いっぽ自然整体院

いっぽ自然整体院のブログ。千葉市中央区新田町にて再開院しました。

健康の先

2022年09月16日 | 健康
健康の定義としてよく引用されるのは1947年に採択されたWHO(世界保健機構)憲章前文です。
“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”(健康とは、完全な肉体的、精神的および社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない)※1951年6月26日に条約第1号として公布された当時の定訳。日本WHO協会
その後、日本WHO協会では、「21世紀の市民社会にふさわしい日本語訳」を追及した結果、現在、以下の日本語訳を仮約として作成し、掲げています。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます」
1998年の第101回WHO執行理事会において、「spiritual(霊的)とdynamic(動的)」を加えた新しい健康の定義が検討されました。賛否両論があったのですが、第52回世界保健総会(WHO総会)の議案とすることが決定されました。そして、WHO総会で審議した結果、採択が見送られました。

健康の定義、概念も時代とともに変化してゆくでしょう。様々な言語、文化、歴史を持つ各国、地域の考えを一つにまとめるのは難しいことと思います。
しかし、なにゆえ私たちは健康を望むのでしょう。
世界のどの国の人も、それは同じなのではないかと思います。
健康である状態はまさに幸せなことだということです。
人は「幸せ」を求めて心身の健康をその前提にしているのだと思います。
自身の幸せ、大切な人の幸せ、
幸福な生活を、社会を、現在そして未来においても継続してゆくこと。

ところが、人類の歴史は自身の幸福、自身の属する組織、国家の幸福を求め、他者の幸福を踏みつけてきました。
奴隷制度、植民地政策、領土やエネルギー資源の奪い合いなどを行ってきたのです。
しかし、このままでは自身の幸福どころか、人類の滅亡に進みかねません。
それは個人でも同様に、個人主義が行きすぎれば格差が拡大しやがては人類の歴史が示すような社会の変革、革命になるのかもしれません。その変革がこれまでの歴史の繰り返しでないことを祈ります。まだ、時間と経験が人類には必要なのかもしれません。国家間の亊どころか、個人の身近な人間関係でさえトラブルが多く感じる今の世の中です。人類は、人はこれからも同じ過ちを繰り返してゆくのでしょうか。いいえ、人権の尊重、差別をなくす、平和を求めるなど歴史、経験からそれでも、少しずつ良い方向にも進んでもいます。これからも少しずつ、一歩ずつ、個々の意識が変わり、社会が変わっていると信じたい。

国際社会においては科学、文明の発展は他者との距離を縮め、世界はお互いが影響し合う関係になってきました。経済、食料、環境問題、国防ほか自国だけではもう対応できなくなっています。自身、あるいは自国の幸福のために、他者、他国の幸福も同時に実現できる世界が、社会が、これからは必要なのです。
そのためには様々な言葉、文化、歴史、考え方、宗教をもつ世界のコミュニケーションがさらに発達し、人と人の交流を通して理解しあえる関係が必要だと思います。
科学、技術が発達すると同様に、人の心、優しさ、理解しあえる能力も発達してゆけると思います。

健康は心と体、そして社会的にも満たされた状態、そういう状態を実現できる社会、世界。それを望む人、、、

健康と社会(まとめ)

2022年09月10日 | 健康
健康とは、
単純にいえば
心身ともに、良好な状態である。」といえます。
そのために栄養、運動、睡眠、休息など自身で心がけるわけですが、事故に巻き込まれたり、思わぬ怪我をしたりする。病気だって「なんで私が、、、」と思うほどどんなに気をつけてもなっちゃうのです。人生何があるかわからないではありませんが、誰も病気や怪我になりたくてなるわけではないのです。
それでも、「健康とは体と心の良好な状態」という認識はすでに当たり前のようになっているかと思います。

