ことばの色彩とは、ことばの修辞の色彩を指す。人々の思想交流の過程で、特定の言語環境と交流対象の要求に適応するため、人々が使用することば自身が特定の表情や態度、雰囲気を表現する独特の格調を含有すること、これがことばの修辞的色彩である。ことばの音声形式、語彙の意味、文法機能、修辞的色彩が、この全体の内容を構成する。
ことばの修辞的色彩は人々が長期間ことばを使う過程で次第に形成された。それは個人がことばを使う上での特殊な表現ではなく、人々全てが理解して使うことができる、安定したものである。修辞的色彩を帯びたことばは、必ず一定の使用範囲と使用状況を持ち、一定の条件制限を持つ。いわゆることばの修辞的色彩の配合とは、ことばを運用する時、修辞的色彩を持ったことばが規定された状況と互いに一致することを指す。そうでなければ、感情上の抵触や雰囲気上の相矛盾が生じてしまう。
当然、ことばの修辞的色彩は永久に変わらない(中国で“一成不変”yi1cheng2bu4bian4)ものではない。例えば、社会観念の変化、ことばの使用範囲の変化により、ことばの修辞的色彩が変化することはあり得る。
ことばの修辞的色彩には、ことばの感情的色彩と語体の色彩の二つの面が含まれる。
(一)ことばの感情的色彩の配合
いくつかのことばは一定の意味を表現する以外に、同時に一種の感情態度を表現することができ、こうしたことばは感情的色彩を帯びている。例えば私たちが語彙の領域で言う“褒義詞”(ほめことば)、“貶義詞”(けなしことば)がそれである。単語(“詞”)だけでなく、いくつかの成語、慣用句、ことわざ、かけことば(“歇后語”)にも褒貶の意味を帯びたものがある。
例えば:
“再接再”“日新月異”“万衆一心”“開門紅”“人心斉,泰山移”“千里送鵞毛 ― 礼軽情意重”これらは何れも“褒義詞”である。
“変本加”“日暮途窮”“四分五裂”“拍馬屁”“天下烏鴉一般”“黄鼠狼給鶏拜年 ― 没安好心”これらは何れも“貶義詞”である。
これらのことばはそれ自身愛憎感情を明確に表現することができ、典型的な感情的色彩を帯びたことばである。
ことばの中に感情の色彩を帯びたことばはごく一部分に過ぎず、大部分のことばは感情の色彩を帯びない。いくつかのことばの基本的な意味は感情の色彩を帯びていないが、その派生する意味には、しばしばある種の感情的な色彩を帯びている。例えば“高”ということばは、“這棵樹很高”の中では感情的色彩を帯びないが、“你的技術真高”の中では感情的色彩を帯びる。また、例えば“紅、白”は本来は二種の色で、感情的色彩は無いが、京劇の中で、赤色の隈取り(“臉譜”lian3pu3)は忠義を表し、白色の隈取りは狡猾を表し、観衆は一目見ればすぐにわかる。ここの“紅”と“白”は感情の色彩を帯びている。“上遊、中遊”(上流、中流)は本来は川の流れの異なった場所で、感情的色彩は無いが、“力争上遊”(努めて高いところをめざす)、“甘居中遊”(出世欲がなく、ほどほどでよしとする)の中では、感情的色彩を帯びる。
使用する場面が異なると、いくつかのことばは異なった感情的色彩を表す。
例えば:
第一組
(1)他頑強地与疾病作斗争。
(2)我們消滅了頑強抵抗的敵人。
第二組
(1)必須強調指出:“左”傾路線也会給革命帯来惨重的損失。
(2)犯了錯誤,就応該多検査自己,不能一味強調客観原因。
第一組の前の例の“頑強”は褒義(ほめる)の感情的色彩を帯びている。後の例の“頑強”は中立的である。第二組の前の例の“強調”は中立的で、後の例の“強調”は貶義(けなす)の感情的色彩を帯びている。
いくつかのことばは本来必ずしも感情的色彩を帯びないが、形式の変化により、一定の感情的色彩を帯びる。例えばいくつかの名詞や形容詞は、“儿化”をすると、「好きである、好む」という感情的色彩を帯びる。例えば、“小孩儿、大個儿、黒黒儿的、亮亮儿的、紅撲撲儿的、香噴噴儿的”がそうである。これと対照的なのが、“乱糟糟、冷清清、臭烘烘、陰惨惨”で、これらはもともと憎悪の感情的色彩を表すことばであるので、“儿化”ができない。
いくつかの二音節の形容詞に類似した繋ぎの成分“里”を加えることで、一種の憎悪の感情を表す。例えば、“慌里慌張、胡里胡塗、洋里洋気”等である。いくつかの“三、四”或いは“七、八”等の数詞をはめ込んだ成語も貶義を帯びる。例えば、“朝三暮四、顛三倒四、不三不四、乱七八糟、七零八落、七拼八湊”等である。また例えば“四分五裂、四平八穏、五花八門、胡説八道”も、これらの数詞と関係がある。
感情的色彩を帯びたことばを正しく使用するには、ことばの感情的色彩の配合に注意することがたいへん重要である。どのようなことばをどんな事物の上に使うかは、作者のことばの使い方や文を綴る(中国語で“遣詞造語”qian3ci2zao4ju4)能力が反映されるだけでなく、作者の立場や観点も反映される。
魯迅の《紀念劉和珍君》という文の中に、次のような一節がある。
(1)我向来是不憚以最壊的悪意来推測中国人的。但這回却很有点出于我的意外。一是当局者竟会這様地凶残,一是流言家竟如此之下劣,一是中国的女性臨難竟能如是之従容。
ここでは“当局者”、“流言家”に対し、貶義詞の“凶残”、“下劣”を用い、劉和珍君等の女性には、褒義詞“従容”を用いており、魯迅の愛憎を鮮明に表現している。
また、次の例を見てみよう。
(2)翻開歴史看看,你們還站得住几天!你們完了,快完了!我們的光明就要出現了。我們看,光明就在我們眼前,而現在正是黎明之前那个最黒暗的時候。我們有力量打破這個黒暗,争到光明!
(3)如果美是専指婆娑或旁逸斜出之類而言,那麼,白楊樹算不得樹中的好女子。但是它偉岸、正直、朴質、厳粛,也不缺乏温和,更不用提它的堅強不屈与挺拔,它是樹中的偉丈夫。
・婆娑 po2suo1 円を描いて軽やかに舞うさま
・旁逸斜出 pang2yi4xie2chu1 樹の枝が幹から横に伸びる。
例(2)は聞一多の《最后一次的講演》の中で、当時の政府当局の横暴、恥知らずさを叱責している。ここでは“完了”、“黒暗”といった貶義詞を用い、彼の執政者への恨み、軽蔑を表現している。
例(3)は茅盾の《白楊礼賛》の中で、“偉岸、正直、朴質、厳粛,堅強不屈、挺拔,偉丈夫”等の褒義詞により西北高原に傲然と立つ白楊樹を称え、抗日戦争を堅持する北方の人々を礼賛している。
これだけでなく、本来は感情的色彩の無いことばが、特定の言語環境の中で使われると、ある種の感情的色彩を帯び、筆者の感情を適切に表現することができる。
(4)可是,他却不能和大伙在一起了,而要単独去見什麼谷××!
