★上はマイケル氏のブログで、リチャードコシミズは薬機法違反で逮捕される!のではないか?という記事なんだが、逮捕されるだろうね。もうコシミズも逃げれない所に追い詰められている!ブログのバンなんかは甘い刑である。しかしコシミズはブログと講演で食ってきた「一応は言論のプロ」だ。しかし逮捕されれば生きていけないだろう。
★昔、鷲のこのブログで「コシミズはいずれ生活保護で生きていくしかなくなる!」とか書いていたのだが、社会のどん底を歩んできたコシミズにとって(彼の両親はかなり知的で裕福でマトモだと鷲は感じるが)は「生活保護を受けたいなぁ~」という感覚で鷲の言論を受けていたwww で、反コシミズ派はコシミズに生活保護を受けされることを拒む動きもあった(今もある鴨?)www 結局、コシミズの10数年の「プロの言論生活」ってなんだったのか?
★リチャードコシミズの言論を信じると「人生の敗北者に堕ちる」という罠だったと思う。それはベンジャミンフルフォードや副島隆彦にも言える。もちろんオウム真理教の麻原彰晃や座禅を否定する五井野正の言論も「信じれば敗北の人生に堕ちる罠」なのである。「人生の罠」はあらゆるところにある。リチャードコシミズは逮捕されて終焉するだろう。すでにコシミズの人生は終焉しているが、逮捕されることがトドメである。太陽神はハッキリと解りやすいように太陽系の犯罪者を「さらし首」にする。そして人間に学ばせる。太陽神とは恐るべき存在なのである。だから古代から太陽神のシンボルは髑髏だということ。
★鷲のコシミズのイメージは上の熊沢英昭の息子の熊沢英一郎なのである。熊沢英昭は東大卒業、そして農林次官、で海外の大使もやった超エリートである。しかし息子の英一郎は常に母親に暴力をふるう何もやってもダメダメな息子であった。「コースマザース(母親の呪い)」を受けたのが熊沢英一郎であった。コシミズと熊沢英一郎の共通点は「懺悔できない」ということ。俺が悪いのではない!「父と母が悪い」「教師が悪い」「政治家が悪い」「ユダヤ人が悪い」「カネモチが悪い」「自民党が悪い」「ディープステートが悪い」と、自己懺悔できないから、自分の失敗を他人のせいにして生きてきた〇〇だということ。
★天台宗のお経に「懺悔文」というのがある。これは素晴らしいのである。それをずっと前に鷲は発見した。六道を生きる人間は懺悔することはできない。懺悔するのは「太陽神」に対してである。映画「大魔神」でも大魔神を神だと思う純粋な女性と子供が懺悔することによって大魔神の破壊活動は無くなった!という場面が出て来る。リチャードコシミズは「懺悔」ができないからマイケル氏とあかねさんを筆頭にするコシミズの悪追求者たちにやられている!ということ。五井野正も懺悔できないから、鷲の言葉で死んだが、それは鷲が「【太陽神の使い】で五井野正を裁いた現象」ということ。
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★結局、リチャードコシミズの正体とは「悪ぶったカネモチの坊ちゃん」ということ。東京五輪開催の時に【曲】を拒否された小山田圭吾のような。コシミズは知的で裕福な両親の元で誕生したのに「自分の間違いを認識できず、間違いを常に他人のせいにするから子供のまんまの66歳に堕ちている」ということ。コシミズは逮捕されて刑務所で「懺悔」することを鷲は望む。それができないのなら多くの人々を間違った道に導いたのだから、太陽神から重い刑を与えらるだろう。レベルは江戸時代のような重い刑であり、ヒトラ―時代の強制収容所とか。そしてベンジャミンフルフォードや副島隆彦もコシミズと同じ人種である!
サーティンキューさん、熱いリチャードコシミズ論かましてくれてありがとう!
