心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

「タトゥー」私たちの体は美しく作られているはずなのに、体に模様を入れる必要があるのでしょうか?

2018年09月06日 | 子育て論

私は刺青やタトゥーが嫌いです。

それはなぜか?というと生理的に受け付けないからです。

アートなど言って、おしゃれ感覚で刺青を入れる人がいますが、産まれ持った体に落書きしているような不届き者にしか思えません。

そして、ドラマや映画で、暴力団、ヤクザが見栄を切る時に、自分の刺青を相手を威嚇するときに見せます。

「俺には刺青いれるだけの痛みに耐えた根性と覚悟があるんだぞ!?(犯罪なんて怖くない、お前くらい殺してやるぞ!)」

という、人生を捨てているような、そして完全に悪に染まったような退路を断って悪の道に突き進んだというイメージがあるからです。

つまり、「威嚇するため」のものではないかと思えるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・(2010年08月12日 元極道・刺青は何故入れる?カテゴリ:カテゴリ未分類)

幼い頃、よく母親に「ヤクザになると2度と一般社会人として生活していけないように刺青を入れられて組から逃げられないようにされちゃうんだよ」って言われて育ったっけ…(笑)
まぁ、刺青以外にも勿論ヤクザになってヘマをやらかして指を詰めることになったりした場合も一般社会に復帰するとなれば困るだろう。


さて、ヤクザが刺青を入れる理由だが…2度と一般社会に戻らない決意を痛い思いをして体に覚えさせるってのが大筋の理由であって、若者や一部芸能人のようにタトゥーと呼ばれるワンポイントの刺青なんかも何かの決意が揺るがないようにとか子供の名前、または恋人の名前などを彫るなどファッション以外の何かしらの決意表明みてえなもんだと思う。


ただしその決意表明の裏を返せば組の代紋、組の名前、愛する者の名前、それらを自分自身の体に彫らないと揺るいでしまうような決意という事だから名前を刺青で入れるという者の多くは、ほぼ割とあっけなく短い期間でヤクザを辞めたり愛する者とは別れたりするようだ。


実際に刺青が大好きな某組長さんなんかも「俺の周りで名前や代紋なんて彫り物にしてる奴は全員といっても過言じゃない位、ケツ割ってるから名前や代紋なんて絶対に入れちゃあいけないんですよ」とおっしゃられていた。
入れちゃあいけないってのは、入れた後に決意が揺るいでしまった時に自分の体に残ったのはただの悪戯書きと化したり、または嫌な思い出として残って困るからという理由もある(笑)


今は簡単に名前ぐらいなら刺青と言えど消せるからいいのかもしれねえけど消すだけで結構な料金がかかるからねぇ…名前を入れるってのは俺もお薦めしない。 

さて、名前以外のヤクザ者が入れてるきちんとした和彫りなんだけど完成するまでの費用は完成した者達に聞いた話によれば大体200万円~ってのが相場みたいだ。


まぁ時間幾らの料金制だから痛みに耐える事ができて健康状態を保てれば同じ作品でも完成までにかかる費用も安くもなり高くもなる。


そんな訳で、刑務所なんかに行って刺青を入れてるヤクザ者の多くは中途半端な刺青で今後も完成させる予定は無いみてえな者がほとんどだ(笑)

ヤクザになって最初は刺青を入れたいなんて言えばニコニコスマイルしながら「そうかっ頑張って入れてこい」と言わんばかりに当然費用も組が出してくれる、

最初は自分が入れたい絵柄の下絵のようなデザインの輪郭だけの筋彫りってやつだけ彫ってもらうんだけど、その後は本人の入れる意思があるか無いかで作品が完成するかしないかの分かれ道となる。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「さて、ヤクザが刺青を入れる理由だが…2度と一般社会に戻らない決意を痛い思いをして体に覚えさせるってのが大筋の理由であって、若者や一部芸能人のようにタトゥーと呼ばれるワンポイントの刺青なんかも何かの決意が揺るがないようにとか子供の名前、または恋人の名前などを彫るなどファッション以外の何かしらの決意表明みてえなもんだと思う。


