現代釣魚文化研究所主宰の八木さんが書かれている中のひとつで日本の磯釣りの開拓者の森岡さんの記事のひとつを連載します。
これは八木さんの許可を得ての模写です。
森岡氏の書かれた・序言・
旧知の八木禧昌君(現代釣魚文化研究所主宰)が、昭和30年代半ばから,十数年を費やした森岡さんの「全日本無人島初登磯」の記録は、登山家の「未踏峰初登頂」に匹敵する困難と歓喜の偉業であり、釣り文化として後世に記録の全容を残すべきだ、といわれる。
私のように一生を大方仕事もせずに遊び暮らした、つまらぬ人間の足跡を釣り文化として残したい、とは何とも面映ゆく恥ずかしいが、八木君の強い気持ちに当時の記録や原稿の再録等、編集をお任せした。また未発表の写真、資料等も同様に取り扱いをお任せした。
記録の再録がどのような形になるのか、今はまだ予想もつかないが久しぶりに少し若返ったような気分だ。
昭和30年代に、こんな釣り人がいた、その記録が残るならば、私はそれで充分満足だ。
大正8年(1919年)奈良県出身 森岡 治
夢にまで見た宇治群島へ
第1回の九州遠征はわずか2枚の収穫を得ただけの無惨な失敗に終わったが、その時聞いた宇治群島の名前はいつまでも耳に焼き付いて離れなかった。竿釣りの宝庫として、1日85枚もつれたという宇治群島、今度行くときは何としてもそこにいってやるぞという思いは、次第に私の心の中で熟度を増し、憑かれた様な執念となって凝り固まっていった。
目を閉じると、まだ見ぬ宇治群島が一望千里の大海原に点々と浮かんでいるのが網膜の裏に見えるようだった。