WHO(世界保健機構)ではさらに社会的福祉の状態を加えています。人が生きてゆくには、社会に対応せざるを得ません。家から一歩も出ずに生活しているとしても、どうしても社会との関わりは発生します。電気、水道、ガスなどの使用、食料の入手などどうしても衣食住において何かしら社会との関わりが起こります。
すくなくとも必要な衣食住を確保する経済的な関係があり、それに携わる人との関わりも発生します。
生きるには家族、友人、近隣、学校や仕事、サークル活動的な亊など様々な人と関わり、影響し合ってゆくことでもあります。さらに今やインターネットでの情報のやりとりも社会との関わりになるでしょう。
社会との関わりは、経済的な亊、物理的な亊、情報、心、考え方、などにおいて、お互いが影響しあっています。
それがスムースに行われ、それが世のため、人のためと、社会の良い方向にむかっている状態を健康の要因の一つ、「社会的福祉の状態」としてWHOは提唱しています。

HEALTH IS A STATE OF COMPLETE PHYSICAL, MENTAL AND SOCIAL WELL-BEING AND NOT MERELY THE ABSENCE OF DISEASE OR INFIRMITY. 健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、單に疾病又は病弱の存在しないことではない。WHO(世界保健機関)WHO憲章前文より

「社会的福祉の状態」は個人にとってはやりがい、生きがい、安心感など精神的な健康の助けにもなるのでしょう。しかし、社会との関係の前に社会そのものの状態も個人にとても大きな影響を与えます。

こうした身近な社会とのつながりだけでなく、より広い社会、例えば国家、さらに世界にまで今は影響しあって、それは個人の生活、健康に影響を与えます。
例えば日本においても地球の温暖化、異常気象による災害、農作物への被害。
医療体制や年金、健康保険、介護、育児など社会福祉体制ほか社会の出来事や仕組みは、直接我々の生活、健康に関わることが多いからです。それらをつかさどる政治の世界も私たちの健康と無関係ではないのです。
家族、友人、仕事、地域など、身近な社会的関係から世界の情勢までが、私たちの生活、健康、経済ほか様々な面で関わっているのが現実です。

個人的な心身の健康の大切さは、すでに理解されているといって良いでしょう。
しかし環境問題や異常気象、飢餓、飢饉、戦争その他様々な社会問題や、社会の仕組みが、私たち一人一人の健康に影響をもっているという認識はまだまだ不十分ではないか、と思います。
それはたとえ直接影響している事であっても、すぐに目に見えて影響しない程度のことだったり、遠い地域、遠い未来、つまり自分にはまだ関係の少ないことと思っているからです。けれども、次第に社会状態の重要性が加速度的に高まってきていると感じます。
温暖化問題や異常気象など、ここ最近は災害となって大きな被害が多発するようになりました。家屋の被害、道路や電気ガス水道などのインフラの破壊、農作物被害など、大きな経済的被害が発生しています。被災者だけでなく、消費者にも価格や各種料金の上昇として影響は大きくなってきています。
今、ロシアがウクライナに侵攻しています。遠い東欧の出来事です。しかし、すでに食料、資源エネルギー価格の上昇が、日本でもあり、多くの多くの品目の物価上昇を引き起こしました。
もはや、他国の問題は、日本にとって、さらに私たちにとって、関係のないことではなくなっています。
また、ロシアの侵略も、これが成功してしまえば、ほかの国も同じことをしてよいという前例になりかねません。中国は台湾に軍事侵攻するかもしれません。そのとき近隣の日本はどうする?どうなる?難民問題、領土問題から政治的、経済的問題の悪化へとつながり、私たち自身に及ぶ影響はどんどん大きくなってゆきます。
世界情勢や地球規模の問題は、家族、地域、仕事、それぞれでの人間関係など身近な社会にも影響を及ぼすし、個人の健康、生活にも影響を与えます。

ただ、そんな社会的状態は、悪いことばかりが健康に影響するだけではありません。
社会的な良い状態も他国に、他国の人に、我が国、そして私たち日本の人たちに、良い影響を及ぼすということにもなるわけです。社会の状態がもたらす意義をあらためて認識し、よりよい社会に変えてゆくこと。それは当たり前なことですがなぜか、世の中はなかなか変わってくれません。社会が変わるには時間も努力もかかるでしょう。WHOが健康の定義に社会的状態を加えて提示したのは70年も前です。
今改めて考えればWHOが健康の定義に社会的状態を加えているのも当然と言えると思うのですが、個人の心身のことに注視するあまり、社会的状態にあまり健康との関わりに注目してきていなかったのか、関わりをわかっていながら無視していたのか、健康と社会的状態との関係の重要性は認識がまだ薄いように思います。
それでも、少しずつその認識は高まってきていると思いたい。

