチのピラフをスプーンで口に運ぶ。この前会ったときには、ぽろぽろこぼしていたのに、今日はこぼさない。できることが増えていくのが成長で、できないことが増えていくのが老化なんだと、ふと思う。
窪美澄ワールドでした。
『 じっと手を見る/窪美澄/幻冬舎 』
海斗くん、その未練が君を不幸にするよ。
海斗君は、健全な精神の持ち主で優しい好青年だが、未練が捨てられない。
登場人物は、いずれも心優しい人ばかり。
すごくゆたかではないにしても、そこそこ、食べていける仕事には就いている。
それでも、ひとりとして心から幸せだと感じていない。
人間には、誰でも、特に若ければ多少ギラギラとしたところがあるものだが、彼らにはない。
ぼくには、大人の童話でした。
以下の文には、作品の内容に触れる部分があり、まだ読んでいない方はご注意ください。
宮澤さんは、学歴も良く、しかも幼い頃からエスカレータ式だから受験に苦労したこともない。
父親は大きな病院の院長で金にも困らないし、女にも不自由しない。
お嫁さんの父親は、会社経営者。宮澤さんは自分の会社設立時には援助してもらい社長となる。
ぼくから見れば、幸福を絵で描いたような経歴の持ち主だが、本人は幸せでない。
・宮澤
世の中には、生まれたときからツキに(金と言い換えてもいい)恵まれた人間と、そうでない人間がいて、僕や仁美が前者であることに海斗はいらだちを隠さなかっただけだ。
・日奈と宮澤
それでも、体を重ねるたびに、快楽だけをむさぼることが上手になっていった。心はどこか遠くに置き去りになったまま。
「あの子とのこと、あなたは何か特別なことだと考えているかもしれないけれど、あなたがしていることは、世間から見ればただの浮気なのよ。簡単に説明がつくの」
・日奈と海斗
専門学校の同級生だった海斗と、恋愛の輪郭をなぞるような恋をしていた。..........
ひどく不慣れで無様だったけど、お互い、人生で初めてのセックスだってした。でも、どんなことをしても、心から楽しいと思える瞬間は来なかった。
・海斗と日奈
俺を受け入れながら、眉間に皺を寄せ、必死に耐えている日奈の顔が浮かぶ。俺の汚さを拒否しない日奈が、さっき雄三が言ったみたいに恐ろしく感じられることもある。女っておっかない。そう思っているのに、なぜ女に近づき、女を好きになるんだろう。
唯一、畑中(真弓)さんだけは自分の幸せのためには何でも利用してのし上がろうとする積極派。だが、果たして幸せになれるのだろうか.........。
・真弓
子どもに対して罪の意識なんかない。私のところに生まれてきてしまったことが間違いだ。
私はどこかが決定的に欠けている人間で、子どもを持ったことがそもそも間違いだった。
・畑中と海斗
「父親気取りみたいなことやめてよ。父親じゃないんだから」と真弓が起こったように言う。......
「情みたいなものに流されるの、海斗の悪いくせだよ」......
「結婚しよう」
「馬鹿」......
「好きな男がいる」
「東京でデイサービスと住宅型有料老人ホームをたくさん経営している男なの。......その人が東京に来ないか、うちの社員にならないかって」
「あたし、もう疲れちゃった。介護士やめたい。……結婚して楽したい」
......あたし、それなら人を使うほうにまわってみたい。大学に行かせてくれるってその人が。あたしは楽なほうでいきたい」
・海斗
「裕紀のこと、誰かが捨てたりしない。もし、もしも、そんなことが起こったら」
俺は筆箱の表面にひらがなで「かいと」と大きく書き、自分の携帯番号を書き付けた。
「ここに電話すること。これはおにいさんの電話番号。わかった?」
うん、と頷いたものの裕紀は不安そうだった。
雄三君はすぐ子どもを作るが、この子は、ぼくの子かと悩みながらも、貸しボート屋のおやじとして健気に生きている。
誰も彼もみな幸せでない。しかし、すごく不幸でもない。富士山の樹海に足を踏み入れるほどには、そんな世界で生きている。
「それに比べれば」
「仕事があるだけ幸せなのかも」
「ここでならなんとか暮らしていけるし」
集まりの終わりは、いつもこんな会話で締めくくられた。あれに比べればまだまし。そういう話をして、私たちは不安を解消させた。不幸せの事例を出して幸せを相対的なものとして語った。それは、明日もまた介護の仕事を続けるためのカンフル剤のようなものだった。
窪美澄さんの作品は、これまで2冊読みましたが、いずれも印象は良かったです。
『ふがいない僕は空を見た』 2011年11月
『晴天の迷いクジラ』 2013年3月
子どもはお子様ランチのピラフをスプーンで口に運ぶ。この前会ったときには、ぽろぽろこぼしていたのに、今日はこぼさない。できることが増えていくのが成長で、できないことが増えていくのが老化なんだと、ふと思う。
窪美澄ワールドでした。
『 じっと手を見る/窪美澄/幻冬舎 』