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角田理論について

2024年03月03日 20時10分04秒 | 数学と言語学、及び宇宙論と哲学

 角田理論についての考察ですが、ブログのIDを忘れて仕舞い、gooの別なブログに書いていたブログを再び取り上げます。(2020年3月8日に書いたもの)

人間が言葉を習得する上で、聴覚はおよそ不可欠な感覚である。この聴覚が機能しなければ、ヒトは言葉を習得し音声を使って話す事ができない。ことばが習得される過程で、聴覚の機能はどんな働き方をするのだろうか?。そして日本語は人間世界の多くの言語と共通性を持つのか?、それとも異質なのか?、などのテーマが思い浮かぶ。なぜなら確かに日本語は世界各国のコトバの系統から離れる、特異な言語とされているからです。角田理論は医科歯科大の耳鼻科のお医者であった角田忠信博士が、1970年代初期に提唱された仮説でした。博士は何冊もの著書をお書きに成られているが、最後に出版された「日本語人の脳」を拝読すると、そこには永いご研究の変遷と核心部が書かれています。

ここでは角田理論のもたらした言語観と世界観について少し私見を述べてみたい。例えば「数学」と言う分野では、言語的な背景に係わらず世界共通という認識が一般的だが、果たしてそれは本当にそうなのか?と、問うた場合に幾分かの違和感がある。西洋数学が科学の上で業績を多く出したがゆえに、現代では西洋式の数学が主流です。我々は中高大で西洋式の数学を学んでいる為に、それが一番使いやすい、自然な方法であると感じているが、しかし西洋数学が主流になる前には、各文化には、その文化的な思念を背景とした数学があった。東洋では、古代にはシナの数学があり、日本にはその影響を受けた数学があり、戦国末期から江戸時代にはシナの数学から独立した日本の数学である和算の流行を見た。和算は日本人の感性で成長した数学であった。江戸時代、約200年間を通じて和算は成長し、その感覚には独特の物があり、成果にも実に面白いものが多々ある。

だが明治維新以後の、明治期には明治新政府の依って和算は洋算に替えられて、謂わば和算は消滅した形になった。明治期以降の学校で習うのは洋算である。洋算で育ってみると、和算には独特の数学的な感覚があるように思える。今現在、和算の方法論を直接になんのレクチャーを受けずに、提示されてもそれが解る人は少ないだろう。なぜなのか?、ここに文化的な差異が存在すると思う。もう子供たちは言うの及ばす、高校生・大學生でも和算の考え方を、何の初歩的なlectureの前提無しに和算を深く理解するのは難しかろう。和算の方法論的感覚は、それを特に学ばない限り消失したように想います。

言語と数学は実は深いレベルではつながっている。それは思考の方法が言語に拠って支えられて居るからです。コトバと数学は、たぶん同じ場所から出ている。数学は論理的想像力ですが、コトバはその想像力を表現する手段です。数学は明晰なコトバを使う人ならば易しい。だが音と思考を結び付ける言葉と言うものに関しては、ある成長時期までの(脳の機能形成過程と関連している)言語環境が大切です。それを逃すと、もう音韻に関する脳内スイッチが、日本語の音韻のスイッチ機構として形成されない。西欧に4ヶ国語を話す人がゐるにしても、それは皆な、同系統のことばであるから簡単であるに過ぎません。日本語は世界に類例のないことばですから、日本語とは異質なことばの外国人が、本格的に日本語を習得することは確かに、日本人が外国語を学ぶ以上に難しいに違いない。

さて「角田理論の言語観」、それは漸次発展して宇宙観にまで到達する訳ですが、先生がその発見をした切っ掛けの原因には、日本人の感覚とそれ以外の人々の感覚が、なにか根本的な違いがあり、その差異の元に在るのは何なのだろう?という疑問があった。その原因は何なのだろう?云う問いがあった。それは外国の耳鼻科学会に出て(確かキューバ島)、そのとき案内してくれた複数のキューバの学生が、宿に帰る道すがら、「猛烈に鳴いている虫の声を聴きとれない」、という経験を為さったらしい。なぜ、あれほどうるさく鳴いている虫の声が聴きとれないのだろう?という驚き、その事が切っ掛けに成って、角田先生はその原因を探ろうとした。

幸いなことに角田先生の専攻分野が耳鼻科であり、特に聴覚障害者の治療と難聴リハビリの分野であった事が、研究をすすめるのに大いに幸いした。最初、この原因が何なのだろう?と、たぶん迷われた事だろう。それが言語であると突き止めた。なぜ、日本語を母語とする私に、虫の声が聴き取れて、Spain語を話す若者に虫の声が聴きとれないのか?。当惑された事だろう。「コトバが脳を形作る?」。この発見は1970年代初期には驚くべき発見だった。コトバは実の所、感覚も思考も規定している事の発見は、サピアの言説以上に衝撃的だ。