ただしその決意表明の裏を返せば組の代紋、組の名前、愛する者の名前、それらを自分自身の体に彫らないと揺るいでしまうような決意という事だから名前を刺青で入れるという者の多くは、ほぼ割とあっけなく短い期間でヤクザを辞めたり愛する者とは別れたりするようだ。」

とあるように決意表明のようですね。

そして、例外なく、人名を入れたりする人はケツを割るつまり、裏切ると言われています。

刺青の日本の歴史についてみていきます。

・・・・・・・・・・・・・・・(特集 入れ墨と日本人 日本の入れ墨、その歴史 山本 芳美【Profile】文化 [2016.12.19])

日本の入れ墨は、出現や消失を繰り返し、江戸時代に形も美しさも大きく発展する。その知られざる歴史をひも解く。

古代から日本各地で習慣とされたイレズミ

皮膚に傷をつけて色素を入れ、文様や図、記号、線などを残すイレズミは、人類の最も古い身体加工法の一つで、世界中で行われてきた。割礼(かつれい)や纏足(てんそく)、首の伸長などと同様に起源は定かではない。しかし、日本で出土する土偶や埴輪(はにわ)の線刻から、古代よりイレズミの習慣が存在したと推定される。

日本の南端にある奄美群島から琉球諸島にかけて、女性は「ハジチ」と呼ばれるイレズミを指先から肘にかけて入れる習慣があった。記録として残されているのは16世紀からだが、それ以前から行われていたと推測される。特に手の部分のイレズミは、女性が既婚であることを表し、施術が完成した際には祝福を受けるなど、通過儀礼の意味合いも持っていた。

島ごとに施術される範囲や文様が異なっており、ハジチがない女性は来世で苦労するという伝承が残る島もあった。

一方、北方の先住民族、アイヌの女性たちも唇の周辺や手などにイレズミを入れていた。北から南まで、イレズミは日本各地で広く行われていたことが分かる。日本の創生神話を描いた『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)にも、辺境の民の習慣や刑罰としてイレズミが言及されている。

そうした中、7世紀中頃から日本における美意識は大きく変わる。全体的に肉体美よりも、着衣や香りなど暗い室内でも映える「美しさ」を偏重するようになった。イレズミは徐々に行われなくなり、これに触れる文献や絵画資料も17世紀初期まで途絶えてしまう。

復活、そして世界でも特異な美へ
戦国時代を経て、社会が安定した江戸時代になると、イレズミの歴史は再び動きだす。遊女と客との間で、永遠の愛を誓う意味で小指を切ったり、互いの名前を体に彫ったりしたとの記述が文献に現れ始める。

やがてこの身体的加工は、侠客(きょうきゃく)の間でも誓い合いの方法として用いられるようになっていく。

 

また、建築や祭りの準備などの仕事に従事し、町内の警備役や消防も担った鳶(とび)や、飛脚(ひきゃく)などにもイレズミは好まれた。これらの人々は、身動きの取りにくい着物姿よりも、ふんどし一丁で仕事をすることが多かったが、地肌をさらすことは恥ずかしいとも考えたため、イレズミを身にまとったのだ。やがて社会では「鳶にイレズミはつきもの」とのイメージが強まり、イレズミが入っていない若い鳶には、町内の旦那衆が金を出し合って彫らせることもあった。

火事場で火消しとして戦う鳶は、江戸の「粋」の象徴であり、鳶のイレズミは彼らが住む町内の誇り、「華」でもあったからだ。

鳶たちは、龍のイレズミを入れることが多かった。これは龍が雨を呼ぶと信じられ、自身を霊的に守る意味があったからだという。そうした需要が増えるに従い、簡単な文字や図から始まったイレズミは、徐々に複雑化、拡大化していく。やがてそれは、人の肌に絵や文字を彫ることを専業とする彫師の出現にもつながった。


