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破果/ク・ビョンモ

2023年08月28日 | もう一冊読んでみた
破果 2023.8.28

ク・ビョンモ破果』を、読みました。
馴れないせいか、多少読みにくい処はありますが、物語はなかなか面白かったです。

「訳者あとがき」に、次のように書かれています。

 本分を未読の方にあらかじめお伝えしておくと、結末が知りたくて一気読みできるほどライトな読み心地ではない。理由の一つは、ク・ビョンモの独特な文体にある。彼女は、「読みやすくてわかりやすい文章」に、あえて距離をとる作家として知られている。



 緊張から解放され、安楽イスに身を預けられる可能性が複数あるにもかかわらず、爪角はいままで、防疫の現場と実務にこだわってきた。現場を離れたら、添え木でなんとか持ちこたえてきた人生がまるごと吹き飛んでしまうような不安や虚しさが生まれるから、というだけが理由ではなかった。引退した防疫業者のうち、良い末路をたどったケースは多いとはいえず、キャリアの長い防疫業者の引退はほとんどの場合、現場での不慮の死という形をとっていた。食堂やクリーニング店を開く、あるいは仏門に入るという者もいないわけではない。だが、そうした安全な着地の邪魔をするのが防疫という仕事の特殊性だった。病的な習慣や中毒とかとはやや性格を異にするものの、結局は抜け出すことができずに仕方なく続けてしまうという点では、麻薬や賭け事に似ていた。四五年間人殺しを稼業にしてきた人間が、いまさら人の口に入るチキンを揚げたり、人の身体を包むジャケットやワンピースのたぐいをクリーニングしたりして生計を立てるのは、老いた狼が卵を孵そうとするのと同じくらい、イメージするのが難しい図だった。防疫の現場で死を迎えるのではなく、自分の意向半分、他者の意向半分で引退し、休息をとり、そうして訪れる暇つぶしの日々は、この世のどんな職業、どんな組織に身を置いていた誰よりも自分の過去を否定させ、消し去りたくさせるだろう。爪角はそう思っていた。
 持続的に喪失し、摩耗していくだけが人生なのだから、そこから過去一〇年を切り取ろうが四五年まとめて削除しようが、何の関係もない。絶えず消し去られ、チョーク跡しか残らない黒板みたいなものが人生なのは変わらないし、いまになって鉄板みたいに面の皮を厚くして、天寿を全うしようなどとも思わない。非業の死であれ客死であれ、適当な時期にこの世をおさらばすればそれで終わりと思うときもあるが、そんな強がった姿勢でいざソン室長を前にすると、どういうわけだか何も言えなくなり、毎回黙ってその場を離れていた。


 トゥが爪角の腕をつかむ。
 「どこ行くんだよ、バアちゃん。久しぶりなんだから、ゆっくしていこうよ」
 ヤツはそう言いながら、もう片方の手でもじゃもじゃの頭を掻いている。会うたびにタメロでちょっかいを出してくるトゥは、ヘウより少し年下の三〇代前半、顧客ニーズをよくわかっているという評価で、ソン室長からさかんに目をかけられている防疫業者だ。防疫業をする者が香水とは正気の沙汰ではないと爪角は思うが、これは生まれつきの体臭で、仕事のときはむしろ、その香りを中和する脱臭剤が必要との弁明には唖然とした。たしかに、若くて能力のあるヤツほど、電信柱にテリトリー表示をする犬と同じで、現場に自分の痕跡やら体臭やら、わざわざしるしを残していい気になりたがることを知らないわけではなかったから、その弁明とやらも、犬の膀胱が開いた音くらいにしか思わなかった。
 無邪気でのんびりした話しぶり、鈍そうな態度は、一見すると何かとんでもないことをやらかしそうな感じがある。トゥという偽名もどこか愚鈍な響きがあるし、おまけに今日の服装は、事業に失敗してアルコールに溺れ、家は奪われるわタンスやテーブルは差し押さえられるわ、腎臓まで取られる一歩手前の人間を彷彿とさせる。だが実際はその逆で、よく観察すると顔にはふてぶてしさが潜んでいる。身体機能が落ちるから酒も煙草もやらないのはあたりまえ、高位高官をしょっちゅう相手にしているから、必要に応じてブランドもののスーツもあれこれと着こなす。迅速、正確、緻密という防疫業者が基本として身に着けておくべき属性はもちろん、サービス精神まである。どんな方法であれ防疫さえ完了させればいいと思う業者がいる一方で、トゥは、防疫の過程の些細なステップ一つも顧客ニーズに合わせて執り行う。特に注文がない場合........


 何かをする気になったら、たとえ軽い挨拶程度のことであれ、常にいま、しておかなくてはいけない。特に最近はそうだ。身体の向きを変えただけで、ついさっきまで自分が何をしようとしていたかも忘れてしまうような日常だから。彼女は、無用の頭を三、四回撫で、音節ごとにはっきりと声にする。
 「いって、くるよ」
 息をしている限り、「いって」-「くる」、はず。手足が動く限り。いつかこの子が記憶から消え去るか、その存在を認識さえできなくなるまでは。彼女は玄関ドアを閉める。


 ふと立ち止まって顔を上げる。知らないうちに市場へと向かっていた足を引き返す。そんな自分の姿を、時折顔を合わせていた徘徊老人がじっと見ているのは気になるが、頭がはっきりした人でもなし、顔ぐらい見られても支障はないだろう。この市場で何かするつもりもないし、たとえ何かしてあの男の目に留まったとしても、恋しさも愛しさも憎しみもすべて過ぎ去った昨日に固定された老人の記憶からは、すぐに消去されるだろう。

 そんな彼女の手首の上に、血で染まったトゥの手が重なる。
 「いい。このままで
 彼女は少しためらってからナイフを畳んでおく。
 「あんまり、悔しがらないで。あたしもすぐに追いかけるはずだから
 それは、いまトゥに語りかけている言葉でありながら、かつてリュウに言えなかった言葉でもある。トゥの目はまだ開いていたが、呼吸は深さを失って荒くなり、口元に浮かんでいるものが臨終前の痙撃の一種なのか、ほほえみなのかわからない。血しぶきの飛んだ顔は、これほど近くでのぞきこむのも初めてだが、まるで、幼い頃に満たせなかったかのような悪戯心や茶目っ気、そして秘密めかした感じが漂っている。その顔を見下ろしながら、もちろん自分も先が長くないという前提で、彼女はいまの一瞬と場違いなことを思う。この子とは、ひょっとしたら別な場所で、別なかたちや別な姿で、出会えたんじやないかと。


 誰かにとっては息をするみたいにあたりまえのでささやかな権力が、別の誰かにとっては憎しみを越え、相手を消してしまいたいという願望になるというのはありうるきとだ。

 この家の人たちは激しく罵ることをせず、低い声でやさしく話す。常に満たされ、気を遣ったり苛立ったりせずすむ空間でこそ、人はそんなふうに静かに声を落とし、やさしく話せるということを漠然と感じた。

    『 破果/ク・ビョンモ/小山内園子訳/岩波書店 』



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