自分の歴史としての仕事はじめは昭和44年に独立して個人の名前の佐藤功建築事務所から
始まった、そして昭和46年に株式会社創設計事務所と名をかえた。
上下水道関係の仕事はこの46年から始まった、日本の3大コンサルタントとの中の一つで
もある、日本上下水道設計株式会社の協力事務所として当時の関西支部長の今は亡き村上氏
の引きで仕事をさせてもらうことになった。
建築事務所ではあったが、当時日本の下水道の悪さが問題で国が下水道事業に力をいれて、
下水道事業団を立ち上げての工事を増やしていったので土木と建築がつながる、ポンプ場
とか下水処理場が多く出てきたので半分以上が土木の仕事でもあった。
慣れない仕事で土木の仕事は1枚の図面がA1で15,000円程度でしたが、その仕事を文句も
云わずによく頑張ったので、だんだんと認めてもらえるようになり、1年後には、建屋と
しての管理棟や処理棟などの仕事を手伝うようになっていった。
その仕事は事務所として初めての延べ6000㎡にもなるもので、設計料も大きな金額
(設計料650万)の仕事でした。
この46年は結構一般の仕事も多くやっていましたが、この新多聞処理棟がきっかけで
本格的に下水関係の仕事を主に手掛けるようになっていった。