歌川国芳「武者絵 通俗水滸伝 浪裏白跳張順」(アフロ)

大衆文化の世界では、イレズミを入れた侠客が「弱きを助け、強きを挫(くじ)く」理想像として浮世絵に描かれるようになった。やがて、それは憧れの対象となり、19世紀前半には、浮世絵師の歌川国芳(くによし)が中国の小説『水滸伝』の主人公たちの全身にイレズミを描き、大評判となる。さらに、歌川国貞(くにさだ)などが、今度は歌舞伎役者にイレズミを描きこんだ浮世絵を発表して人気を博した。この流れは実際の歌舞伎にも影響し、「白波五人男」(1862年)などの演目で、イレズミ模様の肌襦袢を着用した役者が主役級の役を演じるようになる。こうした浮世絵や歌舞伎の刺激もあって、元々拡大の一途にあったイレズミの施術範囲は、さらに全身へと拡大していったのだ。

 

イレズミを強く規制した明治政府
武士階級には、身体を傷つけることを厭(いと)う儒教思想が浸透したため、イレズミは広がらなかった。

また、1720年から、刑罰の付加刑として額や腕などにイレズミを入れる「黥刑(げいけい)」も導入されたため、庶民の間にはイレズミを嫌う人もいた。

江戸幕府はイレズミに対し何度か規制を加えたが、あまり効果はなく、19世紀後半には流行が最高潮に達した。

その後、政権を握った明治政府は、鎖国を解き、欧米並みの文明国家を目指した。その結果、約400年間ほとんどやってくることがなかった、海外からの賓客や旅行客、船員が来日するようになる。これらの人々は日本を旅する中で、混浴の習慣や、全身にイレズミがあるふんどし姿の男たちが街を闊歩(かっぽ)していることを、日本特有の風俗として旅行記につづった。

これを明治政府は、欧米から見た日本の未開部分として問題視し、明治5(1872)年、彫師(ほりし)と客になることの双方を法的に規制した。

そして、20世紀初めには、常に衣服を着ることが社会的に定着したこともあり、イレズミは着衣の奥深くに秘められたものとなっていく。

逆説的だが、この取り締まりの時代に「イレズミは隠してこそ、精神的にも美しく深みを持つ」との考えがより強まった可能性があると追記しておく。

ところで、女性たちのイレズミが習慣としてあった沖縄やアイヌでも深刻な影響を受けた。

イレズミを隠れて行う人もいたが、警察に逮捕され、野蛮で遅れたものとして手術や塩酸などで除去された。今では、これらの地域の先祖伝来であったイレズミの習慣は、完全に途絶えてしまっている。

海外に渡った彫師の活躍
一方で、来日した人々の中には、イレズミを「日本土産」とする人々がいた。王子時代のジョージ5世(エリザベス女王の祖父)やロシアのニコライ2世が日本でイレズミを入れたことは、記録や証言から確認できる。

また、海軍の隊員や旅行客が英米の新聞などに日本でのイレズミ体験を語ったことで、強い興味を抱く人々も現れ始めた。その好奇心に応えたのが、海外に渡った日本人彫師たちだった。

当時の彫師たちは、国内では表商売として、現在の町の広告看板業にあたる「絵ビラ屋」や「提灯屋(ちょうちんや)」の仕事をし、イレズミの仕事は隠れて行っていた。その一部の彫師が、より自由な仕事を求めて、香港、シンガポール、フィリピン、タイ、インド、英国、米国などに渡ったのだ。このことは19世紀末から20世紀初めに英国と米国で活躍した日本人彫師について研究した小山騰(のぼる)や、それに引き続く筆者の研究により明らかになっている。

海外に渡った彫師たちは、船の乗組員や乗客相手の仕事が多かったこともあり、港の近くで仕事場を持つかホテルを間借りするなどして、各地を転々としていた。例えば、19世紀末から20世紀初めまで、ロンドンやニューヨークで仕事をしたYoshisuke Horitoyoと名乗った彫師は、新聞記者に対して中国や香港、パリなどでも仕事をしたと述べ、特に香港ではフィリピン初代大統領のアギナルドに彫ったことがあるとも語った。