(5)呢子馬褂緞子鞋,
洼洼里来了崔二爺。
一顆脳袋像個山薬蛋,
両顆鼠眼笑成一条線。
例(4)の“什麼”は、本来は疑問代詞だが、ここでは軽蔑の感情を表す。
例(5)の“顆”は、本来は一般的な量詞だが、“脳袋”“眼睛”を表すのに用い、一種の風刺、憎悪の色彩がある。ここでの代詞、量詞は、画龍点睛の作用をしている。
もし私たちが感情的色彩を帯びたことばの運用がうまくなければ、態度が曖昧で、立場がはっきりせず、文章の表現効果を減少させるか損なうであろう。
例えば:
(6)今天下午召開了村民大会,当場把老東山、孫守財几戸富裕中農的糧食、地瓜干,一粒不少,一両不差地退還。并且民兵隊長江水山当衆向他們道歉,指導員曹振還借机大肆宣伝了貧雇中農是一家的道理。
(7)日本兵的馬隊和大批偽軍浩浩蕩蕩地開進了趙各庄。
例(6)で指導員・曹振が革命の道理の宣伝を行う、という動詞“宣伝”を受ける副詞は“大力”(強力に。力を込めて)でなければならず、貶義詞である“大肆”(はばかりなく。躍起になって)を使ってはならない。
例(7)の“浩浩蕩蕩”(hao4hao4dang4dang4 威風堂々とした)は褒義の成語であり、この文章で使うのは適当でない。
また、当然ながら貶義詞は敵に対して用いるだけでなく、筆者が不満に感じている事物に対しても用いられる。例えば:
(8)七斤嫂听到書上写着,可真是完全絶望了;自己急得没法,便忽然又恨到七斤。伊用筷子指着他的鼻尖説:“這死屍自作自受!造反的時候,我本来説,不要撑船了,不要上城了。他偏要死進城去,滚進城去,進城便被人剪去了辮子。従前是絹光烏黒的辮子,現在弄得僧不僧道不道的。這囚徒自作自受,帯累了我們又怎麼説呢?這活死屍的囚徒……”
・自作自受 zi4zuo4zi4shou4 自業自得
・撑船 cheng1chuan2 さおさす。さおで船を操る。時流に乗る(辮髪を切るという世の中の風潮に追随すること)
・僧不僧道不道 seng1bu4seng1dao4bu4dao4 (辮髪を切ってしまったので)坊さんのようで坊さんでない。僧は仏教の僧。道は道教の道師。
魯迅が《風波》の中で描いた七斤嫂はごく普通の農村の婦人であるが、彼女は茂源酒店の主人、趙七爺が“皇帝已経坐了龍庭”(龍庭long2ting2 朝廷)と言うのを聞き、びっくりした。また趙七爺が“没有辮子,該当何罪,書上都有一条一条明明白白写着的。不管他家里有些什麼人。”と言うのを聞き、火の出る程に慌てた。なぜなら彼女の夫は辮髪をもう切ってしまっていたからである。そして、自分の夫を恨み、ひどく罵った。文の中で、“死屍”“自作自受”“死進城”“滚進城”“僧不僧道不道”“囚徒”“活死屍”等の一連の貶義語を用いている。
もちろん、ことばの感情的色彩は永久に変わらないものではない。社会の発展変化、政治道徳の標準の変化により、ことばの感情的色彩も変化する。例えば、“清高”、“礼教”、“老爺”、“明哲保身”、“謹少慎微”は旧社会では褒義詞であったものが、新中国成立後は次第に貶義詞に転化した。
・明哲保身 ming2zhe2bao3shen1 現在の意味は、こざかしく保身の術にたけ、あたらずさわらずの態度をとること。以前は、知恵のある人は自分に危険を及ぼすことにはかかわらない、君子危うきに近寄らずで、それが社会の美徳であった。
・謹少慎微 jin3shao3shen4wei1 あまりに用心深く慎重であること。[類似語]縮手縮脚
“通俗”“平凡”“因陋就簡”“千方百計”“牢不可破”は次第に貶義詞から中性的に転化した。
・因陋就簡 yin1lou4jiu4jian3 粗末なものでも利用できるものは利用し、できるだけ節約すること
・千方百計 qian1fang1bai3ji4 あらゆる方法を講ずる。百方手を尽くす
・牢不可破 lao2bu4ke3po4 堅牢で壊すことができない。確固不抜である。
いくつかの中性詞、例えば“改良”“蜕化”“検討”“交代”“暴露”等は貶義、さげすみの意味を持つようになった。
・蜕化 tui4hua4 虫が脱皮することから、変質するという意味。考えや意志が全面的に変わることをさす。
正確にことばの感情的色彩の変化を把握することは、私たちが正しくことばを使い、思考を表現する上で、たいへん必要なことである。
上で述べたように、異なった感情の色彩のあることばを正確に使用することで、私たちの立場や態度を鮮明に、強調して表現することができる。しかし、表現上の特殊な必要から、わざといくつかの反語を使い、文字上の意味と心の中の意志を反対にし、ことばの感情的色彩を臨時に根本的に変化させることで、強烈な表現効果を持たせることがある。
反語はしばしば褒義詞をわざと相手をけなすのに用い、諷刺や嘲弄の語気を表す。例えば、魯迅の《衝》の中の一節:
(9)流氓欺郷下老,洋人打中国人,教育庁長衝小学生,都是善于克敵的豪傑。
また曹禺《日出》第二幕で、陳白露がわざと感じやすいようにつくろい、耐えられないほど俗っぽい顧八奶奶を皮肉って、“(故意地)你現在一天比一天会説話”、“(風刺地)怪不得你這麼聡明了”と反語を用いている。言っていることは事実ではないが、ばかな顧八奶奶はそれを真に受け、有頂天になっている。
口語ではこれらの反語はしばしばアクセントをつけ強く読まれる。書面語では、反語の意味をより顕著にするため、よく反語のことばに引用符号、“”、「」が付けられ、時には“所謂”、“似乎”、“如此”、“怎様”といったことばが加えられる。
(10)又是一大“新生事物”,十一級幹部回家掃地。
(11)我苦笑了,閉上了眼睛,倣佛看見這些所謂“朋友”的面目,以及他們怎様的“幇忙”。
反語は時に貶義詞を相手をほめるのに用いたり、或いは一種ユーモア、ふざけた様子を表現する。次のものは魏鋼焔《艶陽慢歩》と羅広斌、楊益言《紅岩》からの例である。
(12)剛才拽二号的胖女子,趁人們不注意,伸手到二号皮夾克里摸出来一把瓜子,嚷道:“看!俺大娘多好,老書記一出門,就預備下請客的東西了!”
這女子,設話就像机槍連発似的,両只胖手飛快地給大家“分賍”。
(13)成崗遅疑了一下,又提出新的要求,“把収聴広播的任務也交給我吧,我的工作的確不重!”
“你簡直是‘野心’勃勃!才給別人写信致敬,又要叫別人‘失業’?我早就看穿了你的思想活動!”李敬原眼角透出一絲笑意,但很快就消失了。
(14)有几個“慈祥”的老板到菜場去收集一些菜葉,用塩一浸,這就是她們的難得的佳肴。
これらは一定の言語環境と語意の表現の要求に適応し、わざと反語を使っている。表現がたいへん明確であるので、読者は文字上の意味を通じ、発言者の真意を理解することができ、たいへん良い修辞効果を上げている。ここにおいて、これらのことばが元々持っていた感情的色彩は消失し、新たな感情的色彩に転化している。もちろん、これはただ臨時の偶発的運用に過ぎず、ことば自身の感情的色彩の変化ではない。
また作者が相手の考えと、文字の上では一致しているようにみえて、実際は、思想・感情の上で根本的に異なっている場合がある。
(15)小趙的母親病重住了医院,等着銭用。我把準備買半導体的四十塊銭給他家寄了去。人們也許会説我這是“傻瓜”。只要対人民有好処,我就心甘情願地做這様的“傻瓜”。
上の例では、貶義詞に、臨時に褒義を与えている。
また、一種の“望文生義”(wang4wen2sheng1yi4 字面だけを見て当て推量の解釈をする)の修辞現象があり、つまりわざとことばの字面上の意味を利用し、ことばの元来の意味と感情的色彩を変えることで、表現したいと思う新たな内容に役立てる。
例えば、“得寸進尺”(de2cun4jin4chi3 一寸を得ればさらに一尺を進もうとする)は、元々は貶義の成語であり、欲望は限りがないという意味である。しかし、ある人は、社会主義建設事業で、私たちは永遠に“得寸進尺”であるべきで、既に得た成果に満足してはならず、一寸を得たなら更に一尺進まねばならず、ひとつの任務を完了したなら直ちに新たな形勢に基づきより高い奮闘目標を設定しなければならない、と言う。ここでは貶義が褒義に変化している。
また“目中無人”(mu4zhong1wu2ren2 眼中に人なし)という成語も貶義である。周恩来は演劇関係者への講話の中で、こう言った。“演員在舞台上看到台下千百双眼睛,就有些戦戦兢兢,当然演不好戯。因此要‘目中无人’。”ここでの“目中無人”は、演劇芸術への高い要求、高い境地を指し、褒義を含んでいる。
以上の状況は、特定の言語環境の中でのみ出現する特定の表現方式であり、個人の言語運用での特殊な現象であると見做さなければならない。それらには一定の表現効果があるので、幅広い人々が受け入れることができる。しかし、それらは臨時の偶発的運用であるので、ことば自身の固有の感情的色彩を変えるものではない。このような状況から、感情的色彩を帯びたことばの活用を理解することができる。
【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年より翻訳
折しも今年は平城遷都1300年に当たり、彼の功績を記念し、奈良に梁思成の銅像を建立し、永遠に記念することになったとのことである。 今回は、梁思成の功績に関する記事を紹介する。
梁思成一句話救下日本両座古城