実にクールで現実的な見識だと思います。
サーティンキューさんのことをカルト系だなんていうひとがよくおられますが、ちがいます。
あのドストエフスキーが「 私はイルーリュージョニストじゃない、リアリストだ 」といったのと同じ意味で、氏はリアリストです。
限度を超えたリアリストって、一見イリュージョニストっぽく見えるんですよ。
全部読みちがっているんですよ、彼等って。
リチャードコシミズの推進している「 イベルメクチン無償提供クラブ 」を応援している人たちや、「 反ワクチン 」「コロナは実在しない 」なんて運動にいまだ共鳴している、いわゆる陰謀論系の人たちのほうが、僕にいわせればよっぽどイリュージョニストですよ。
常識のアンチアングルに凝り固まりすぎているから、彼等は一見、非常識に見える。
でもさ、そんな偽装の衣を剥いでみりゃあ、なんのことはない、彼等はただの常識家です。
むかし、アンチ巨人は実は裏返しの巨人ファンだ、というのがあったじゃないですか。
あれとおんなじ理屈でね ――― 彼等は常識家です、しかも極めて退屈な部類の。
凡庸が非凡を夢見た「 スタ誕 」が陰謀論というものなんだよ、と、もうここで言いきっちゃいましょう。
常識のアンチに張ってばかりいる陰謀論は、自己承認欲求の油にぬとぬとに濡れている、と僕は思う。
彼等の自己愛にまみれた言論は、それを見るものの心を貧しくさせる。
彼等には思想がなく、太田龍と席を並べてミゲルネルについて勉強をされたサーティンキューさんのような経験もなく、サーティンキューさんが五井野正との闘争を経て獲得したような粘りと知恵もありません。
彼等って、つまりはただの「 逆張り屋 」さんでしかないんですよ。
―――― ゼロだよ! とにかくゼロに賭けるんだ…。
というセリフはちょっと聴きしただけじゃ勇ましげに聴こえもしますが、よくよく考えてみれば、彼等のプレイしているゲームそのものが、現実を基盤にしたルーレットテーブルそのものではないですか。
常識が同席しているこのルーレットのテーブルで、彼等は今もむかしも独創性の欠けた裏張りプレイをやりつづけているわけです。
注目ポイントはここ ――― そう、 陰謀論ってね、究極的には「 遊び 」なんです。
自分に見えるだけの狭くて小さな現実の破片を集めてきて、破片同士の関連性も、それぞれの破片が現実のどこに属していたかも関係なしに、あたかも泥んこ遊びでもするかのように、それらの破片をまぜこぜにして、自分好みのぐっちゃぐっちゃの泥団子をこねあげる。
それは自分を弾きだした現実に対する、彼等なりの仕返しなんですよ ――― それが彼等の陰謀論。
リチャードコシミズのいう「 保険金殺人 」も「 工作員 」も「 不正選挙裁判 」も「 朝〇悪 」も「 イベルメクチン無償配布クラブ 」も、みんなこうした泥団子工場の産物です。
リチャードコシミズのかつての人気演目であった「 不正選挙裁判祭り 」に、そのことはとりわけ顕著に表れています。
あれは、誰でもできる行政訴訟という手続きを踏んで、東京高裁っていう特殊なステージを一時レンタルしただけなんですよ。
闘いだなんてとんでもない! バカも休み休みいってほしい。
あれはリチャーコシミズを筆頭にした、「 リチャードコシミズ宝塚ショー:法廷篇 」ってソープオペラなんですわ(笑)
そう、あれの真の目的は、実際に法廷を訪れた独立党系の傍聴客、ネットで見守っている多くの陰謀論ファンの方々と声をあわせて歌うことだけだったんです。
うん、結局陰謀論ってね、ダメな自分をダメじゃないと思いこむための黒魔術なんですよ。
世界中で正しいのは唯一自分だけ。
それを否定する社会も、世界も、家族も、友人も、会社の同僚も、すべてはB層で工作員。
そう信じこむこむためだけに存在する言いわけ玩具が、いわゆる陰謀論と呼ばれているものの心棒であり正体なんです ―――。
先日、横浜アリーナで聖子ちゃんショーがあって、たまたま新横に用があってそこを通りがかった際、僕、女性の2人組の聖子ファンを見かけたんですよ。
見てすぐにこう思った ――― ああ、この50代女性と娘さんらしきお2人、きっと2世代の聖子ちゃんファンで、ステージがはじまったら2人でペンライト振って、マスクごしに「 聖子ちゃーん、聖子ちゃーん!」って叫ぶんだろうなあって。
彼女らが叫ぶだろう愛らしいシュプレヒコール、
―――― 聖子ちゃーん、聖子ちゃーん!
という叫びは、かつてのRK独立党勢の、
―――― 不正裁判ー! 不正裁判ー!
