施術は「相手の身体の声を聞く」とよくたとえます。
それは相手に、施術の感触を、
言葉で聞くとということもありますが、
そのほかに直接身体と、コミュニケーションすることも含まれます。
施術の刺激、コンタクトすると、どう身体は反応するのかを、
私が感じることが身体とのコミュニケーションです。
相手の体が柔らかくゆるんだり、暖かくなったり、動きやすくなったり、
堅くなったり、骨格が動いたりなどの変化を感じるということです。
私自身の心や思考の中でも、
わたしの体は、相手の身体の変化をどう感じたかを、
自分の感触、感覚と対話しながら施術しているので、
私は自分自身の感触ともコミュニケーションをします。
こうするとどんな感触か?痛いとか、心地よいとか、
暖かくなったとかなどと相手もそれを感じます。
それは相手の心や思考も相手自身の体とコミュニケーションしているということです。
施術者と相手が一緒になって、相手の身体とコミュニケーションしながら、
身体を良い方向に導いてゆくのが施術です。
ここには手技をする私の体、相手の体、
そして私と相手の心の4者が存在する形になります。
つまり物質的な生命体としての存在(体)の私と相手。
精神・こころ・感性・感覚としての存在における私と相手の、
4つの存在がコミュニケーションを取りながら良い状態を探してゆく状態が施術ということなのかと考えています。
単純に言えば施術は単に手技を相手に行い、相手の心と体を楽にするということです。
心と体は切り離せない存在、一心同体の関係なのに必ずしも心が思う通りに体は機能しません。
何も考えなくとも体は呼吸し臓器を動かし続けてもくれる。
なりたくもないのに病気になったりもする。
それでいて心の状態は体に影響するし、体の状態が心に影響もする。
時々私は自分の体と、自分の心は、同じ私でありながら、別々の存在と思うことがあります。
身体の声を聞くということを考えると、また、施術しているときの感覚を振り返ると、
手技を機械的な単純作業とは感じていません。
なんとなく先にいったような感じで心と身体を別の存在と思ってやっている気がします。
そしてそれぞれとの良いコミュニケーション手段として手技を行い、それぞれが協力しあって心身の良い状態を目指している気がするんです。
近所のこぶしの花が満開です。