梁思成の一言が日本の二つの古都を救った
文化中国-中国網 culture.china.com.cn 時間: 2010-05-14
■ 京都和奈良是日本的両大古都,這両座城市擁有許多具有唐代風格的古建筑,藝術価値極高。然而很少有人知道,它們能幸免于二戦時的轟炸,要帰功于我国著名的建筑学家 ― 梁思成。
・轟炸 hong1zha4 爆撃
京都と奈良は日本の二大古都で、この二つの都市が保有する多くの唐代の様式の古代建築は、芸術価値が極めて高い。しかしながら、これらが幸いにも第二次世界大戦の爆撃を免れることができたのは、我が国の著名な建築家、梁思成によるものだと知る者は少ない。
■ 近日,記者従在京挙辧的“古都的恩人梁思成演講会曁為梁思成在日本奈良樹立銅像啓動儀式”上了解到,日本奈良已决定在今年10月31日慶祝平城建都1300周年時,挙辧梁思成銅像的揭幕典礼,梁思成的銅像将永遠安放在奈良。
最近、記者は北京で開催された「古都の恩人、梁思成の講演会、ならびに奈良に梁思成の銅像を建設する発起式」で了解したが、日本の奈良市は今年10月31日の平城遷都1300周年の祝賀の際に、梁思成の銅像の除幕式を開催し、梁思成の銅像を永遠に奈良に置くことを決定した。
不轟炸建議被盟軍採納
爆撃しないという建議は連合軍に聞き入れられた
■ 在此次啓動儀式上,羅哲文等深情地回憶了梁思成与日本奈良、京都之間的故事,将半個世紀前的歴史重現于眼前。
今回の発起式で、羅哲文らは梁思成と奈良、京都の間の物語をしみじみと回想し、半世紀前の歴史が眼の前に再現された。
■ 梁思成是我国著名建筑学家,国学大師梁啓超之子。1901年,梁思成出生于日本東京,他的童年是在日本度過的,当時雖然生活清苦,却給梁思成留下了許多美好的回憶。梁思成晩年曾回憶説:“我愛美麗的日本和我童年記憶中和藹可親的、善良的日本人民。這里面有在幼稚園和小学里教導我的師長,有在須磨海濱教我游泳的漁人,有我坐火車上学時毎天在車上照顧我的車長……還有許多当年在一起嬉戯的日本小朋友。”
・和藹可親 he2ai3ke3qin1 穏やかで親しみやすい
・嬉戯 xi1xi4 遊び戯れる
梁思成は我が国の有名な建築家で、国学大師、梁啓超の子供である。1901年、梁思成は日本の東京に生まれ、子供時代を日本で過ごした。当時、生活は貧しかったが、梁思成に多くの美しい思い出を残した。梁思成は晩年、こう回想したことがある。「私は美しい日本と、私の子供時代の記憶の中の穏やかで親しみやすい、善良な日本人が好きである。この中には幼稚園、小学校で私を指導した先生、須磨海岸で私に水泳を教えた漁師、列車で学校に通っていた時、毎日列車の中で世話をしてくれた車掌……当時いっしょに遊んだたくさんの日本の友達がいる。」
■ 梁思成与古都奈良甚有淵源。孩提時代,梁啓超就曾帯他去奈良的法隆寺游覧,那時正値大殿重修,父親便花了一元銭的香資将梁思成的名字刻在了大殿的一片瓦上,祈求佛祖保佑。没想到几十年后,這座古刹竟因這個名字逃過了滅頂之災。
・淵源 yuan1yuan2 根源。源
・孩提 hai2ti2 幼児
・香資 xiang1zi1 =香銭:お布施。賽銭
・滅頂 mie4ding3 頭のてっぺんまで水につかる。溺死する
梁思成は古都奈良とはゆかりがある。幼い頃、梁啓超は彼を連れて奈良の法隆寺を遊覧した。その時ちょうど本殿の修理をしており、父親は一元の浄財をし、梁思成の名を本殿の瓦に刻ませ、仏の加護を祈った。思いがけず十数年後、この古刹はこの人物により戦禍を逃れることができたのである。
■ 1912年,梁思成随父母回到中国。然而,侵華日軍的残暴譲梁思成対日本的愛跌至冰点。1937年七七事変爆発,北平淪陷,衆多歴史古跡惨遭炮火摧残。面対日本人的宴会請柬,梁思成憤然拒絶,挙家出走。在逃亡過程中,梁思成一家又険些在長沙喪命于敵軍的空襲。不幸的事情接連発生,先是担任第十九路軍炮兵校官的弟弟梁思忠,在淞沪会戦中英年早逝。接着1940年,梁思成的内弟、飛行員林恒在保衛成都的空戦中壮烈殉国。多年后,梁思成的后人説,面対国仇家恨,父親最終能做出保護日本古都的决定,其実并不是一件容易的事情。
・淪陷 lun2xian4 陥落する
・内弟 nei4di4 妻の弟。義弟
1912年、梁思成は父母と共に中国に帰った。しかし、中国侵略の日本軍の残虐行為は梁思成の日本への愛を氷点まで落下させた。1937年の七七事変勃発で、北京は陥落し、多くの歴史遺産が砲火で破壊されてしまった。日本人の宴会への招待を、梁思成は憤然と拒絶し、一家で北京を脱出した。逃亡中、梁思成一家は長沙で敵軍の空襲により生命の危機に遭遇した。不幸は続けて発生し、先ず第十九路軍炮兵将校をしていた弟の梁思忠が、淞沪会戦で若い命を落とした。続いて1940年、梁思成の義弟、飛行員の林恒が成都防衛の空中戦で壮烈な殉死をした。後年、梁思成の子孫は、国の仇、家族の恨みに直面し、父親が最終、日本の古都を保護する決定をするのは、実際に容易なことではなかった、と語った。
■ 1944年夏天,美軍已対日軍占領区和日本本土開始戦略轟炸。在重慶,梁思成在羅哲文的協助下開始整理古跡遺址名単、在地図上標明位置,并向盟軍提交不要轟炸的建議。梁思成的建議最終被採納,遍布于京都和奈良城内的古代建筑,在戦火中毫発未損。
1944年夏、アメリカ軍は日本軍の占領地区と日本本土に対し、戦略爆撃を開始した。重慶で、梁思成は羅哲文の協力の下、古跡遺跡の名簿の整理を開始し、地図上に位置を標記し、連合軍に爆撃をしないよう意見書を提出した。梁思成の建議は最終的に採用され、京都、奈良市内に分布する古代建築は、戦火で少しも破壊されることがなかった。
“梁思成是我們日本的大恩人”
「梁思成は私たち日本の大恩人である」
■ 現在的奈良和京都已発展成為国際知名的観光城市,保存完好的古建筑群為這両座城市増色不少。比如,奈良歴史上曾做過日本的京城,公元710年,日本天皇遷都到奈良,当時叫平城京。据説,整個平城京的建設,是模倣唐朝的長安城建置。奈良的唐招提寺是由唐代鑑真和尚親手興建的,現為世界文化遺産。由于文化遺存保護完好,毎年這里吸引着成千上万的観光客来此体会古都的魅力。而這一切,応帰功于梁思成。
・成千上万 cheng2qian1shang4wan4 数の非常に多いさま。幾千幾万
現在の奈良、京都は国際的に有名な観光都市に発展し、よく保存された古代建築群が少なからずこの両都市の魅力を増している。例えば、奈良は歴史上、日本の都になったことがあり、西暦710年、日本の天皇は奈良に遷都し、当時、平城京と呼ばれた。平城京の建設全体は、唐朝の長安城のレイアウトを模倣したと言われている。奈良の唐招提寺は、唐代の鑑真和上が自ら建立し、現在は世界文化遺産になっている。文化遺産の保護が完全であるので、毎年ここに幾千幾万の観光客を引き寄せ、古都の魅力を体感させる。そしてこの一切は、梁思成の功績に帰すべきである。
■ 啓動儀式上,梁思成的学生、中国工程院院士張錦秋回憶了日本友好人士対梁思成的評価。她説:“1985年我曾到日本奈良、京都進行建筑考察,日本建筑界権威福山敏男在一次接待活動中動情地説,梁思成是我們日本的大恩人,是他在二戦中向美国提出了保護奈良和京都的建議,我們的古都才得以保存下来。我們永遠不会忘記他。”
発起式で、梁思成の学生で、中国工程院・院士の張錦秋は日本の友好人士の梁思成に対する評価を回想した。彼女は言う。「1985年に私が日本の奈良、京都の建築の視察に行った際、日本の建築界の権威、福山敏男は接待の席で興奮して語った。梁思成は私たち日本の大恩人であり、彼が第二次大戦でアメリカに奈良、京都の保護の嫌疑を提出したからこそ、私たちの古都は保存された。私たちは永遠に彼を忘れないと。」 曾為解放軍編制全国古建目録以防炮火損毀解放軍に全国の古代建築目録を編集し砲火による破壊を防いだ
■ 梁思成不僅是日本古都的恩人,也是中国文物保護事業的開拓者、中国古都的恩人。1944年末,梁思成任教育部戦区文物保存委員会副主席,負責編制文物目録,防止文物因戦争而遭到損毀。1948年12月,梁思成応解放軍要求,絵制北平古建筑地図,以備攻城時保護文物之用。1949年2月至3月,梁思成与莫宗江、羅哲文等清華大学同仁編制《全国建筑文物簡目》,以備作戦時保護文物之用。這些目録中所列出的文物建筑和歴史遺跡,后来大多被列為国家重点文物保護単位,甚至成為世界文化遺産,従而得到妥善的保護、伝承,為全世界所知。
梁思成は日本の古都の恩人であるだけでなく、中国の文物保護事業の開拓者で、中国の古都の恩人である。1944年末、梁思成は教育部戦区文物保存委員会副主席に就任し、文物目録の編集を担当し、文物が戦争により破壊されることを防止した。1948年12月、梁思成は解放軍の要求に応じ、北京の古代建築の地図を作成し、都市攻撃時の文物保護に備えた。1949年2月から3月まで、梁思成は莫宗江、羅哲文等、清華大学の同僚と《全国建筑文物簡目》を編集し、戦時の文物保護に備えた。これらの目録に列記された文物建築、歴史遺跡は、後に大多数が国家重点文物保護単位に指定され、世界文化遺産になったものもあり、これより適切に保護、伝承され、世界に知られるところとなった。