 

日本人彫師はその高い技術から人気が高かったが、客はほとんど簡単に仕上がる小さめの「タトゥー」を欲し、日本のように長期に通ってもらえる客は少なかったため、技術を存分に発揮できなかったようだ。

第二次世界大戦を経て、普通の人々の営みへ
第二次世界大戦で敗戦した日本は、1948(昭和23)年にイレズミを取り締まりの対象から完全に外した。連合国軍総司令部(GHQ)の占領下となり、各地に米軍基地が設置されると、彫師は軍港のある横須賀で、寄港する米軍兵を客に商売を始めた。ここでも日本的な図柄ではなく米国風のタトゥーが好まれ、朝鮮戦争やベトナム戦争時は大変にぎわったという。


1953年12月、韓国で撮影されたオーストラリア兵。イレズミはエジプト、英国、香港、日本、インドで入れたそうだ。

オーストラリア戦争記念館所蔵(https://www.awm.gov.au/collection/HOBJ4707/)

長くイレズミが社会の表舞台から遠ざけられた日本で、彫師が出版や展覧会などの活動を始めたのは70年代からであった。この時期に、ファッションデザイナーの三宅一生や山本寛斎が、日本のイレズミから着想を得たタトゥー・スーツをそれぞれ発表している。80年代には、米国などのロックバンドがタトゥーを入れていたことから、これに興味を持った日本の若者が増加。その後は、タトゥー人気の広がりによって、伝統的なイレズミを好む人も増えている。

 

2014年に関東弁護士連合会によって行われた、20代から60代までの男女計1000名を対象にした無作為調査によると、16人がイレズミを入れていた。人口の1割から4分の1にも達する海外でのタトゥー施術率と比べれば低率だが、日本でもイレズミがファッションレベルで定着を始めたと言えよう。


山本 芳美  YAMAMOTO Yoshimi[ 署名記事数: 1 最終更新日: 2016.12.19 ]
都留文科大学教授。文化人類学者。昭和女子大学大学院生活機構研究科生活機構学専攻博士後期課程修了。学術博士(論文)。2000~2003年、台湾・中央研究院民族学研究所に留学。著書に『イレズミと日本人』(平凡社新書、2016年)、『イレズミの世界』(河出書房新社、2005年)などがある。

 ・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

・島ごとに施術される範囲や文様が異なっており、ハジチがない女性は来世で苦労するという伝承が残る島もあった。

・鳶たちは、龍のイレズミを入れることが多かった。これは龍が雨を呼ぶと信じられ、自身を霊的に守る意味があったからだという。そうした需要が増えるに従い、簡単な文字や図から始まったイレズミは、徐々に複雑化、拡大化していく。やがてそれは、人の肌に絵や文字を彫ることを専業とする彫師の出現にもつながった。

・また、1720年から、刑罰の付加刑として額や腕などにイレズミを入れる「黥刑(げいけい)」も導入されたため、庶民の間にはイレズミを嫌う人もいた。

・2014年に関東弁護士連合会によって行われた、20代から60代までの男女計1000名を対象にした無作為調査によると、16人がイレズミを入れていた。

刺青が入っていないと、あの世で苦労するなんておどしがあるとは驚きですね!