というシュプレヒコールとまったく同じなんです ――― 言葉からその表層の意味を剥ぎとってみたならば……。
陰謀論者っていうのは、淋しいひとたちなんですよ。
社交下手で友達づきあいも不得手なひとが本当に多かった。
そして、いま僕が例にあげた不正選挙裁判にしても、メインはイベントのあとの夜のほうにあったんですね、実のところ。
つまりは宴会だ ――― イベントのあとの宴の酒は特にうまいからねえ。
普段は口下手なひと、挨拶もできないひと、会話が苦手なひとでも陰謀論マニュアルを使えば、なんと「 いっちょまえなお喋り 」が人並に楽しめるんだもの!
パラダイスじゃんか ――― これまで友達なんかもったことがないこんな自分でも「 友達もどき 」の輪に難なく入っていけるだなんて……。
僕は、多くの陰謀論、カルト宗教っていうのは、そういった社会適応が苦手なひとの受口になっているんだ、と思う。
こういった需要がいつでもあるから、こうしたリチャードコシミズみたいな陰謀論者が食っていけてるんですよ。
つまり、陰謀論っていうのは、一般のお父さんがときたま利用するスナックの代用品みたいなものなんです。
一種の気晴らし、規制だらけの日常の牢獄から一時離れて、会社と関係のない、世代のちがう同性、異性と触れあえる社交のチャンス場みたいな感じかな?
政治、世界解釈としての陰謀論それ自体は、副次的なものなんです。
そう、政治は主流なんかじゃない。
「 政治がいちばんおもしろい!」とリチャードコシミズはかつての動画のなかで何度も吠えましたが、あれは恒常的な交友関係を築けない自らの顧客に対して ―――
君らはたしかにいままでハブにされ、孤独な生き方を選ばされてきた、
しかし、それは君らのせいじゃなくて世の中のせいだ、
人間関係の取引に疎いのは君らが純朴な真人間であるせいだ、
そのような取引が重んじられる社会構造をつくった側にむしろ原因があるとはいえないか、
人間関係の乏しさなんて小さなことだ、
そんなことよりも君らは僕のいう世界構造の理論を理解してくれる、
そのほうがよっぽど重要なことだ、
そう、僕の言葉を理解できる君たちは本当は精鋭なんだ、
世界の真の姿を理解できない多くの奢った人間たちこそB層なんだ、
彼等の目をひらかせるためにも僕には君らの協力が必要なんだ、
どうか僕等の仲間に入って僕等と一緒に闘ってください 。
―――― と、彼流のおべっか営業をかけているだけなんですね……。
そうして、こうした陰謀論提起者の真の狙いは、生きづらい情弱者を檻のない陰謀論思想の巣箱に取りこんで、彼等に連帯の幻想と彼等立地の正しさを空保証しておいて、うん、その代償に彼等・信者連から定期的な称賛と金銭とを徴収することにあるんです ―――。
しかし、そのように陰謀論の10年を駆けぬけたリチャードコシミズにも、いよいよフィニッシュの時が近づいてきたようです(笑)
今回のイベルメクチン騒動で、彼の舵は確実にゴルゴダ行きに切り替わってしまった。
2021年9月22日より、彼は「 イベルメクチン無償貸与クラブ 」関連の追加記事をまったく挙げておりません。
前記事で僕が紹介した ameblo の「 どんぐりの秘密の巣箱 」のいつきさんもおなじ。
9月19日掲載の「 わなげチョコ無料配布 ♰ 」を最後に、彼もご自分の記事を一切更新されておりません。
彼の Twitter にもアカウント停止の注意が入っていました。
彼等のあしたはどうなるのでしょうか ―――?
僕は知らない。彼等自身もきっと分かっていない。
そして、そんな彼等の思いこみワールドを追いこすように、時代は冷酷に輪転していきます。
ワクチン接種者は2年以内に全員死ぬ ――― とリチャードコシミズはいった。
こんな予言が実現しっこないということは、ほかの誰よりも彼を信奉する皆さんのほうがよくご承知でしょう。
新時代が始動したときにはリチャードコシミズ信者の席はなくなっているだろう、と僕は思います。
サーティンキューさん、懐かしのレナード・コーエンとてもよかった。
お返しに、カナダの天才ピアニスト Glenn Gould の弾く、フリーズドライしたトルコ行進曲を送ります。
これはもちろんリチャードさんへの葬送曲として(笑)
今日の僕の記事は以上です ――― お休みなさい。