健康とは2(社会と健康)

2022年08月30日 | 健康
個人的な心身の健康の大切さは、すでに理解されているといって良いでしょう。

しかし環境問題や異常気象、その他様々な社会問題や、社会の仕組みが、私たち一人一人の健康に関わりをもっているという認識はまだまだ不十分ではないか、と思います。
それはたとえ直接影響している事であっても、すぐに目に見えて影響しない程度のことだったり、遠い地域、遠い未来、つまり自分にはまだ関係の少ないことと思っているからです。
けれども、これからは社会状態の重要性が高まってきていると感じます。

温暖化問題や異常気象など、ここ最近は災害となって大きな被害が多発するようになりました。家屋の被害、道路や電気ガス水道などのインフラの破壊、農作物被害など、大きな経済的被害が発生しています。被災者だけでなく、消費者にも価格や料金の上昇として影響は大きくなってきています。
今、ロシアがウクライナに侵攻しています。遠い東欧の出来事です。しかし、すでに食料、資源エネルギー価格の上昇が、日本でもあり、多くの多くの品目の物価上昇を引き起こしました。
もはや、他国の問題は、日本にとって、さらに私たちにとって、関係のないことではなくなっています。
また、ロシアの侵略も、これが成功してしまえば、ほかの国も同じことをしてよいという前例になりかねません。中国は台湾に軍事侵攻するかもしれません。そのとき近隣の日本はどうする?どうなる?難民問題、領土問題から政治的、経済的問題の悪化へとつながり、私たち自身に及ぶ影響はどんどん大きくなってゆきます。

世界情勢や地球規模の問題だけでなく、もちろん家族、地域、仕事、それぞれでの人間関係など身近な社会との関わり、つながりが良好であることが自身の健康につながります。





健康とは

2022年08月25日 | 健康
「健康とは」というテーマについて
新しいホームページ制作のために、改めて考えてみました。

健康とは、
単純にいえば
心身ともに、良好な状態である。」といえます。

しかし、そのためには、様々なことが関わっており
自分一人で実現することはどんどんと困難になってきています。
個人の健康のためにも、社会のよい状態が不可欠になっています。

なぜ社会的なことが健康の実現に必要なのか。

例えば地球の温暖化、大気汚染、水質汚染などの環境問題。
異常気象による災害、農作物への被害。
医療体制や年金、健康保険、介護、育児など社会福祉体制ほか
社会の出来事や仕組みは
直接我々の生活、健康に関わることは多いからです。
それらをつかさどる政治の世界も同じことが言えますし、
家族、友人、仕事、地域など、身近な社会的関係から世界の情勢までが、
私たちの生活、健康、経済ほか様々な面で関わるようになっています。

1947年に採択された世界保健機関(WHO)憲章では、前文において「健康」を次のように定義しています。
「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、
肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、
すべてが満たされた状態にあることをいいます。
(日本WHO協会訳)」
この健康の定義は、世界中でひろく使われています。

個人の健康には「社会的」な良好状態も大切という考えは少しずつ
実感してきているのではないかと思います。
しかし、WHOが提唱してから70年以上経った今でも、それを実現できているとは言い難い。
個人として、国としての、そして世界全体の意識としても
より努力を必要としている状態です。


日本は医療体制や健康保険制度、
上下水道などのインフラ、衛生環境や教育水準などは、
比較的よい方だと思います。
この状態をさらに向上させてゆきたいものですが
はたして、それは可能なのでしょうか?