江戸時代の鳶職が龍を刺青で掘っていたのは、自分を守るお守りとしていたそうですが、龍とはご存知の通り「年老いた龍」=「ルシファー信仰」です。

1720年には、罪人に対して刺青が掘られています。

この起源は古代ローマにありました。

・・・・・・・・・・・・・・・(古代ギリシア人が軽蔑したタトゥー)

 日本でも黥刑が施行されていたように、古代ギリシア人も犯罪者や奴隷の身体へ印を刻んでいたという。

元前5世紀頃にヘロドトスが記した書物にも、タトゥーを軽蔑する古代ギリシア人についてや、自ら喜んでタトゥーを彫るトラキア人女性らを“狂った女ども”と呼んでいたという記述があるほど。

またある歴史家は、西暦800年頃の東ローマ帝国を治めていたテオフィロス皇帝が、自身の不満を口走った修道士2人の顔全体に卑わいな文章のタトゥーを彫らせたと伝えている

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

罪人の目印として入れていたものが、なぜだかファッションに変化してきたということでしょうか?

有名芸能人やミュージシャンにタトゥーを入れれば、若者がかっこいいと勘違いして入れ始めます。

しかし、その起源は、「犯罪者」であるからたまったもんじゃありませんね。

「罪人、犯罪者がかっこいい」という風潮を作りたいのかもしれません。

刺青やタトゥーは、「犯罪者、悪人が一目見てわかるようにつけられた目印」なのであれば、私たちはそれらは避けるべきではないでしょうか?

決意表明として、体に彫るのはいいですが、冒頭の転載記事にもあるように、こういった人名や代紋を彫る人は、一時的な感情の高ぶりで勢いに任せてやっているだけなので、年老いてから、趣味の悪い落書きと言われるのがオチです。

ですから、正常な人、まともな人は、間違っても、刺青やタトゥーを入れるべきではありませんし、針やメスの使いまわしでB型肝炎に感染するのがオチです。

最後に、日本一胡散臭い、脳科学者の茂木健一郎のコメントを転載します。

・・・・・・・・・・・・・・・(茂木氏、タトゥー差別に問題提起「日本の国際的恥」2018年8月24日 10時41分 日刊スポーツ)

 

脳科学者の茂木健一郎氏が、タトゥーを入れている人が温泉やプールの利用を制限されることを「差別」だと批判し、「撤廃するべきだ」と訴えた。

かねてタトゥーへの偏見に反論してきた茂木氏。タレントのりゅうちぇるが家族の名前を刻み入れたタトゥーを披露して一部から批判を浴びている騒動を受け、24日更新のツイッターで再びタトゥー問題に言及した。

茂木氏は、タトゥーを入れている人が温泉やプールの利用を制限されている現状について「いわれなき差別は撤廃するべきだ。インバウンドのお客さんも増えている今、放置すれば日本の国際的恥である」と指摘。タトゥーと反社会的勢力を結びつける見方について「すべてのタトゥーの方がそういう行動に出るということは、集合論としてもちろんならない。ベン図を書けば、小学生でも理解できるだろう」と否定した。

タトゥーを不快だと感じることを理由にプールなどの利用を制限するべきだと主張する声については、「これは、(おそらくは偏見と無知に基づく)自分の感性を、パブリックな場の運用のルールにせよ、と主張していると解釈できる」との見解を示し、「自分の感性に基づいて、公のルールを決めろ、という主張が、論理的にどのような構造をしているのか、少し冷静に振り返ってみれば、誰でもわかるはずだ(と私は信じる)。個人と集団の関係。その意味で、タトゥーの方の入浴、プール利用の禁止はナンセンスだということは自明だろう」とした。

また、タトゥーを「親からもらった身体を傷つける行為」などとして温泉等の利用制限を主張する声もあるが、こうした意見は「ことごとく論理的に脆弱であって、批判的思考の深刻な欠如を示唆している」と切り捨て、「世界的に見た、タトゥーの文化的、社会的意味合いの広がりを考えた時に、この現代の日本で、タトゥーの方の入浴、プール利用の禁止という奇妙なルールが温存されているのは、ひるがえって、日本における批判的思考の風土の欠如というより深刻な一般的問題の表れだと私は考えている」と問題提起した。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

茂木健一郎は「うんこをご飯にかけてカレーライスとして食べろ」と言っているようなものだとわからないのでしょうか?

