人間は生まれたら必ず死にます。
死ぬということは、終わりではなく、始まりであるという考え方は、一般的ではありません。
特に、日本で生活している皆さんには、「死」とは耐えがたい孤独、死とは耐えがたい苦痛、すべてのものを置いていかねばならないもの、努力して手に入れた事が水の泡になってしまう状態だという認識が強いのではないでしょうか?
医療とは本当に、残酷であり、素晴らしい部分があります。
それは「余命宣告」というものをすることにあります。
これまた、余命宣告が当たらないのが笑えるところで、別に医師でなくても、「この人は長くないだろうな」と直感で感じることができます。
ただ、それを本人には伝えないだけです。
なぜか、それを伝えてよいのが「医師」なのです。
それだけ、人体に影響のある行為、医療行為を行うことができるため、なぜか医師を万能な「神」と神格化してしまっているのが現代社会の功罪であるのだと考えられます。
実際、医師は死期など分かっていませんし、ピタリと当たることなどありません。
余命半年と宣告された人が、3年以上生きた例など枚挙にいとまがない。
つまり、余命宣告とは「現代医療では、この程度しか延命できませんよ。あなたが後は好きなようにやってください」と言っているのです。
医療とは「死」に対して究極的には無力です。
どれだけ腫瘍を切除しようが、どれだけ昇圧剤を静脈注射しようが、それはあくまで車で例えると、部品交換をしたり、ガソリンを給油しているに過ぎないからです。
人間は電気で動いてるため、電気が流れなくなれば、ガソリンを燃焼して動かすことができなくなってしまうのです。
この例えについて詳しく知りたい方はこちらの記事を読んでみてください。
ターミナル期の看護のレポートでは、学生に求める内容は、「死期が迫る患者や、受け持ち患者のステルベント(死)を目の当たりにして、学生は、どのように自分の人生を生きていこうか?」と考えさせる事が狙いとなってきます。
つまり、何を感じたか?という問いに対して、「アイメッセージ I messege 」が入ってくることが重要になるのです。
しかし、これは究極的には間違っているのです。
何故かわかりますか?
一生懸命生きることが人生で大切なことではありません。
「どのように生きること」が重要なのではなく、「何のために生きるのか?」が重要なのです。
ターミナル期の看護では学生に、死にゆく患者を受け持たせ「どのように生きるのか?」を教えるだけで止まります。
「どのように生きるのか?」とは目的と目標でいうなら、「目標」の部分にあたることはわかりますか?
つまり、本当なら「何のために生きるのか?」という目的を持って、その目的を達成するために「どのように生きるのか?」というう目標が設定されるのです。
ターミナル期の看護で教えている内容とは「今まで看護の勉強をたらたら歩いていましたが、これからは患者の死を見て、もっとまじめに勉強しなくちゃいけないと感じました。今まで、いい加減に生きていたことを勿体ないと感じたし、情けなく思えました。明日から、患者さんに信頼されるような看護師になれるように一瞬一瞬手を抜くことなく努力してきたいです」的な内容をレポートで書いてくると「A」がついてしまうのです。
しかし、実際こんなことを口先だけでレポート提出してきても一か月後どうなっているでしょうか?
人間の心は移ろいやすく、1年後、3年後その考え方が続いているかどうかは不明です。
いえいえ、おそらく人生のトラブル、悩みに翻弄され、ターミナル期の看護で学んだことなどすっかり忘れ、生活や仕事のストレスに悩まされて日々忙殺されているだけの人間になってしまうのです。
このように「目的のない目標」を教育することほど、無責任で一時的なものはありません。
本来、ターミナル期の看護で感じるべきなのは、「80年生きても、人生の目的がわからない、到達できないということがわかった」ということが書かれていないといけないはずなのです。
「自分自身、素晴らしい死、素晴らしい最期が迎えられるように、必死に生きていかなくてはならない」くらいは最低レポートでかけなければいけない。
しかし、「人間はどのように生きれば幸せなのか?」という人生の取扱説明書が残念ながら日本には存在しない。
本来ならば看護学生であっても、「宗教のこと、つまり肉体が滅びてから先の世界について」もっと詳しく学ぶ、探求する領域がターミナル期の看護であるはずです。
しかし、そこまでには至らない。
日本人は宗教アレルギーが強い、これはどういうことか?というと脳、考え方が「目に見えてるものしか信じない」という物質主義、物欲主義であるという事実を受け止めていないからです。
目に見えないものについて議論すると、すぐに「精神病患者だ」「キチガイ」と言われてしまいます。
このブログは医療関係者や看護学生の方も読んでいるかもしれませんから1つだけ死んだらあの世に何が持って行けるのかということについて書いて行きたいと思います。
しばしば「一人で無人島に行くことになりました。何か1つ持って行けます。あなたらなら何を持って行きますか?」
という質問を聞いたことはありませんか?
これが「死にゆく人」の心理だと考えてみてください。
調査してみると以下の結果が出たようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(面接で「無人島に何を持っていく?」と聞かれたらどう答える?
2015/03/09)
■無人島にひとつだけモノを持っていくなら何を持っていきますか?
【食糧確保】
・海水を真水に変える機械。飲み水さえあれば、数日で助けが来ると信じているので(女性/医療・福祉内定)
・保存食。腹が減っては戦はできぬ(女性/医療・福祉内定)
・牛乳。栄養価が高く、長く生きられると思うから(男性/金属・鉄鋼・化学内定)
・にわとり。卵を産んでくれるし、最後には肉にもなり、食で困ることがなさそうだから(女性/団体・公益法人・官公庁内定)
まずは最低限、生きるのに必要なものを確保するのは大事です!