コロナウイルス蔓延は日本の医療体制の脆弱さを露呈しているし、
少子高齢化、格差社会など将来の経済、福祉面では大きな問題をかかえています。
国際的にも近隣国との領土問題や、資源エネルギー問題、
地球規模の異常気象や環境問題などもあります。
今は直接的な影響は少なくとも
将来は深刻なことになることは明白です。

国の財政、企業の経営、家計の悪化、
治安の悪化、福祉サービスの悪化などから
個人の健康を維持することが次第に難しくなってゆくかもしれません。


歳をとらないと身につかない技が「力を抜くこと」

2019年02月27日 | 健康
力を抜くことは、
普段何気にやっていることですが
実際にはしっかりと力が抜けてはいません。
それでも若いうちは
力で押し切ってしまえるようですが
次第にその弊害が蓄積するように
問題が発生してゆきます。

力に偏った身体の使い方は、身体的にも
精神的にも緊張に偏り気味ということであり
自律神経は交感神経側に
偏っているということです。

そうした繰り返し、その影響の蓄積が
ゆるむこと、力を抜くという感性を
にぶらせてゆくこととなり、
内臓機能、免疫機能、筋肉の柔軟性、
脳や循環機能、精神状態などに
問題を起してゆきます。

そういったデメリットが発生したときや
ある程度の年齢になったときは
体の使い方や精神面で「力を抜く」といった
感性、技を身につけて、磨いてゆくことで
身体、精神的バランスをとることとなり
心身の病気予防、健康の維持増進を
図れるのではないかと思います。

前にも述べているように
力を抜く」といったことを磨くことは
終わりがありません。

感性、バランス感覚は常に変化するものだし
限りがないことでもあるからです。

若いうちは
あまり気にせず生きていけたことですから
当然若い人は不得意なことです。

しかし、その若い人もやがて歳をとり
「力を抜く」必要性、有効性に気づいたときに
その手本となるのが
先輩である年長者でなくてはなりません。
その年長者の手本となるのが
高齢者でなくてはなりません。


しかし、今は歳をとることが
老化、心身の衰え、病気、痴呆といった
イメージが思いおきるばかりです。
若いときと同じように「力を入れる」「力をつける」
ということに偏った考え、やり方では
その能力は年齢とともに衰えてゆくだけです。
その若い人もやがては同じく
衰えてゆくだけの存在となってゆきます。

それを「当たり前」と割り切るのも
ひとつの選択肢ですが

見方を変え、「力を抜く」感性、技を
年齢とともに磨いて心身を高めてゆき、
健康の維持増進、病気予防、
心身の能力のさらなる向上もできると私は思います



四十肩、五十肩、肩こり、寝違え、慢性肩こり
オスグット病、シーバー病、へバーデン結節,
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心地よく、改善解消する千葉市中央区の整体院

健康の維持、増進。健康長寿。
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力を入れることに偏ったデメリット

2019年02月25日 | 健康
若いうちはいわゆる体力がありますから
筋肉を増やす、パワーをつけることで
体を使うことがしやすい。
筋肉をつけるのは若いうちのほうが
つけやすいといえます。
しかし、そのために体が硬くなったり、
頑張りすぎて故障をおこしたりといった
デメリットも注意しなければなりません。

力を抜くことを意識せずとも
パワーで押し通すことで能力を高めるのは
ある程度の年齢まではそれでいいのかと思います。
(むろんその弊害が起きたら
早めに見直す必要はありますが。)

しかし、年齢とともにその弊害が大きくなる。
老化というのは力に偏った習慣によるものという
要因もあるのではないかと思います。

力を入れることで筋肉を固め、
精神的には緊張状態になりやすく、
心身をゆるめるのが不得意となれば
血液を流すポンプ機能も十分に発揮できませんし
緊張による血管収縮の状態は血圧上昇や
血行不良となり
結果内臓機能の不調や筋肉の維持も
難しくなってしまう。
それは脳においても
同じだといえます。


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力と感情との関係

2019年02月24日 | 健康
力を出す練習を頑張るというのはわかるけど
力を抜くことを頑張るのはよくわからないと
言う方は多い。

もしかするとよくわからないというのは
感覚というよりも感情との関わりなのかと
感じる。

こうしたい、こうなりたいという感情、
つまり欲求と力を入れる感覚は結びつけやすい。
しかし、力を抜く場合、
やはりなにか欲求があって
そうしようとするのですが、
それは力みとなりやすい。

つまり、本当に力を抜く状態を目指す場合、
そうした欲求も妨げになってしまう。
「ただ力を抜く」という感覚に集中するということ。
だから頑張ってはいけないのです。


けっこう難しいことです。

そして集中と緊張も別といえます。
集中するけども緊張してはいけません。
集中は感覚、
緊張は不安や迷い、恐れなどの
感情を伴っている。
それは力みとなってしまいます。


