中国語学習者のブログ

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中国語の音韻の修辞技法、平仄について考える (1)

2011年10月18日 | 中国語

 中国語で、文法上の最小単位は“詞”であり、これは通常、2音節、ないしは3音節である。一方、これを表す文字、すなわち漢字は単音節である。一つの漢字の音節構造は、声母(子音)+韻母(母音)+声調である。

 声調は一般に語義を明確にする役割を持つが、音節の高低、昇降の変化をつけるため、その結果、ある意味で、音楽的な美しさを持たせている。この特徴を活かして、文の修辞技法としたのが、平仄(ひょうそく)である。

 ただ、平仄の規則が生まれたのが、古代漢語においてのため、現代漢語とは、文の音韻構造に違いがある。このことが、現代の我々からみると、平仄をいささか分かりにくくしている原因である。しかし、現代文の修辞技法にも、一部、平仄の考え方は生きている。本稿では、現代文にも通じる、平仄について、説明を試みたい。

【1】平仄とは

 客観的な聴覚と発音時の感覚の上で、私たちが以下の事実を受け入れるのは難しいことではない:

1. ある文字は発音の時、口を丸くし、発音する部分は力を緩めていて、発せられた音はゆったりして長く伸ばすことができる。一方、ある文字は発音の時、口をすぼめ、発音する部分に力が入り、発せられる音は短く、激しく、不明瞭である。(つまり、声母と韻母の異なった組合せにより作り出される)

2. 発音時に更に音の高低、アップダウンの違いがある。具体的に言うと、音の平らなもの、音が上がるもの、下がるもの、曲折したもの(すなわち声調の音の高さが異なるもの)がある。

 平仄の区分は正にこうした客観的な存在の上に形成されている。平仄が合理的に配置された詩の文句は、読んでみると緩急が交互に現れ、高低の起伏があり、長短が結合し、弛緩と緊張が交錯し、音楽感が自然に生じる。さもなければ、舌が回らなかったり、息継ぎができなかったりで、読みにくく、また聞いて耳障りな文になってしまう。

 平仄は古代の四声に相対して定められた。現代漢語の普通話の四声は陰平、陽平、上声、去声である。古代漢語が現代漢語に発展する中で、四声は既に大きく異なっている。けれども今日の四声と古代の四声は一つの血統が幾代にもわたり受け継がれてきたものである:古代の平声は今日の四声の陰平、陽平の二つの声調に分化した。古代の上声と古代の去声も、おおむね今日の四声の上声と去声に相当する。古代の入声の文字は消失し、いくつかの方言の中で、異なる程度に残されている。それでは、古代の入声はどこへ行ってしまったのか。それぞれ現代漢語の普通話の四声の中に移され、“入派三声”(「入声は三声に割り当てられた」。陰平と陽平は平声と通称され、これに上声と去声を加え、合わせて三声となる)と呼ばれる。このことが、今日の人々が平仄を識別するのに一定の困難さをもたらせている。

【2】古代の人々の音韻の探究と入声の成立

 古代の四声は声調を指すだけでなく、古代の声母、韻母とも関係がある。古人は、漢字の音節は声母、韻母、声調の三つの部分で構成されることを研究、分析していた。例えば、唐代には漢字の代表的な声母が知られており、30の字母を制定し、宋代にはそれが増補されて36の字母となった。古代の音韻学者は更に発音の部位に基づき声母を唇音、舌音、半舌音、歯音、半歯音、牙音、喉音に分け、「七音」と称した。また発音の方法に基づき声母を全清、次清、全濁、次濁の四つに分けた。韻母について言うと、宋、元の音韻学者は韻頭の有無と類別から漢字の音韻構造を区別した。次第に“四呼”、“洪細”などの理論が形作られた。韻尾の違いにより、韻母を陰声韻、陽声韻、入声韻に分類した。古人は声調の区別と認識について、長期間の模索と蓄積を経て、斉梁の時、沈約らが四声を発見し、更にそれを自覚的に文学の創作に運用し、音律の美しさを形作った。明代の音韻学者は、四声をこう描写した。「平声は平らに言って低昴(音が下がったり上がったりすること)が無く、上声は高く呼ばわって猛烈に強い。去声ははっきりと物悲しく長く言い、入声は短く急いで終わる。」しかし、こうした描写は中国語の四声の実際を正しく表現しておらず、本当に正しく四声が認識されたのは、近代のことである。

 入声について言えば、これは実は声調ではなく、一つの発音の方法である。他の三声が声調の高低、昇降の性質であるのと異なり、これは韻尾により確定する。伝統的に、入声はこう言われている:「入声は短く急いで終わる」。このことは、入声の文字は、b ,p ,g等の子音で終わることを指す。現代漢語の普通話には子音で終わる発音方法が無いので、昔の入声の読み方は、現代人には分かりにくい。私たちは今日では古音の読み方を正確に理解することはできないが、方言を通じて推測することはできる。 例えば広東語で、“白”は“bak”、“郭”は“guok”、“別”は“bit”で、語尾は何れも促音で終わるが、これが入声である。

 入声は発音方法の範疇であるのに、この分類がどうして一千数百年もの間影響してきたのか。実は、四声を最初に発見し、運用をしたのが、南朝の沈約であったことによる。そのため、古代の四声の区分を“沈分法”という。沈約は江浙(今の江蘇、浙江両省)の人で、四声の規則を区分、制定する際には、当然入声のある呉地方のなまりが基礎になった。彼は声調を分類する時、一種類の短い音がやや特別であることを発見し、それらを一つの種類にまとめ、一つの声調とし、これを“入声”と称した。これが入声という文字の由来である。沈約は大学者で、大官僚であり、その影響力は大変大きかった。ましてや沈約は「天の時」「地の利」を得ていた。「天の時」とは、南北朝の時、経済の中心が次第に黄河流域から長江流域に移ったことを指す。「地の利」とは、広大な東南地区が沈約の後ろ盾となり、江南の才子が沈分法に対し同意しやすかったことを指す。更に後に歴代の王朝の“韻書”が何れも“沈分法”を採用した。このように一旦社会に認められた習慣となり、そのうえ支配層の認可があったことで、この分類が代々受け継がれることとなったのである。

(次回に続く)


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