■ 在此次活動啓動儀式上,来自西安、揚州的代表追憶了梁思成対当地文化遺産保護做出的貢献。西安市政協副主席向説,梁先生曾両次帯領中国営造学社的同仁遠赴西安,対古都大雁塔、小雁塔、清真寺等多項古建進行測絵、調研,為小雁塔做維修計劃,為碑林博物館工程做了設計。据張錦秋介紹,上世紀50年代,在審査西安小雁塔保護維修方案時,梁思成提出了“整旧如旧,保持原貌”的維修原則,這項原則之后被《中国文物保護法》採納。他認為文物保護応該是使其延年益寿,而不是返老還童。梁公的主張与10年后発表的世界遺産保護文献《威尼斯宣言》不謀而合。張錦秋説,在我国城市化迅猛発展的形勢下,梁思成過去提出的“以新護旧、新旧両利”的原則、“拡大城市緑地,保護文物古跡”的方法及古城保護的系列規劃已経成為現在古都保護的支柱和霊魂。
・延年益寿 yan2nian2yi4shou4 長生きをする。寿命を延ばす
・返老還童 fan3lao3huan2tong2 老いてますます盛んになる。若返る
・不謀而合 bu4mou2er2he2 (意見や理解が)はからずも一致する。偶然に一致する
今回の活動の発起式で、西安、揚州からの代表は梁思成の当地の文化遺産の保護に果たした貢献を追想した。西安市政治協商会議副主席の向は言った。梁先生は嘗て二回、中国営造学社の同僚を連れてはるばる西安に来て、古都の大雁塔、小雁塔、清真寺等、多くの古代建築の測量、調査研究を行い、小雁塔の修理計画、碑林博物館プロジェクトの設計を行ったと。張錦秋の紹介によれば、1950年代、西安小雁塔保護修理案を審査する際、梁思成は「古いものは古いまま、元の姿を維持する」という修理の原則を提出し、この原則の後、《中国文物保護法》に採用された。彼は文物保護はその寿命を延ばすことで、若返らせることではないと考えた。梁思成の主張は10年後に発表された世界遺産保護文献《ヴェニス憲章》とはからずも一致している。張錦秋は言う。我が国で都市化が猛烈な勢いで進んでいる情勢下、梁思成が嘗て提出した「新を以て旧を護り、新旧両方を利する」の原則と、「都市の緑地を拡大し、文物古跡を保護する」方法、及び古城保護の一連の計画は、現在の古都保護の支柱、精神となったと。
銅像由中日合作完成
銅像は中日の協力で完成される
■ 対于梁思成当年的義挙,了解真相的日本人対其一直心存感激。為了感謝“古都的恩人”,日本中国友好協会名誉会長平山郁夫生前就曾建議,為梁思成在日本奈良樹立一尊銅像,以紀念和表彰他的貢献。在梁思成弟子、中国文物学会名誉会長羅哲文的積極奔走下,2009年8月,“為梁思成在日本奈良樹立銅像組織委員会”成立,全国政協副主席孫家正任名誉主任,羅哲文任主任。
梁思成の当時の義挙に対し、真相を知った日本人はそのまっすぐな心根に感激した。「古都の恩人」に感謝するため、日本中国友好協会名誉会長平山郁夫は生前、梁思成の為、日本の奈良に銅像を建て、彼の貢献を記念し称えようと建議した。梁思成の弟子で、国文物学会名誉会長羅哲文の積極的な奔走により、2009年8月、「梁思成の為、日本ならに銅像を建てる組織委員会」が成立、全国政治協商会議副主席孫家正が名誉主任に就任、羅哲文が主任に就任した。
■ 据介紹,為梁思成在日本奈良樹立銅像将由中日両国合作完成。塑像由我国雕塑家李象群創作,銅像塑成后除在日本奈良県文化会館永久安放外,還将在我国西安、揚州、曲阜等与梁思成有密切関係的城市樹立。同時,以此為契机,中日両国還将挙辧一系列的公益文化活動。整個項目正在中国社会文化基金会、中国日本友好協会、国家博物館、西安市人民政府、揚州市人民政府、清華大学建筑学院等相関部門的積極参与下穏歩推進。(李静)
紹介によれば、梁思成の為の日本奈良での銅像建立は中日両国の協力により完成される。塑像は我が国の彫刻家、李象群が制作し、銅像完成後、日本の奈良県文化会館に永久に安置される他、我が国の西安、揚州、曲阜等、梁思成と密接な関係がある都市にも建立される。同時に、これを契機に、中日両国は一連の公益文化活動を実施する。全ての項目は、中国社会文化基金会、中国日本友好協会、国家博物館、西安市人民政府、揚州市人民政府、清華大学建筑学院等、関連部門の積極的な参与の下、着々と推進されている。(李静)
文章来源: 中国文化報
前回、音韻や平仄による、中国語の音韻上の修辞について見たが、今回は、音節の均衡、文のリズムの問題、音声による感情伝達の問題、について見ていきたい。
テキストの原文は、胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年である。
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(二)音節の均衡
中国語のことばには、単音節、二音節、多音節のものがあるが、二音節のことばが大多数を占める。多くの二音節のことばは、しばしば単音節の同義語を見つけることができる。このようにして、ことばを選ぶ時、音節の長短から適当なことばを選択することができる。
一般に、単音節のことばは単音節のことばと配合し、二音節のことばは二音節のことばと配合する。例えば、“花”と“花朶”、“鮮花”は同義語だが、私たちは、“白花”、“紅花”というが、“白花朶”、“紅花朶”とは言わない。また、“白色的花朶”、“紅色的花朶”と言うが、“白色花”、“紅色花”とはあまり言わない。“花開”と言うが、“鮮花開”とは言わず(詩歌の中では或いはこのような言い方があるかもしれない)、“鮮花盛開”と言うが、“花盛開”とは言わない。“読書”と言うが、“書”を二音節の“書報”に変えると、“閲読書報”と言わなければならない。“句型”と言うが、“句”を二音節の“句子”に変えると、“句子類型”と言わなければならない。
単音節、二音節のことばの配合は、これらのことば自身の配合の問題であるだけでなく、これらのことばの置かれた言語環境が関係する。
例えば:
(13)因為勝利,我們的驕傲情緒……可能生長。……務必使大家継続地保持謙虚、謹慎、不驕、不躁的作風……。
(14)我們含泪佇立桔子洲頭,漫歩湘江峭岸;回清水塘,登岳麓山,徘徊板倉小径,依恋韶山故園……万千思緒,随山移水転。
・佇立 zhu4li4 長時間立つ。たたずむ
例(13)の“驕傲”は二音節の語で、主に“情緒”という二音節の語と釣り合わす為に二音節になっている。後半の文で、単音節の“驕”が使われているのも、“不”と組合せて二音節とし、“謙虚”、“謹慎”、“不躁”といった二音節の語と形式が対称となるようにするためである。
例(14)の“佇立”と“漫歩”、“回”と“登”、“徘徊”と“依恋”も、それぞれ二語ずつが呼応している。
ここから、音節の均衡は二つの面を表していると言える。一つは文の中の音節のつながりが急に長くなったり短くなったりして、落ち着かなくなってはならない。一つはフレーズ(節)の音節が呼応することで、文の構成が整い、形式的な美しさが要求される。
(三)リズムの鮮明さ
リズムに注意を払うのは詩歌の基本的な要求である。詩歌の歌いあげる情感は平板なものではなく、波乱や起伏があり、これを文字に訴えることにより詩歌のリズムになるのである。
郭沫若はこう言っている。“大概先揚后抑的節奏,便沈静我們。先抑后揚的節奏,便鼓舞我們。這是一定的公例,鐘声是先揚后抑的,初扣的時候頂強,曳着的裊裊的余音漸漸微弱下去。海涛的声音是先抑后揚,初起的時候従海心漸漸卷動起来,愈卷愈快,卷到岸頭来,‘拍’的一声打成粉砕。因為有這様的関係,所以我們聴鐘声和聴海涛的心理,完全是両様。”(だいたい、先に高揚し後に抑制されるリズムは、私たちを落ち着かせる。先に抑制し後に高揚するリズムは、私たちを奮い立たせる。これは一定の法則であり、鐘の音は先に高揚し後に抑制され、初めに掛けられた時が最も強く、引きずられながらゆらゆらとした余韻が次第に弱くなっていく。海の波涛の音は先に抑制し後に高揚し、始めは海の中から次第に巻き起こり、巻き上がれば上がるほどスピードがつき、岸に到って、「バン」と音をたてて粉々になる。このような関係にあるので、私たちは鐘の音を聞く時と海の波音を聞く時の心理は、完全に正反対である。)
“節奏的確是有這両種効果的,一種是鼓舞我們,一種是沈静我們。聴軍歌、軍号、軍鼓時的感覚,是前的一種。聴儿歌、簫声、賛美歌時的感覚,是属于后的一種。抒情詩也自然生出両種派別。譬如惠迭曼(Whitman)的詩是鼓舞調,太戈儿(Tagore)的詩是沈静調。”(リズムは確かにこのような二種類の効果があり、一つは私たちを鼓舞し、一つは私たちを冷静にする。軍歌や軍隊ラッパや軍隊ドラムを聞く時の感覚は前者である。童謡や簫の音色や賛美歌を聞く時の感覚は、後者に属する。叙情詩も自然と二種類のグループに分かれる。例えば、ホイットマンの詩は気持ちをウキウキさせるが、タゴールの詩は気持ちを落着かせる。)
(郭沫若《論節奏》(《文藝論集》P233-234 人民文学出版社1979年)
およそリズムを構成するには、二つのたいへん重要な関係を離れることができない。一つは時間の関係、一つは力の関係である。時間の関係は、しばしば句式の長短として表現される。力の関係は、しばしば音声のアクセントとして表現される。
一般的に、長編詩は勇壮な勢いを形成するのにふさわしく、短編詩は活発で軽快な状況を表現するのにふさわしい。
例えば:
(15) 炮声響了,
你立刻昂然站起来!
