数学者ー「シュリニバーサ・ラマヌジャン」の神秘は、現在でも十分に解明されているとは謂い難い。彼は、南インドのクンバコナムという町に生まれ、或る奇跡が重なって驚くべき数学の世界を展開した、ほとんど数学史上類似を見いだせない稀有の人です。彼の学歴、かなり通常のコースから外れた人です。この様な人は珍しい事ではないが、この人の場合、通常の教育課程を経ることなく頂点以上の事を究めた驚異の人でした。それは人間の能力の本質とか、その可能性とかについて、まったく驚嘆の感を抱かさせられます。人の能力とは、本当は何なのだろうかという自問です。数学者と書いたが、彼は専門的な数学の訓練コースに入った事が無いと同時に、その講義を受けた経験を持たない、謂わば独学の数学者でした。彼の生まれた家はとても貧しく、本来だったら高校にもやれない程の貧乏な家庭であったが、インドのヒンズー教徒の階層段階から言えば、最上位に位置する「バラモン」の階層にあった。母親は大変に信心深く、幼いラマヌジャンに貧しくとも精神的なバラモンの誇りを教え、社会に出て一角の人物として貢献することを願った。彼の小・中学校の日常は殆ど分って居ない。
当時のインドはブリテンの酷く収奪された植民地であり、インド人は宗主国イギリスに経済的に暴力的に搾取され、文化的には一種の軽蔑を受けていた。イギリス人は蒸気機関を模倣して機関車を作り上げた者たちの手首を切ったという。インド人は、それほど白人植民地主義の悪党には人間扱いされなかった。インドは巨大な国土と人口を抱えた多民族国家であり、また、ヒンズーのカーストに分断された社会である。インド大陸には、百近い方言ないし言語があり、デカン高原の台地には、各部族が住み多くは農業に勤しんでいる、日本から見れば混沌(カオス)に近い世界である。ラマヌジャンが、どんなどの様な初等中等の学業成績を終えたのかは、是また明確ではないが、両親は乏しい生活の中から学資を貯めて彼を高校へ遣った。その頃の事だろうか、彼の友人が一冊の本を提供した、それは、S・カーというイギリスの数学者が書いた、受験参考書の副読本のような種類の有り触れた数学事典であった。そこには7000個ちかい数式と定理が書かれており、証明は一切書いて居ない。レベルは中学・高校から大學初年級までの範囲で公式が書かれていた。カーの本は出版当時の最先端の公式まで含まれていた。「初等函数」詰まり、指数、対数、三角関数、素数定理、因数分解、因数定理、数列、級数、微積分、偏微分、フーリェ解析、確率変数、統計学、解析幾何学、位相幾何学、などなど、が網羅されていたのだと想像する。
この数学の数学事典を手に入れたラマヌジャンは、その定理の一つ一つを、左辺から右辺へと自分自身の力で解き、式を導いていった。果たして、一体こんな事が可能なのだろうか?、それは不可能ではないにしても、たぶん、並みの集中力を超えた驚くべき継続した集中力が要る。絶対に言えることは、これは桁外れに「頭が強くないと」できない事だ。我々の集中力は、最大に強く深くなっても精々15分~20分、頭と心と訓練してゆくと40分、少なくとも半日は絶対に無理だ、精神的に変調をきたす。それを実施した当人が書いているのだから嘘ではない。必ず、他に気を散らされて集中が出来ない。それは外的な面もあるだろうが、むしろ内的なものだ、雑念があっちこっちで動く。そういう時は寝るしかない。本当にそうなのだ、寝るしかない、真面目に研究する積もりならば。気分転換に散歩でもしょう。とか、一杯飲みに行こう、とかしていたら絶対に前には進まない。壁にぶち当たったときは、岡潔のように眠るしかないのである。ポアンカレなどは、彼の有名な四部作の中で、何か気を散らして別のことをやっている期間に、解けない問題の糸口が見いだせる事を、「思念の発酵期間」などと云っているが、もう自我意識のレベルでは進み得ない為に、降参して、あとは無意識下で動く自動的な進展に期待するほか無いらしい。岡潔はやれるだけ遣った後は、もうこれ以上は無理と分かれば、寝て仕舞う。やれるだけの事をやってみて、もうこれ以上は、もうお手上げの場合には寝てしまうという。それは「思考の熟成期間」とか、「思念の自然発酵」に期待したのであろう。ラマヌジャンもその領域の人らしい。
彼に似ている人と云えば、200年ほど昔の人で、スイス生まれの数学者レオンハルト・オイラーであろう。オイラーはラマヌジャンに似たような経験を持っている。いや逆ですね、ラマヌジャンがオイラーに似た経験を持っているのです。彼はスイスに生まれて、バーゼル大で有名な数学者一家であるベルヌーイ家の一員である人に見出されて、その人に師事しました。ヨハン・ベルヌーイでしたかね?。当時のカリキュラムがどうなって居たのかは知らないが、現代のような事細かな指導はしていない筈で、一応、課題の本などを与えて勝手にやらせて置く程度の事だろう。生徒はいちいち、先生に手を取って教えて貰える訳ではなく、自分で難かしい「問題をかみ砕く強い顎」を鍛えて置かなければならない。どうもこんな特別の人は、青少年期に思考力を鍛えるために、大変なことを当たり前の様に、自然に行っているようだ。
