宇治群島続き
流れが速すぎて、コマセが利かないせいだろうか。
それで、昼からは少し沖の「馬乗り」という小さなハエに変わった、足場は少々悪いが、潮のぐわいで左側に打ち込んだ、1時間ほどして、次第にアタリが出始めたが、どうも食い込みが悪い、さればと、じやんじやんフジツボを掻き落とし、それから流れ子の餌をサザエに変えて投げ込むと、餌が底につかないうちに、グーと来た。どうせまた小さいやつだろうと軽い気持ちで竿を合わせたが、今度はどっこい竿が上がらない「アッ」と叫んだかどうか、途端に私の体は宙に浮いていた。不用意といえば不用意だが、足場の悪いトンガリ岩に両足を揃えて立っていたのだから、いこなり竿先を水中にまいこませるほどの激烈な衝撃には耐えきれるものではない。
一瞬私は体勢のバランスを失って、真っ逆さまに墜ちて行った、幸いにも水面近くで岩につかまり、柔道の受け身よろしく顔面を打つことは免れたものの、手はフジツボで切って血だらけ、それでも流石に竿は放さず,はね起きざま、その竿を立ててみたが、ナイロンはとっくにハエで高切れ、しばらくは声もなくそこにうずくまっていた。
林さんが驚いて飛んできて、私を引き上げて下さったが、「ここのヒサは口白と言って2貫以上はザラですから充分注意してくださいヨ」とのご忠告。
口白とは何か?どんな奴か?わたしは想像つかないが、ともかく宇治群島の凄さの一面にふれた思いで、背筋を冷たい戦慄が走った。するとフアイトが深いところから湧いてきて全身に溢れ。私は思わず「よォーシ」と口に出して呟いた。
今度は前の失敗に懲り。始めから慎重に充分体勢を整えて竿を持つ、コマセが利いて喰いも立って来たのか、直ぐゴツン、ゴツンという石鯛特有のアタリが穂先に来る。と、見る間に、竿全体が胴震いしながら穂先から水中に吸い込まれて行く。「エイッ」とばかり、後ろへひっくり返るほど強引に竿を合わせると途端に竿は満月を通り越して逆U字型にきしむ、想像を絶する凄い引きだ。そいつを力の限り腕限り、唯もう強引ガムシャラにまきあげると、何と口が真っ白な石鯛、腹に黒い模様があって薄灰色の魚体は、まるで石鯛の王様さながらの風格がある大きさは1貫六百クラスの標準を少し出た程度だが、その引きは大阪近辺のそれとは比較にもならぬ豪引である、どこにそんな力の差が生まれてくるのか,考えれば不思議千万
「来てごらんなさいヒサがたくさん見えますヨ」林さんの声に、下を覗いて思わず、ウワーッと唸った。南海の澄み切った波の下に、真っ黒になるほどの巨大な口白が銀鱗をひらめかして遊泳している。その数は20匹や30匹ではない、コマセにすっかりノボセ、浅場に上がってきたのだろう。
「俺は夢でも見ているのではないか」と思わず頬をつねってみたがやはり痛い、ふと、横を見ると、置き竿の穂先がまたもや舞い込んで、殆ど垂直に近い角度で、激しく上下にシャクッている、驚いて飛んで行ったが一瞬遅くハリはずれ。さればと、餌を付け替えるのもモドかしく、真っ黒な魚の集団に抛り込んだがどうしたものか、途端にもう当たらない、したを覗くと潮のながれが今までとは逆になって、あれほどもいたヒサが一瞬のうちにフイッと姿を消している。まるで嘘のようなはなしだが、潮が石鯛の就餌と動向に、絶対的な作用を持つという現実を、マザマザと見せつけられる思いがした。
時計を見ると4時、今日は4枚バラして3枚仕留めただけだが、よし、明日こそは釣って釣ってつりまくるぞ、口白よ、明日こそお前と勝負しよう、と心の中で呟いて竿を収めて船に帰った。
真紅の太陽が音もなく東シナ海の波間を染めて消えていく、身の引き締まる様な荘厳な眺め。やがて夜のとばりが徐々に暗く空を覆い、星が手の届く近さで降るようにまたたきはじめた。その頃からまたクエを試みたが、その夜も私の竿にはアタリは遂に来なかった、林さんが2貫たらずの小さいのを1本あげたのみ。