一会儿,下隧洞,
一会儿,登山崖,
一会儿,進工事,
一会儿,上炮台:
一会儿,看長天,
一会儿,望大海:
你発出的炮火
像閃電般把敵人的陣地劈開。
これは、郭小川《大海浩歌》の中の一節で、彼は長編詩で自分の豪快で勇壮な気持ちを表現するのが巧みで、ここに一節の短い詩の行を挿入し、躍動するリズムにより、機知に富んだ機敏な動作を、生き生きと活発に、ありありと紙上に表現している。
音声のアクセントは詩の中にリズムを形成する。これは声調の要素を除き、主に語法的なストレスを用い、ストレスを強調することで詩歌の旋律の中に強弱の異なるリズムを作り出す。
例えば:
(16) 哪,外面是声音、声音,
生命在招呼着生命。
解放、自由、永久的平等,
奴隷是奴隷們在搏争光明。
リズムを表す基本単位は“音歩”或いは“頓”と呼ばれる。中国語では一般に二音節、或いは三音節を“一頓”とし、単音節或いは四音節以上のものは稀である。
(17) 五月的 ―― 鮮花 ―― 開遍了 ―― 原野,
鮮花 ―― 掩蓋着 ―― 志士的 ――鮮血。
為了 ―― 挽救 ―― 這垂危的 ―― 民族,
他們 ―― 曾頑強地 ―― 抗戦 ―― 不歇。
(18) 昔時 ―― 不見 ―― 此処 ―― 山青,
野花 ―― 焼紅 ―― 嶺頭的 ―― 流雲,
而今 ―― 杜鵑花 ―― 謙遜地 ―― 譲位,
偶遺二三 ―― 点綴在 ―― 新辟的 ―― 田埂。
“頓”の区切りは、音声上の間歇に着眼し、したがってしばしばことばの意味の区分とは一致しないところが出てくる。リズムの要求により、時にはひとつのことばを二つの“頓”に分けて置くことがある。
例えば、“一衣帯水”は“一衣 ―― 帯水”と読まれ、“一衣帯 ―― 水”と読むことはできない。“為他人作嫁衣裳”は“為他 ―― 人作 ―― 嫁衣 ―― 裳”と読まれ、“為 ―― 他人 ―― 作 ―― 嫁衣裳”と読むことはできない。
一般に、詩歌には相対的に安定したリズムがあることを要求される。一首の詩の中で各行の“頓”の数はだいたい同じであることが望ましく、そうでないと雑然とした感じになる。
詩歌のリズムの中で、ある音頓の感情を強めるため、音頓の後に“襯字”(chen4zi4 口調をそろえたり、メロディーに合わせるために加えられる字)が加えられる。“襯字”は一般に語気詞や助詞で、ことばの勢いを強める作用がある。賀敬之の《回延安》の中では大量の“襯字”が使われている。
例えば:
“心口呀莫要這麼害的跳,灰塵呀莫把我的眼睛擋住了”,
“千万条腿来千万只眼,也不够我走来也不够我看!”
“楊家嶺的紅旗呵高高的飄,革命万里起高潮”,
“身長翅膀吧脚生雲,再回延安看母親!”
ここで“呀”、“来”、“呵”、“吧”は皆“襯字”である。
詩のリズムを調和させるため、詩歌の中では“虚詞”(機能語。文法上の働きをするだけで、単独では文成分にならない単語。副詞、介詞、接続詞、感嘆詞、擬声語をいう)を活用しなければならない。もし詩の中が全て二音節のことばであると、聞いていて気持ちが悪く、平板で味気なく思える。郭小川は嘗てある作者が詩の末尾に二音節のことばを使っていることの欠点を批評したことがある。その詩の各行の末尾には、“利箭、快刀”、“火箭、導弾”、“狂卷、叫囂”等のことばが用いられていた。彼は簡潔に一字の語にするか、二字の語の間に接続詞を加えるべきで、そうでないと美しい旋律が構成できないと考えた。(郭小川《談詩書簡(二)》(《談詩》P30-31、上海文藝出版社1978年)
詩歌の中だけでなく、散文でも、続けざまに二音節のリズムを置くのは避けるべきである。二音節の組合せでは、一二の虚詞を加えるだけで、文が生き生きとし、平板ではなくなり、変化に富んで情趣がある(中国語で“錯落有致”cuo4luo4you3zhi4)。
例えば:
(19)有些報道文章,比社論或新聞還重要,比副刊雑誌上文章,也更能吸引読者,不僅給人印象真実而生動,還将発生直接広汎教育効果。……同是知識経験和文章,在将第三者綜合表現上,得失就可見出極大差別。
上例で、“還将発生直接広汎教育効果”に二つの虚詞を加え、“還将発生直接而広汎的教育効果”とすれば、ずっと言い易く、且つ聞き易くなる。
同様に、“得失就可見出極大差別”を“或得或失就可以見出極大的差別”と変えることにより、文はずっと生き生きとしてくる。
(四)音声による感情伝達
私たちは、時にはことばの音声を利用し、状態を模倣し感情を伝えることで、文章をもっと生き生きとさせることができる。 客観的な事物を描写する時、音を重ねたことば(“畳音詞”)を使うことで、文章の形象性を増加させることができるだけでなく、文章の音楽性を増加させることができる。
例えば、朱自清の《荷塘月色》で、
(20)曲曲折折的荷塘上面,弥望的是田田的叶子。叶子出水很高,像亭亭的舞女的裙。層層的叶子中間,零星地点綴着些百花,有裊娜地開着的,有羞渋地打着雑儿的;正如一粒粒的明珠,又如碧天里的星星,又如剛出浴的美人。微風過処,送来縷縷清香,仿佛遠処高楼上渺茫的歌声似的。這時候叶子与花也有一些的顫動,像閃電般,霎時伝過荷塘的那辺去了。叶子本是肩并肩密密地挨着,這便宛然有了一道凝碧的波痕。叶子底下是脉脉的流水,遮住了,不能見一些眼色;而叶子却更見風致了。
このようにしとやかで美しい月明かりのハスの花を、大量の“畳音詞”を使うことで、一幅の生き生きとして人を引きつける絵画、一曲の美しく響く楽曲のように、人に言語芸術の美しさを享受させている。
事物の動く情景のイメージを再現するため、しばしば擬声語を用いて音声を模倣して描くことで、人にその場にいるような感じを与えることができる。
例えば:
(21)紅的高粱,白馬牙玉茭,揚着風,一陣陣煙霧騰騰,馬蹄答答響,石碾子咕嚕嚕轉着跑,人臉晒紅了,汗珠在眉峰上閃光,灰塵披満衣衫,声音却分外歓暢、洪亮。
(22)窓外,雨声漸瀝,雷声不断,雨点打在白玉階上,梧桐叶上,分外地響。風声緩一陣,緊一陣,時常把雨点吹過画廊,敲在窓上,又把殿角的鉄馬吹得丁丁冬冬。
擬声語は自然風物の音声の描写を表現するだけでなく、人物の描写で声や姿、笑顔を表し、人に、生き生きとして、真に迫っているように感じさせる(中国語で“維妙維肖”wei2miao4wei2xiao1、“栩栩如生”xu3xu3ru2sheng1 )。
例えば、老舎《女店員》で:
(23)斉凌云:其実呀,我并不像你們想的那麼神気!念初中,在中間休息了一年,
初中畢業,又没考上高中!你看媽媽那个挖苦我呀!
(学媽媽的語調)啊,一朶鮮花似的大姑娘,敢情是个大草包啊:
連高中都考不上!我神気什麼呀!