【欠かせないモノ】
・ナイフ。狩猟から工作まで何にでも使えるから(男性/団体・公益法人・官公庁内定
・スコップ。土を掘って寝床を作れて、武器にもなるから。(女性/医薬品・化粧品内定)
・鍋。生きるために水を得たいから(女性/金融・証券内定)
・時計。時間の管理だけでなく、表面のガラスで火を起こせそうだから(男性/小売店内定)
・発煙筒。助けを呼んで、脱出する可能性にかけたいから(男性/学校・教育関連内定
・釣り竿。食べ物に困らなければ生きていけるから(女性/情報・IT内定)
・船。船があれば移動に困らない(男性/運輸・倉庫内定)
・非常用持ち出し袋。生きていくのに必要なものが入っていると思うから(女性/団体・公益法人・官公庁内定)
生きるための道具はもちろん、脱出するための道具を持っていくという人もちらほら。
【生きる知恵を得る!】
・サバイバル術が書いてある本。自分の知識だけでは限界があるし、暇つぶしにもなる(女性/医薬品・化粧品内定)
・スマホ。通話やネット検索ができるので(女性/専門サービス内定)
・サバイバルのプロ。生き残る手段を知るスペシャリストだから(女性/機械・精密機器内定)
・百科事典。無人島にあるものを調べるため(男性/学校・教育関連内定)
・植物図鑑。食べられるものを探す(女性/食品・飲料内定)
わからない時には他の人に頼るのが一番! 有効な手段ですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
こういった調査もされています。
これは考え方について問われているため、正解自体はありません。
しかし、無人島とは、「死後の世界」についての比喩だと考えるとどうでしょうか?
まずもって、私たち人間は「肉体」を死後の世界に持って行くことはできません。
持って行くことができるのは「意識」だけです。
意識とはどこにあるのでしょうか?
それは「脳の中」に存在する、電気信号のことです。
つまり、人間は死後の世界には肉体が滅びると考えると「脳の中身しか持って行くことができない」のです。
詳しく知りたい方はこちらの記事をよんでみてください。
この地上で地獄のような生を生きた人は、死んだ後も霊界で地獄のような生を生き、この地上で天国のような生を生きた人は、死んだ後も霊界で天国のような生を生きる。
ターミナル期の患者は「無人島に何を持って行きますか?」毎日問われているのだと思ってください。
「答えなんてありません」よね?
東京大学を卒業しても、医者や弁護士になっても、「人生をどう生きれば幸せになるか?」ということを知っている人は誰一人いません。
「つまり、どのように生きれば幸せになれるか?」
については、人生において、両親や先生、先輩や指導者の誰もが教えてくれないことなのです。
医者は病気を治す手助けの方法を沢山知っているだけです。
野球の監督は甲子園に行くにはどうすればよいか?知っているだけです。
経営者はどうやって経営すれば利益が出て金持ちになれるか?しか知りません。
しかし考えてみてください。
無人島に「金や甲子園のトロフィー」を持って行って何になるでしょうか?
私たちが普段重要だと思っているもの、大切だと思っているものは、住む条件が変わってしまうと何の役に立たないということがお分かりだと思います。
ましてや「余命宣告され、入院している患者さん」は藁にも縋る思いで病院に、医者に医療に頼っているわけです。
そこで「残酷にも余命宣告を受ける」のです。
「癌」という
存在しない病気、そしてその治療で苦しみ続けるのです。
癌が存在しない病気であることは以下の記事をご覧ください。
癌という病気は存在しないと断言できる幾つもの証拠(1)
癌という病気は存在しないと断言できる幾つもの証拠(2)
癌という病気は存在しないと断言できる幾つもの証拠(3)
抗がん剤で殺されるのは有名ですが、それでも「医療、医師」というマスコミや教育で神格化されたものにすがる人が集まる場所が病院なのです。
「抗がん剤が、マスタードガス?そんなわけないじゃん!」
と考えるそこのあなた!
こちらの記事を読んでみてください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(濵田暁彦医師 コラム No.80「がんとは何か?」-その13- 免疫力と抗がん剤治療)
これまで抗がん剤は時代と共に進歩して来ましたが、一番初めの抗がん剤はマスタードガスという第一次世界大戦中にドイツで開発された毒ガスから作られたものでした。
その後の抗がん剤も基本的には「細胞分裂を抑える」というがんにも人体にとっても無差別攻撃を行う強い毒物であり、血液減少による免疫力低下や皮膚・消化器・神経障害などの重い副作用が必ず付いて来ました。
そのため抗がん剤治療を行う医師は、副作用を軽減し免疫力を維持することにも苦心します。この様な従来の抗がん剤治療に新たな変化が現れました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
毒ガスを薄めて使っているのです。
抗がん剤のミキシングは物々しいです。
それを改良して作られたのが抗がん剤だそうです。
癌そのものが存在しない病気ですから、一体製薬会社は何がしたいのでしょうか?
癌医療とはつどのつまり、殺人をするために考え出されたものです。
ではなぜ、医療利権は殺人をしたいのでしょうか?
以下の動画を見て考えてみてください。
RAPT×読者対談91 悪魔崇拝と麻薬。
あなたなら、無人島に何か1つ持って行けるなら何を持って行きますか?
ターミナル期で死にゆく人から教えてもらえるのは、死は必ずくるということ、そして、学生自身がどう生きるのか?について真剣に向き合いなさいということであり、「安定のために、看護師免許を取りたい」という邪な考えを悔い改める機会を与えてもらっているのです。
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