聴覚の研究は尽きるところ日本語の研究に成る。ということを語る先師が居た。この師の先見性は大したものだ。聴覚の研究は言葉の研究であり、日本語の研究だ。というのだ。日本語は母音を意味として認識している。こんな言葉は日本語とポリネシア語系のコトバだけだという事です。他にも見つかる可能性はゼロではないが、たぶん無いだろうという考えらしい。これ一事を取って見ても、日本語といい日本人と謂うのは、相当古い言葉であり、古い人類で在るのでは無いでしょうか。日本語は色々なコトバが被さって出来ている言語であると、時枝誠記氏が提唱して居られるが果たして多くの言語が被さったコトバなのか?少し疑問です。例えば現在の英語などは、ケルト語を基層に、古ドイツ語にフランス語が被さった混じったコトバです。その様な例を参考にして時枝誠記さんは、日本語重層説を唱えたのだと思いますが、日本語には、被さるコトバは近隣には無いものです。この辺の事情は未だになぞです。

それは国語学者、言語学者、自身が日本語の本質を知らないからです。ああでもない、こうでもない、と呪文を唱える如き迷妄に彷徨っている。「日本語は日本列島で誕生した固有の他に無い言語」です。こう認識すれば、やれることは沢山ある筈だが、未だに日本語はどこかから来た言語であろうという想像でゐる。その様な漠然とした感覚をもってゐる。言語学界の怠慢は大きい。

特に、子供の母語の習得時期の重要さである。この時期は日本語環境での、脳内スイッチのモジュール形成の時期で、この時期の重要さは幾ら強調してもし過ぎることは無いくらいである。一人の人間に本当の母語が身に付く時期が、9歳から10歳までの時期であるという。それは恐らくは脳機能の成長と同期しているのだろう。この時期の研究は未だ未だ為されていない。音という端子を使い、脳内のメカニズムを考察する研究が此れからはもっと進められねばならない。それが言語の習得と深く関係しているならば、猶更のことであろう。

更に、研究は聴覚から脳の研究を超えるに及んで、驚くべき提案をしている。それは脳が惑星系とのセンサーで、運動(時間)や地球環境での地場の影響(地場の逆転)、地球の歪み(地震)、太陽フレア(磁気嵐)、個体の成長時間(寿命)、が、生命体個体の変化にも関与しているという説です。この提案はむべなるかなです。生命体はこの地球にうまれて、その地球は太陽系のリズムに即して動いている。生命に惑星のリズムが取り込まれているのは不思議でも何でもない。言って見れば当り前の事だ。不思議だと謂って居る御仁は、太陽系の運行が生命のリズムに及ぼしている事実を認識してゐない為です。地球環境の海に発生した生命は、最初に潮のリズムを取り込んで生殖過程を形作った。変化は連続的に続いているが、常に環境のリズムは生命体のリズムとして指導原則に成ってゐる。太陽系第三惑星の自然環境から言えば、月という衛星の存在は、驚くほど大きい。月は地球環境にリズムを付与したのだ。と謂える。月は地球の7割を占める海洋に、干満のリズムを創り出した。其の原体は引力(重力)なのであるが、引力(下の物が落ちる)は、あまりにも当たり前の事であるので、我々は殆ど気にも留めない事柄だが、それだからこそ、大いなる奇跡と呼んでよい。

言語習得の過程は、最近の生成文法の思考でも、また言語起源論の初歩的な問題としても多く議論されてきたが、この問題に真の創造的な回答や洞察を示した例は数少ないと云うより殆ど無いに等しい。言葉の問題の真の核心部は音声とか語彙、意味ネットワークに有るのではない。それよりモット根源的な感覚器の集る脳神経系のモジュール形成過程にこそある。五感の信号が集まる部分にこそ言葉の最初の源泉がある。コトバの問題を探求していると、「いったい意識とは何だろう?」と、謂う疑問が起きます。一言で謂えば、こころとは何んの反映なのだろう?との根源的な問いです。私の感じるところ、おそらく言語起源論の本体は「こころとは何か?」という問いと、ほとんど同じ物だ。

言葉の実体は発信された音声に有るのではない、それは内的な反映であって単なる音と捉えるのは錯誤である。音とは表面に出た通信信号の一種に過ぎない。言語学の本質はむしろ通信を発する本体の方にこそ重要さがある。角田博士の、音声信号、音声環境、音声認識、の研究は、脳機構の実体と日本語の特性とその本質を多くの日本人に気が付かせた。この功績は極めて偉大なものが在る。この研究は未だ途上である。それは言葉だけでは無く、こころと言う見えない実態に迫る物なのですが。

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