自然風物の描写について言えば、真に迫って風物を描いたり、周りの雰囲気を際立たせるのを助け、人物の声の描写については、性格を描き、話の筋を進めるのを助ける。
時には、ことばの音の同じもの(“諧音”)を利用し、別の意味を引きだすことのできることがある。あるものは人に冗談を言って面白いように感じさせ、あるものは人に意味深長に感じさせる。私たちは日常生活でよく人がこう言っているのを聞くことができる。: “干部干部,先干一歩!”“要向前看,不要向銭看!”等々。
このような状況は、文学作品の中でもよく見かけることができる。例えば:
(24)病人恢復了健康。畸零人成了正常人。正直的人已成政治的人。他的進歩顕著。
(25)鉄良随即套上了双铧犁,聚蘭交代説:“你雖然也聴老梁同志説了,究竟没実験過,別性急。机器,‘急气’,越急越气。”
時には人物をうまく描写するため、正確に語気詞や感嘆詞を運用することが必要である。人物の表情や態度、喜怒哀楽が、しばしばひとつの語気詞や感嘆詞により生き生きと表現することができる。(中国語で“活霊活現”huo2ling2huo2xian4。 生き生きとして真に迫っている)
(26)“好了,好了!”看的人們説,大約是解勸的。
“好,好!”看的人們説,不知道是解勸,是頌揚,還是煽動。
(27)“我出十塊銭,請你們准我進農民協会。”小劣紳説。
“嘻!誰要你的臭銭!”農民這様回答。
例(26)は、魯迅《阿Q正伝》の中で阿Qと小Dが喧嘩した時の傍の観衆の態度である。“好了,好了!”は語気詞“了”を用い、彼らが二度と喧嘩しないよう希望している。 “好,好!”は語気詞“了”を用いておらず、彼らが引き続き喧嘩するよう煽動しており、意味の違いはたいへん大きい。
例(27)は感嘆詞“嘻”を用い、農民の封建地主階級への軽蔑と嫌悪を表現している。
文学作品の中には人物の異なる表情や態度を描くのに、尚更語気詞や感嘆詞の運用と切り離せない。
魯迅の《祝福》を例に言うと、祥林嫂がこっそり「私」に、人が死んだ後、魂はあるのかと聞いた時、躊躇して考えが決まらない「私」は、こう答えた。“也許有罷 ―― 我想。” “罷”の字一つで、口ごもっている様子が形象的に表現されている。
次に祥林嫂はこう聞いた。“那麼,也有地獄了?”“阿!地獄?”「私」の驚きや、どうしてよいかわからず途方に暮れる(中国語で“無所措手足”wu2suo3cuo4shou3zu2)様子が、ありありと紙上に表現されている。
しかし祥林嫂は尚手を緩めない。“那麼,死掉的一家人,都能見面的?”“唉唉,見面不見面呢?”この時の「私」は、いいかげんにお茶を濁しているかのようだ。
三つの語気詞と感嘆詞は真に迫って「私」の困り果てた様子を描写し、祥林嫂の古い伝統観念への疑問と反抗に対し、強く反対している。
また、小説の中で、何度も“啊呀”という感嘆詞を用いて衛老婆子を描いている。時にはそれを用いて自分の「不満」を表現し、時にはそれを用いて祥林嫂の姑の言い逃れを表し、時にはそれを用いて祥林嫂の嫁入りへの抵抗の驚嘆を表し、時にはまた祥林嫂の反抗行為の理解し難いことを表現したり……これら全てが生き生きと彼女のような、風向きを伺う才に長け(中国語で“善観気色”shan4guan1qi4se4)、口がうまく舌がよく回る(“巧舌如簧”qiao2she2ru2huang2)性格の特徴を表現している。
【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年
テキストの原文は、胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年である。
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中国語を話す人々は、音声の美しさに注意を払う。このことは、中国語の語音の特徴と切り離せない。中国語は、母音が優勢を占め、声調による抑揚の変化と音節の長短の配合により、音楽性に富んでいる。千数百年にわたり、中国人は言語の音律の研究と運用を重視し、韻文で音律の調和に注意を払うだけでなく、散文でも、「リズミカルで朗々と読むことができる」(中国語で“鏗鏘有声,琅琅上口”)ことを要求された。
・鏗鏘 keng1qiang1 楽器などのリズミカルな音
・琅琅 lang2lang2 明るく澄んだ読書の声。朗朗
・上口 shang4kou3 朗読が流暢である。すらすら読める。“琅琅上口”で、詩文などがすらすらと口から出てくる
先人は、中国語の特徴に基づき、多くの音声美に注意を払った言語形式を創造した。詩歌、戯曲、説唱文学(語りの部分と歌の部分を含む芸能形式。唐代の“変文”、宋代の“諸宮調”、現代の“評弾”、“大鼓”など)等が一定の格律を持つだけでなく、成語や格言等も、音の美に注意が払われている。
ことばは音と意味の結合である。ことばが構成する文には、音の配合の問題がある。音をうまく組合せることは、意味の表現伝達の助けになる。ある文章は、読んでみると、「音の調子がリズミカルで、耳に快く、聞く人を感動させる」(中国語で“声調鏗鏘,悦耳動聴”)。ある文章は、「舌が回らず言いにくく、耳ざわり」(中国語で“拗口刺耳”)で、読み終えるのが困難である。
曹靖華はこう言っている。“不但詩講節奏,散文也講這些,講音調的和諧。也応下字如珠落玉盤,流伝自如,令人聴来悦耳,読来順口,不致佶屈聱牙,聞之刺耳,給人以不快之感。” (詩がリズムに注意が払われるだけでなく、散文もこのように、音や調子の調和に注意が払われるべきである。また文字を選ぶ時は、真珠が玉の盆に落ちるように、自在に伝わり、聞く者の耳に快く、読んでも語呂が良くなければならず、ごつごつとして読みづらく、聞くと耳ざわりで、人に不快感を与えるようではだめである。)(曹靖華《談散文》(《飛花集》P293上海文藝出版社1978年)
・珠落玉盤 zhu1luo4yu4pan2 真珠が玉の盆の中に落ちるように、音が聞く人を感動させること
・佶屈聱牙 ji2qu1ao2ya2 文章がごつごつして読みづらい。
(一)音韻の調和
音韻の調和は主に音、韻、声調の組合せを指す。音と韻の組合せは、“双声”(“丁当”ding1dang1、“倣佛”fang3fu2 のように同じ声母(子音)をもつ二字から成る語)“畳韻”(“闌干”lan2gan1、“千年”qian1nian2 のように、2音節の二つの文字の韻母(母音)が同じ語)と“押韻”の問題が現れる。声調との組合せでは、平仄の問題が現れる。
1、双声と畳韻の利用
双声と畳韻は中国語独特の語音を利用した表現内容の形式である。二つの音節の声母が同じものを双声と言い、韻母が同じものを畳韻と言う。中国の古典詩の中で双声、畳韻を運用したものが数多くあり、現在使われている多くの成語でも、“意気風発”、“粗茶淡飯”、“循序漸進”、“流離失所”、“惨淡経営”、“冠冕堂皇”等、双声、畳韻の方法を運用して構成されている。
・意気風発 yi4qi4feng1fa1 意欲に満ちあふれて気持が奮い立つさま。[双声]
・粗茶淡飯 cu1cha2dan4fan4 質素な食事[畳韻]
・循序漸進 xun2xu4jian4jin4 順を追って次第に進む[双声]
・流離失所 liu2li2shi1suo3 さすらって身を落ち着ける所がない。路頭に迷う[双声]
・惨淡経営 can3dan4jing1ying2 事を進めるのに苦心惨憺する[畳韻]
・冠冕堂皇 guan1mian3tang2huang2 表向きは堂々としてりっぱである[畳韻]
多くの“聯綿詞”(連綿語。声母、または韻母が同じか類似した二つの音節で構成される単語。双声詞(声母が同じ。“倣佛”fang3fu2、“伶俐”ling2liなど)、畳韻詞(韻母が同じ。“闌干”lan2gan1、“逍遥”xiao1yao2など)、それ以外(“妯娌”zhou2li、“瑪瑙”ma3nao3など)がある)で、それを構成する二つの音節が常に双声関係、或いは畳韻関係である。例えば、“輝煌”hui1huang2、“慷慨”kang1kai3、“陸離”lu4li2、“逍遥” xiao1yao2、“従容”cong2rong2、“輾転”zhan3zhuan3 などがある。
優秀な散文作家の中には、双声や畳韻の利用に注意し、ことばの美感を生みだしている人もいる。こうした言語の形式美は、人に与える印象が強い。
(1)她唱的響亮而圓転:当她的船箭一般駛過去時,余音還裊裊的在我們耳際,使我們傾聴而向往。
・余音裊裊 yu2yin1niao3niao3 余韻が嫋嫋(じょうじょう)として消えない