問題に深く潜るためには「強い頭」が絶対に必要です。「回転が速い頭」では無くて、「強い頭」です。集中力を継続できる強い頭。それが不可欠だ。この強烈な集中力は、多分詩人に似ている。詩人も集中力と放心を繰り返すので、普通人から見ると阿呆か?と思われ、馬鹿にされる。それは思念の夢想にふける為に、他人の話には上の空である。悪気はないのだが、自分の中の空想に浸っている為に、奇妙で痴呆症の様な人に見えてしまう。いったん付き合ってみると、一見した印象とはまるで違い、ユーモアがあり、気さくで、こころから親切な人間が多い。一言で謂えば邪念が無いのである。心いっぱいに自分の研究課題と闘っている為に、邪念など湧くひまがないのだろう。以外にも、純粋な性格の持ち主が多い。
今現在もラマヌジャンは、その全貌が解明されて居る訳ではなく、この人が残した論文で主張していた事の意味が、やっと最近になって漸く解明された。というレベルの人です。詰り奥に進み過ぎていて、その時代のレベルでは、何を言っているんだかサッパリ分からないと云う事ですね。ラマヌジャンの才能は、その事典をもらって載っている公式を解き出したときに始まったと言えるのだろう。普通人では、そんな公式集の公式を、ひとつひとつ解くなどと云う事をやる人は稀です。余程、ヒマだったのでしょうね。その一連の集中力が、あの人の才を開花させた。オイラーも若い時に同じ様な事をやっていたが、これは相当に頭の訓練と成るらしい。だが誰にもできる事ではない、、数学だけやって居れば進級できるという物でもないから、一言でいえば「危ない橋」です。
当のインドでも、今ならば、もうラマヌジャンのような人は出ない。学制が整備されて、カリキュラムが完備すれば、それなりの才が認められれば、奨学金がでるでしょうから、正規のコースに入って仕舞います。1910年代には、偉大な数学者G・H・ハーディの様な人が居なければ、ラマヌジャンは確実に世間に埋もれてしまったと思います。ハーディも書いている様に、「私の人生の最大の業績は、ラマヌジャンを発見したことである」は、ハーディが自分の人生を振り返った時の、正直な感慨なのでしょうね。それだけ彼は驚異的な人物を見出した事に、大きな衝撃を受けたのだと思います。わたし自身としては、、ラマヌジャンは、もう二度と出現しないだろうと思います。それは永い歴史を持つインドの、或る時代と条件が重なった奇跡だと思って居ます。でも人類の歴史にはとても考えられない人が突如として出現することが有る。それは、殆ど遺伝の神秘としか言いようがない。それは勉強して為ることが出来る様なものでは到底ない。我々の作為を越えた所の宇宙のもたらす真の啓示なのかも知れません。我々はこの宇宙が示すものにどこまでも素直で純真であるべきだ。
また、ハーディは人間のもつ思考力の意味と、その射程、可能性についても、他の所で言及している。多くの人達から、「ラマヌジャンが正規の数学コースに入って居たら、どんなにか素晴らしい成果を上げ続けた事でしょうね」と言われて、僕はそれ等の、本質が何もわかって居ない人に、こう答える事にしている。「ええそうですね、彼が正規のコースで訓練を受けて居たら、リーマンかヒルベルト、ルジャンドル、位の人には成って居たでしょう。だが、どんなに優れていたにしても、現実のラマヌジャンには成りえないのです。彼は人間の能力が、本当はまだまだ未知で、大きな伸び代がある事を、現に示したようなものですから」と答える事にしています。と
我々は、人間の本質について果たしてどれだけ知って居るのだろうか?、規格化された教育制度は日本に大きな発展をもたらした。その事は確かだ。明治政府の目的として教育制度は、攻撃的植民地侵略国家である、米・英・仏・独に追いつけ追い越せだったから、早く国民の知的レベルを押し上げる為には不可欠だった。一定の知的規格品を創ることは、まったく有効であった。明治政府は学制を施き、「尋常小学校」、「高等小学校」、「旧制中学」、「高等師範」、「高等専門学校」、「旧制高等学校」、「帝国大學」、と、順次作り上げ、紆余曲折を経ながらも英仏の文化的基礎に負けない制度設計を施行した。日本人は永い江戸時代の文化的遺産として非常に聡明であったから、初等、中等、高等、の教育は、立ち処にして或る意味では成功した。それは足った40年で、我々を脅して開国を迫り、あわよくば、植民地としたい、白人たちの海軍力に、十二分に立ち向かえる海軍力を作り上げた事でも証明される。
だが戦後の現在の時点で、若者の75%が大學に行く時代には教育の目的も変わった。 それは少数の本物の学者や工学の専門家を養成する本物の大學から、学問的には何の貢献もしないが、社会生活で機能する良き社会人を創るという目的へと変化したのだ。良き社会という物は、深く豊かな本物の教養を持つ者が、何%居るかである程度決まる。然し教育で人間の本質が根本的に、根底から変わると思ってもらっては困る。有り体に云えば、知的な人間は上辺だけの教育が無くても、生れ乍らに高い知能を有し知的なのだ。其処を誤解すると、余りに現行の教育に期待と価値がある様に誤解することに成る。現在は高等教育の講義内容自体が、概ね低下している。仮に高等教育を受けた者が、すべて知的に成るならば云う事が無い。だが、日本の現実は高等教育を受けたにも係わらず、一向に知的で無い事は、日本の政治現状を見れば、何の証言よりも明らかであろう。 日本の高等教育は或る時期を境に、特に戦後は明治の偉人たちが期待したほど機能しては居ない。むしろ退化したと謂えなくもない。