今からもう二十年以上も前になろうか。ある市に定期的に通ったことがあった。週二回ほどその道路を通るわけだが、3回目当りから気に成り出したことがあった。それは、私の車が通過する時間、その道路のある地点まで来ると、青年がニコニコと笑いながら手を振るのである。私は誰か青年の知り合いが出かけるのを見送る為に、道路の車の列に手を振っているのだと最初は思った。私が用事を終わり午後遅く帰るころには、青年の姿は見えなかった。ああ!矢張り知り合いに向かって手を振って居たのだと思った。私は仕事の進み具合やプランを考えながらも、妙にこの青年のことが気に成り出した。ところが青年は、次の週も、その次の週も、私が通り過ぎる時間には必ず道に出ていて、満面の笑みを浮かべて車に手を振っているのだ。これは知り合いに手を振って居るのでない事がわかった。私は思い違いをして居たのだ。たぶん、此処を通る車の運転者の大方はこの青年を見て知っているに違いない。
青年は神に近い存在であろう。子供は車が好きだ、特に男の子は動くもの、飛行機・電車・貨車・昆虫・時計・ピストル・etc…。である。たぶん、私が用事でこの道を通るかなり以前から、青年はこの道の、この場所に出て、風が吹こうが、雨が降ろうが、雪が積もろうが、相も変わらず、気の遠くなるような人生の時間を過ごしていたに違いない。私はこの道を通るのが楽しくなった。あの青年は出ているだろうか?と。時に青年に車の中から手を振ることさえあった。三年間、この道を通ることは私の楽しみの一つであった。三年間が過ぎて、私は道を通ることが無く成ったが、4~5年の後に、この道を走った際に、彼はどうしているだろうかと謂う期待があった。だが青年の姿は見えなかった。わたしは車を止めて土地の人に、青年の消息を聞こうかと思ったが遠慮して止めた。もしも青年がもう既にこの世の人ではないとしたら、私は僅かの時間であったが、この青年に手を振って貰うことで、或る力をもらっていたのだと気が付いた。出会いと呼べるような出会いではなかったが、別れの悲哀を感じないわけには行かなかった。「ひとは何のためにこの世に現れて来るのだろうか…」。
青年は神に近い存在であろう。子供は車が好きだ、特に男の子は動くもの、飛行機・電車・貨車・昆虫・時計・ピストル・etc…。である。たぶん、私が用事でこの道を通るかなり以前から、青年はこの道の、この場所に出て、風が吹こうが、雨が降ろうが、雪が積もろうが、相も変わらず、気の遠くなるような人生の時間を過ごしていたに違いない。私はこの道を通るのが楽しくなった。あの青年は出ているだろうか?と。時に青年に車の中から手を振ることさえあった。三年間、この道を通ることは私の楽しみの一つであった。三年間が過ぎて、私は道を通ることが無く成ったが、4~5年の後に、この道を走った際に、彼はどうしているだろうかと謂う期待があった。だが青年の姿は見えなかった。わたしは車を止めて土地の人に、青年の消息を聞こうかと思ったが遠慮して止めた。もしも青年がもう既にこの世の人ではないとしたら、私は僅かの時間であったが、この青年に手を振って貰うことで、或る力をもらっていたのだと気が付いた。出会いと呼べるような出会いではなかったが、別れの悲哀を感じないわけには行かなかった。「ひとは何のためにこの世に現れて来るのだろうか…」。