(2)我必須立刻把它写下来,我願意把它写在奔騰叫嘯而又安静温柔的長江一起,因為它使我聯想到我前天想到的“戦斗―― 航進 ――穿過夜走向黎明”的想像,過去,多少人,従他們艱巨戦斗中相望着一個美好的明天呀!而当我承受着像今天這様燦爛的陽光和清麗的景色時,我不能不意識到,今天我們整個大地,所吐露出来的那一種芬芳、寧馨的呼吸,……
・奔騰叫嘯 ben1teng2jiao4xiao4 ごうごうと音をたてて勢いよく流れる。“奔騰呼嘯”とも言う
・燦爛 can4lan4 光り輝く
・寧馨 ning2xin1 すばらしい
(3)真的猛士,敢于直面惨淡的人生,敢于正視淋漓的鮮血。
・鮮血淋漓 xian1xue4lin2li2 血がしたたり落ちる
上の三つの例の中で、ある文は形式が整っていて、双声と畳韻がはるかに向かい合い、読んでみると均整のとれた韻律美がある。ある文は形式が錯綜し、双声と畳韻が踵を接して来て、声に出して読むと波乱万丈で、情緒たっぷりだ。
2、詩や歌の押韻
“押韻”とは異なる文の同じ位置で、韻母中の“韻復”(韻母の中の主要母音。例えば“iang”中の“a”)が同じ、或いは“韻復”と“韻尾”が同じ字を使うことを指す。通常は文の末尾に置くので、“韻脚”と言う。
(4)海的眼色像初秋的晚霞, (xia)
刹那間可以千変万化; (hua)
漁家姑娘最愛的本色――
藍錦緞上繍几条雪白的花 (hua)
(5)大雪圧青松,
青松挺且直; (zhi)
要知松高潔,
待到雪化時。 (shi)
上の二つは韻を踏んだ詩だが、押韻の状況は同じではない。例(4)は第一句で入韻し、一・二・四の三句で押韻がある。韻母の状況からみると、首句の末字は“ia”、二、四の両句は“ua”である。しかし韻復は何れも“a”であり、韻を踏んでいると見做すことができる。例(5)では第一句は入韻しておらず、二、四の両句に押韻がある。
韻のある詩歌で、第一句は押韻のあるものと無いものがあるが、大切なのは、第二、四句は韻を踏まなければならないということである。したがって、一般に韻脚は偶数番目の句に置かれる。
現代の韻文は一般に十三轍、或いは十八韻を押韻の拠り所としている。それに近い“轍”(zhe2 戯曲、雑曲、歌詞などの韻)でも韻を踏んだと見做すことができる。
例えば:
(6)小小的一根火柴, (chai)
劃開了一個新的境界。 (jie)
好大的火,荒原成了火海! (hai)
火花飛舞着、旋転着,火柱直衝到九宵雲外! (wai)
詩歌は一般に一句おきに押韻があるが、時には全ての句に押韻があってもよい。例えば:
(7)我凭依着南窓遠望。 (wang)
西方的天際一抹斜陽, (yang)
那儿是薔薇花的故郷, (xiang)
那儿有金色的明星倘佯。 (yang)
晩風喲,你是這様的清凉, (liang)
少時頃你会吹到那西湖辺上, (shang)
你假如遇着我那姑娘。 (niang)
你請道我呀平安無恙。 (yang)
また少数の詩では“随韻”、“交韻”、“抱韻”を用いている。“随韻”とは、二句ごとに韻を取り換えることを言う。例えば聞一多の《発現》の韻脚は、“涙、対;我、火;喜、你;崖、愛;風、胸;你、里”である。劉半農の《教我如何不思她》後半の韻脚は、“流、遊;話、她;揺、焼;霞、她”である。“交韻”とは、四行一節の詩の中で、一、三の両句に押韻があり、二、四の両句に押韻があることを言う。例えば、卞之琳の《大車》の韻脚は、“金、歩、林、土;想、雄、方、風”である。“抱韻”とは、四行一節の詩の中で、第一、四の両句に押韻があり、第二、三の両句に押韻があることを言う。例えば蹇先艾の《雨晨遊龍潭》は、第一段の韻脚が“回、彩、霾、飛”であり、第二段の韻脚が“大、泉、山、花”である。
中国語で、伝統的な民間の詩歌は皆、押韻がある。中国の新しい詩も大部分が韻を踏んでいる。時には押韻のため、作者は語順を変えないといけない場合がある。例えば郭小川の詩で、
(8)粛殺的秋天畢竟過了,繁華的夏日已経来臨,
這香甜的甘蔗秘喲,哪還有青紗帳里的艱辛!
時光像泉水一般涌啊,生活像海浪一般推進,
那遥遠的青紗帳喲,哪曾有甘蔗林里的芳芬!
(9)我們的祖国
為了撫育我們
従来没有吝惜過辛労,
現在我們長大成人了
該怎様奮不顧身地
把祖国答報!
ここでは韻を踏むため、“芬芳”をひっくり返して“芳芬”とし、“報答”をひっくり返して“答報”としている。これは修辞のために採った臨時の措置で、勝手に造語したと叱責することはできない。
3、音の言いづらさ(“拗口”ao4kou3)を避ける
ことばの運用で、ことばがすらすら言えて耳に心地よいことに気をつけなければならず、それにはことばの間の音の組合せに注意しなければならない。音の組合せがうまくないと、言いづらく、耳ざわりになる。中国語の中に、早口言葉(“拗口令”、或いは“繞口令”)がたくさんあるが、音の良く似たことばをうまく組み合わせ、言うのに苦労し、聞くのもたいへん骨が折れる。したがって、文章を書く時は音の似ている字をいっしょに組合せることは避けなければならない。いくつかのことばは見ただけでもよくわかり、口に出して言ってみると、わずらわしい感じがする。例えば、“黄土高原和 河套平原”は、読んでみると、“黄土高原与 河套平原”のようにすらすら言うことができない。また、“他口頭上説得冠冕堂皇,事実上并不実事求是”は、“他口頭上説得冠冕堂皇,実際上并不実事求是”とした方がずっと言い易い。
音の言いづらさを避けるには、平仄の調和にも注意しなければならない。中国語は声調のあることばで、中国語の音節の組合せで、声調の協調運用に注意することはことばの美感を大いに増強することができる。
音の平仄の調和に注意することは、決して推測不可能なことではない。多くの四字格の成語は平仄の協調に注意が払われている。例えば、
“前功尽棄”、“餐風飲露”、“単槍匹馬”、“来龍去脉”、“銅墻鉄壁”、“偸工減料”等は皆“平平仄仄”である。
“視死如帰”、“異想天開”、“画餅充飢”、“問道于盲”、“断簡残編”、“痛改前非”等は仄仄平平である。
四字格の中の平仄の対応は、読んでみると十分耳に心地よい。
いくつかの文章はこうした平仄の対応関係に注意し、読んでみると抑揚が巧みである。
(10)一張白紙,没有負担,好写最新最美的文字,好画最新最美的画図。
(11)大歴四年的冬天,寒流侵襲潭州(長沙),大雪下得家家灶冷,戸戸衣単。
例(10)の上句の“白紙”は平仄で、下句の“負担”は仄平である。上句の“文字”は平仄で、下句の“画図”は仄平である。ここでは“画図”を用い“図画”を用いないのは、明らかに平仄の協調を斟酌してのことである。
例(11)の“家家灶冷”は平平仄仄、“戸戸衣単”は仄仄平平である。筋回しがよく、調和がとれ聞く人を感動させる。
平仄の配列に注意しないと、書いた文は、読んでみるとたいへん言いづらい。
例えば:
(12)是四月天,天上没有一絲雲,日頭光炎炎的。風是又悶又熱,地上干裂了縫,有一指寛。這是副産区,以果菜為主。果樹焦了梢,菜儿蔫了叶,一連八个月没有下一場像様的雨。……
この文の句式の運用、音節の配合には多くの問題があり、声に出してみると、たいへん耳ざわりである。ことばがばらばらで、統一した構成がなく、まるで指揮者のいないオーケストラのようで、各人がそれぞれの調子で演奏していて、雑然としている。最後の一句“場像様”の三文字は音が類似しており、また仄音ばかり続き、読むのに骨が折れる。
まとめると、平仄の調和は主に二つの面で表現される。一つは異なるセンテンスの末尾は平仄の呼応に注意しなければならない。一般に前が仄、後ろが平である。もう一つは、同一のセンテンスの中で平仄の重複と変化に注意しなければならない。一般に二文字で変わる。
【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年
前回に出した、中国語の文法間違いの練習問題も解答をお届けします。
一、次の文には、実詞の使い方に誤りがある。誤りを指摘し、その理由を説明せよ。
① 他為人処事一向很原則,很認真。
この文で、“処事”の状語(連用修飾語)として“原則”、“認真”が置かれているが、“原則”は名詞なので、状語にならない。ここは、“遵守原則”、或いは“尊重原則”としなければならない。
② 現在一些人很注意包装自己。包装可以,但不能太包装。
“包装”は物を包装したり梱包したりする意味で、人の性格を覆い隠す、という意味に用いることはできない。ここは、“包装”を“掩飾”に変えなければならない。
③ 除去行政楼外,几乎所有的窓子都明亮着不疲憊的眼。
“明亮”は形容詞で、そのままでは後ろに“不疲憊的眼”という名詞句を伴うことができない。ここは助詞“着”を“得”に変え、その後ろに像を挿入し、“明亮得像不疲憊的眼”とするとよい。
④ 実行新的管理制度以来,優質品率由過去的百分之八十提高到了百分之九十。