公共の場所に入れ墨やタトゥーを入れている人がどうどうと使用するようになれば、利用者は激減するのは目に見えています。

海水浴場のお客が減っているというニュースがありますが、それは海水浴場に来る客がガラの悪い刺青やタトゥーをいれたチンピラばかりだからではないでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・(海水浴場で背中全面刺青人物「かっこいいだろ~」で子供泣く 2014.08.10 07:00)


 最近、海水浴場で問題となっているのがタトゥーだ。もちろんファッション感覚のタトゥーも多いが、威圧感を覚える人もいる。

「Tシャツやタンクトップからはみ出たタトゥーをチラつかせる若者や、なかには背中全面に立派な入れ墨をしている人もいました。近くを歩いていた子供にまで『カッコいいだろ』とからんだりして、泣き出す子供もいた」(昨年片瀬西浜海岸を訪れた40代女性)

 利用客からのこうした苦情を受け、タトゥー禁止を打ち出す海水浴場が出ている。

2010年8月に19~20才の男女6人が麻薬取締法違反容疑で逮捕されるなど違法薬物事件が相次いだ神戸市の須磨海水浴場では、「モラル頼みでは限界がある」として翌2011年7月からタトゥーの露出や喫煙を市の条例で禁止した。

また、逗子市の条例でも、利用者は「他の利用者を畏怖させるものは露出禁止」とし、隠すためのタオルを50枚用意。海の家の営業者などは「露出禁止」とされた。

「ファッションの小さなタトゥーまで規制するのはいきすぎ」などの批判もあったが、一方ではこんな指摘もある。

「実際のところ、タトゥーを入れた連中はまだいっぱいいるよ。巡回の指導員に注意されてタオルで隠す人もいるけど、『うるせぇ』って感じでとりあわないヤツもいる。禁止って言っても、守らせなければ意味ないよね」(逗子で海水浴をしていた40代男性)

 逗子海岸では6月27日の海開き以降、警備員がタトゥーや飲酒についてすでに600件以上注意したという。

※女性セブン2014年8月21・28日号

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

はい。

このようにモラルもへったくれもない人達が「タトゥー」を入れるのです。

彼らは単にファッションとして入れているのでなく、「俺は刺青いれていて、普通の人間じゃない。モラルもへったくれもないぜ!」と威嚇しているようにしか思えません。

海水浴場は「水着のクラブ化」しているとしか思えません。

家族で海水浴場に行くのは避けたほうがいいですね。

私も、泥酔者や、刺青だらけの海水浴場に子供たちを連れていけません。

・・・・・・・・・・・・・・・(2013.12.31 13:28 海の家「クラブ化」問題 ビーチが危険地帯に…湘南ブランド復活なるか?)



 国内海水浴場発祥の地の一つで若者のビーチカルチャーの発信地としても高いブランド力を誇ってきた湘南海岸。今夏、クローズアップされた「クラブ化問題」は、湘南ブランドを地に落とすだけでなく、健全なビーチリゾートであるはずの湘南海岸を「危険地帯」と見る風潮すら広がった。

 入れ墨をした男が酒に酔って騒ぎ、その周囲でボディーガード風の屈強な男性が目を光らせる-。8月下旬の夕刻、「夜の東京・六本木」をほうふつさせる光景が、由比ガ浜海水浴場(神奈川県鎌倉市)で繰り広げられていた。

 家族連れでこの海水浴場を訪れていた市内の男性会社員(47)は「砂浜では、入れ墨の“品評会”を行っているのかと見まがうほど。これではとても家族で楽しむことはできない」と顔をしかめ、「今度からは(安全な)葉山町のビーチに行く」と立ち去った。

 風紀の乱れは海水浴場だけにとどまらなかった。江ノ島電鉄では駅構内で暴行事件が発生、さらには海水浴客が水着姿で車内に乗り込もうとするケースも出るなど、沿線住民からは「今年の夏は異常だ。海岸で何が起きているのか」と不安の声が相次いだ。