力を抜くということは
感情のコントロールでもあるとなり、
それが力を抜くのが難しい要因のひとつなのだと思います。


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力を出すのも力を抜くのも、どちらも重要なこと

2019年02月23日 | 健康
筋肉が衰えてゆくことで
体を動かすことが困難になり、
それが血行も悪くさせることで
内臓や器官ほか身体のすべての機能も
衰えてゆきます。

血液は全身の細胞に栄養素を運び、
細胞から不要なものを体外へ導き
臓器、器官、脳、筋肉、骨を絶えず新しく作り変える
新陳代謝を行う要です。
さらに全身のコミュニケーションをも行い、
免疫となる白血球も血液であるなど様々な機能を
担っています。

心臓が血液を体にめぐらせるポンプとして
使われるわけですがそれでは不十分だから
身体の筋肉を使いそれをポンプとして活用しています。
筋肉も体を動かすだけでなく
血液を送る役目や、そのほかにも体温を高めるなど
筋肉の役割は重要です。

しかし、あまり筋肉のパワーにたよっていると
自律神経のバランスが慢性的な交感神経優位になり、
副交感神経への移行がしずらくなると考えます。
それは内臓への血液があまりいかない状態です。
逆に筋肉をゆるめている状態は
内臓機能が働きやすくなります。

要はバランスです。
体の個々全てが体全体のために機能しており
その一部だけが重要ということではなく
それぞれが重要な存在として体がなりたっています。

筋肉のパワーは筋肉の機能の一部であり、
それも重要な機能ですが、ゆるまることも
重要なのです。

筋肉のパワーを用いることで得られる体への効果もあれば
筋肉をゆるめることで得られる効果もあり、
体はその両方を必要とします。

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歳をとれば衰えるのは当たり前という常識

2019年02月22日 | 健康
若いうちはパワーがあるので
力を抜かずともパワーで押し切ることができてしまう。
だから、スポーツの世界ではパワー重視の傾向になる。

とくに子供はそのパワー不足だから
パワーをつけることですぐに能力はあがります。

そのパワー強化の限界、
パワー重視による弊害が歳をとるにしたがい
顕著になってゆき能力低下となってゆく。
その結果、プロ選手も現役引退することとなる。

先に述べた子供の場合では、
パワーアップに体が絶えられず
オスグット病などで怪我をする子が増えています。

パワーをつけることで運動能力を上げることを
選手も指導側も、世間も当たり前としています。

だから、歳をとっても
つらい筋力トレーニングをやることを
当たり前と思って頑張る。
しだいにその効果が出ない、
筋力も維持できないことで運動能力アップを
しだいにあきらめていく。

歳をとれば筋肉の維持も難しいし
運動能力の維持も難しいこと、ということも
世間では当たり前だと思っている。
「歳だからしかたないよね。」と。

スポーツの世界だけでなく
一般の人も
歳をとればおとろえてゆくものだいうのが
当たり前、常識だと思っている。

当たり前だから、それを見直すことはしない。
疑問を持たない。

 本当にそれでいいのでしょうか?



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当たり前とあきらめたらそこで試合は終了です

2019年02月21日 | 健康
「力を抜く」ことは感覚を磨き、
効率よく体をつかうことの前提になります。
そのために脳や体を活発に使って健康を維持増進することを
目指します。

ただ力を抜けばいいというわけではありません。
「無駄な力を抜いて、体を動かす」までできないとなりません。

そしてその能力を絶えず高めてゆくことを
しなければならないし、
その能力は限りなく高めてゆくことができる。
(実際に限りなくできるかは実証できませんが)

「限りなく向上できる」のは願望でしかないと思うかもしれない。
実際のスポーツでも齢をとることで
そのパフォーマンスが低下し、
現役引退、後進育成にまわってゆく。

能力として若い人にかなわない。
けれどもその若い人もやがて歳をとり
また若い人に抜かれてゆく。
それが当たり前のこととあきらめてゆく。

今当たり前のことでも
それがくつがえされてきたことはたくさんあります。
天動説が当たり前とされた時代は
地球が回っていることに気づかないように。


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