助詞“以来”は動作の起点以降の動作の連続性を示し、起点が強調されるが、この文では既に“優質品率”が“百分之九十”になったという結果に重点があるので、“以来”ではなく、“以后”を用いるべきである。
⑤ 護膚品在使用過程中難免不受外界汚染,微生物很容易大量生長繁殖,導致変質。
副詞“大量”と動詞“生長”は結びつかない。ここは、“生長”を削除し、“大量繁殖”とすべきである。
二、次の文には、虚詞の使い方に誤りがある。誤りを指摘し、その理由を説明せよ。
① 我認為一個人生活的太順利了倒是一種不幸。
動詞“生活”と形容詞“順利”の間は動詞・補語の関係があり、助詞は“的”でなく、“得”を用いなければならない
② 1980年5月18日上午,我国向太平洋預定海域発射的第一枚運載獲得圓満成功。
助詞“的”により、後段の“発射”は“火箭”の修飾成分になってしまており、成功したのは“火箭”となってしまっている。ここは、ロケットの打ち上げ行為の成功、という意味であるべきなので、“的”を削除すべきである。
③ 歌曲或曲譜各選1名,各贈金卡1張,享受本企業各類優惠卡10年。
接続詞“或”と副詞“各”をいっしょに使うのはおかしい。後ろの3か所の“各”を活かすなら、“或”を“和”に変えるべきである。
④ 在改善学生生活上,我們学校採取了一些措施。
方位詞“上”は、名詞+上の形で用いられるが、ここは動詞+賓語の形になっており、“上”を用いることができない。“上”を削除すべきである。
⑤ 這種鈣片能使鈣迅速沈積于骨骼上,達到了真正的補鈣目的。
助動詞“能”の位置がおかしい。この文で、言いたいのは、“達到真正的補鈣目的”が可能になることだが、“能”をこの位置に置くと、“能”が後段の“達到”にかからない。また、“使鈣沈積于骨骼上”は目的に達する理由を説明しており、“能”を付ける必要はない。よって、“能”の位置を“達到”の前に変えるべきである。
三、次の文は、ことばの組合せが適切でない。誤りを指摘し、その理由を説明せよ。
① 近几年来文壇非常活躍,小説、散文、詩歌的数量和質量都顕著地増加了。
“数量”が“増加”するのはよいが、“質量”が“増加”するのはおかしい。後段は、“小説、散文、詩歌都顕著地増加数量,提高質量了”とすべきである。
② 節日的公園洋溢着一派生机勃勃、欣欣向栄的景象。
“生机勃勃”、“欣欣向栄”とよく似たことばを並べて使っている。“欣欣向栄”は草木がすくすく伸びるように勢いよく発展する、という意味で、ここで言いたい「活気がある」という意味とは多少ずれている。“生机勃勃”は「活気がある」という意味であり、ここは“欣欣向栄”を削除すべきである。
③ 最稀奇古怪的軍備要数埃塞俄比亜人了。
“埃塞俄比亜人”の“軍備”が“最稀奇古怪”に数えられるのだから、“軍備”の位置がおかしい。“最稀奇古怪”を動詞“数”の前に出すのであれば、“最稀奇古怪的要数埃塞俄比亜人的軍備了”とすべきである。
④ 陳明仁却対肖毅精湛的藝術和医療態度十分佩服。
“精湛”(jing1zhan4 詳しくて深い。巧みで完璧である)は“藝術”と“医療態度”の両方にかかっているが、この修飾は“医療態度”とは結びつかない。助詞“的”の位置を変え、対肖毅的精湛藝術和医療態度とし、“精湛藝術”と“医療態度”の何れもが“十分佩服”につながるようにすればよい。
⑤ 他的煩悩憤懣之情,被山間明月和江山清風吹散了。
後段の“山間明月”、“江山清風”は何れも動詞“吹散”にかかっており、“江山清風”はよいが、“山間明月”が“吹散”するのはおかしい。
四、次の文にはことばの成分の欠如や余分がある。誤りを指摘し、その理由を説明せよ。
① 通過這些事実,使我們認識到進行愛国主義教育的重要性、必要性和迫切性。
ここで“認識”したのは、“愛国主義教育”そのものの“重要性”、“必要性”、“迫切性”であり、“愛国主義教育”の“進行”ではないので、“進行”は削除すべきである。 ② 我国足球運動的落后状况在社会上引起了很大反響,如果還按照以往的訓練、管理模式, 這種現状恐怕難有根本性的改変。
“按照以往的訓練、管理模式”は介詞“按照”+名詞で「以前の訓練、管理方式により」という意味で、「それでどうする」という動詞が欠けている。例えば後ろに動詞“教練”を挿入し、“按照以往的訓練、管理模式教練”とすべきである。
③ 来這里参観的人感慨万端,誰能想到,這緑茵茵的草場竟是寸草不生的荒漠!
副詞の使い方がおかしい。“竟”は現状の意外な現象を言う時に用いるが、ここは「以前は~であった」と言いたいので、“竟”を“原来”に変えなければならない。
④ 江西廬山風景区名人別墅将于4月20日在北京人民大会堂進行拍売。
副詞“将”の使い方がおかしい。4月20日という具体的な日付があるので、“将”を削除すべきである。
⑤ 全校師生在英雄事跡的感召下,好人好事如雨后春笋般涌現出来。
成語“雨后春笋”は名詞句であり、後ろに“般”を付けただけでは、“涌現”の状語にならない。“般”の後ろに助詞“地”を挿入する必要がある。
・感召 gan3zhao4 感化する。“的感召下”で、「~に感化されて」という意味に使う。
五、次の文にはどのような誤りがあるか。誤りの内容を指摘し、修正せよ。
① 王廠長的模範作用激発了広大工人的労働熱情,産量一下子提高到百分之二十。
動詞+“到”で動作の到達した状態を示すが、“産量”の増加の比率は、“百分之一百二十”としないと、20%増えたことにならない。或いは、“到”を削除し、“了”を加えると「20%増えた」となる。
② 豊富而深厚的生活積累是我們能否創作出好的文学作品的関鍵問題。
“生活積累”の形容として“豊富”は当てはまるが、“深厚”は当てはまらない。“深厚”の用途としては、“深厚的感情”(深い親しみ)、“深厚的基礎”(しっかりした基礎)という使い方をする。ここは、“而深厚”を削除すればよい。
③ 太和豆豉相伝原産于江西省的太和鎮而得名。
“相伝”、は「伝えられるところによれば~だそうだ」という意味だが、“原産于”で「~の原産である」と既に断定しているので、この上に“相伝”を被せるのはおかしい。ここは、“相伝”を削除すべきである。
④ 3年前我們相遇的時候,那時他雖然已経満頭華髪了,却精神矍鑠,也很健談。
最初のクローズ“3年前我們相遇的時候”で出会った時間を説明しているので、次の“那時”は全くの重複で意味がなく、削除すべきである。
・矍鑠jue2shuo4 年を取っても元気がよいこと。かくしゃくとした。
・健談 jian4tan2 口達者である。話上手である。
⑤ 不管天気多麼冷,運動員們却能堅持訓練。
接続詞“不管”に呼応するのは、“都”、“也”である。後段の“却”を“都”に変えるべきである。
⑥ 我們和農民一起,在山坡上昨天参加了植樹造林的緊張労働。
“昨天”の位置がおかしい。語順は、日時+場所+行動内容であるべきなので、後段は、“昨天在山坡上参加了植樹造林的緊張労働。”とすべきである。
⑦ 今天我們学習《詞的構成》這篇基礎知識短文的主要内容是合成詞的結構方式。
前半の“学習”の賓語“短文”が後半の主述文の主語の“主要内容”にかかっており、全体の文章の意味が通じなくなってしまっている。文章を二つに分け、“今天我們学習《詞的構成》這篇基礎知識短文,這個主要内容是合成詞的結構方式。”にすると意味が通じるようになる。
⑧ 大家的不同的意見,主要集中在如何更徹底地改革陳規陋習。
“不同”と“集中”をいっしょに使ったため、文の意味がわからなくなってしまっている。前の“不同”を削除すれば、“大家的意見”という前提を維持して文の意味が通じるようになる。
・陳規陋習 chen2gui1lou4xi2 古い規則と悪い習慣
⑨ 這次会議対引進外資問題交流了広汎的経験。
介詞“対”が受ける名詞句“引進外資問題”に“的”が抜けている。ここは、“引進外資的問題”となるべきである。
⑩ 在搶険防洪的戦斗中,経過4個多小時驚心動魄的同洪水搏斗,同志們奮不顧身跳進汹涌澎湃的激流,保住了大壩,戦勝了洪水。
文の順番がおかしい。“戦勝了洪水,保住了大壩。”となるべきである。
・搶険 qiang1xian3 河川、道路などが危険な状態になったとき、迅速に補修する。応急修理する
・驚心動魄 jing1xin1dong4po4 手に汗を握る
・搏斗 bo2dou4 格闘する
・奮不顧身 fen4bu4gu4shen1 身の危険を顧みず、勇気を奮って突き進む
⑪ 我們做任何事情,都要対于人民負責。
前段で、“做”の賓語として“任何事情”と言うことはできない。“任何”を削除すべきである。“任何”の代わりに“什麼”を入れても構わない。
⑫ 打開收音机時,小華総喜歓選那些歓快、激動的楽曲聴。
“歓快的楽曲”ということはできるが、“激動的楽曲”ということはできない。“激動人心的楽曲”と言わなければならない。激動の後ろに“人心”を加えるべきである。