 海の家の一部で大音量の音楽でダンスを促し、治安が悪化するといったいわゆる「クラブ化問題」は、実は数年前からすでに表面化していた。

 江の島に臨んだ片瀬西浜海水浴場(藤沢市)の海の家の一部では昼間から、肌もあらわな男女が大音量の鳴り響く店内で身をくねらせ、酒をラッパ飲みする姿が散見。未成年者も含まれていたとみられ、海水浴に来た家族客は海水浴場に来るや否や、そそくさと帰るなど、客足も減少傾向に陥ったという。危機感を抱いた江の島海水浴場協同組合では今シーズンから、「音楽の全面禁止」や「店員の入れ墨の露出を控える」といった自主規制ルールを打ち出した。その結果、「クラブイベントを目当てにした若者が離れた」(藤沢市観光課)といい、湘南海岸は平穏を取り戻したかに思えた。

 しかし、事態は思わぬ方向に進む。片瀬西浜海水浴場の音楽禁止を受け、クラブ客などが逗子市や鎌倉市の海水浴場に押し寄せたのだ。

 7月には逗子海水浴場(逗子市)近くで海の家の客として訪れていた暴力団関係者による殺人事件が発生。逗子海水浴場では、クラブ化による騒音が沿岸を走る国道を越えた住宅街にまで響き渡っていたことに加え、格闘技イベントの開催計画も浮上するなど異様な雰囲気に包まれた。

 予想を超えた事態に逗子市は、ただちに来年度に向けて音楽を禁止する条例改正の検討に着手。入れ墨の露出や海の家以外での飲酒の禁止などを盛り込んだ「日本で最も厳しい」(平井竜一市長)という条例改正案を来年2月の市議会に提案する方針を明らかにした。

 隣接する鎌倉市でも来シーズンからはクラブやライブなど音楽イベントを主目的にした海の家を禁止する方針を示す。

 治安回復を目指す行政だが、「音楽がなければ、湘南海岸は魅力が半減する」(鎌倉市の海水浴場組合関係者)との意見も噴出している。湘南海岸は「太陽族」に始まり、加山雄三さんやサザンオールスターズといった「湘南サウンド」のほか、映画の舞台にも登場し、「若者文化の発信地」として強い光を放ってきたのも事実だからだ。

 「音楽を永久追放するものではない」(逗子市)というが、治安回復の先にある「湘南海岸のあるべき姿」とは何なのか。その答えはいまだに見いだせていない。(川上朝栄)

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

儲かるからといって、放っておくと、このようにチンピラやヤンキーたちが集まって、酒に酔いしれ、体をくねらすという愚行を犯し始めます。

私は「刺青やタトゥーが嫌いです。それは生理的にうけつけないから、気持ち悪いからでアートでも何でもないと思うから」です。

刺青とは、呪術的な意味合いが強いのもそうですが、他人を威嚇し暴力的な存在として周囲に対して不安やストレスを与えるものであることは間違いありません。

刺青やタトゥーを入れるのは別に構いませんが、人前でさらけ出してアピールするのはやめておいたほうがいいと思います。

「私はヤクザに憧れています、悪人に憧れており、モラルもへったくれもない、頭の悪い人間です」

と周囲にアピールしているだけですから。

モラルや配慮のない人の近くでは生活したくないのが普通の感覚なのですよ。

節度と配慮のある人間になるために、刺青やタトゥーを入れることは必要ありません。

東大を卒業しても事の善悪の判断すらできない、茂木健一郎のウソつき脳科学も長くは続かないでしょう。

彼は脳のことなど何も知りません。

こんな人の言う、子育て論は嘘が混じっている、ゲテモノばかりだと思いませんか?

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高校普通科と大学は時間の無... | トップ | 「生理中のプール授業成績の... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (鈴木)
2018-09-06 13:07:52
僕も茂木健一郎は、前から胡散臭い奴と思ってました。まあ、大したこと言って無いですしね(´・ω・`)
返信する

コメントを投稿

子育て論」カテゴリの最新記事