佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

風景

2021-03-16 19:05:53 | 釣り

釣りが好きであちこちに釣りにいって来ました、この55年ほど・・・

でも観光に行かなかった?、行く暇がなかった?

近場では日帰りとか1泊の釣りでその地の観光をする時間も惜しくて釣りをした

遠征の時にもその土地の見学に行こうという釣り人は少ない、現地について大雨とか

風で渡船が出ないときぐらいしか時間がない。

またそんなときは観光にも行けないのです。

今考えたらもったいない話でした、外国に釣りに行った時でもどこも見に行ってない

グアム・サイパン・テニアン・などは何度も行ったのに・・・

ニュージランドは少しの時間観光したが、ケアンズはしてない、今考えたら見ておき

たかったのは小笠原です、4回も行ったのに・・・屋久島は仕事でも行ったのです

が、親友の散骨にも行った関係で少し観光もした、伊豆7島も釣りであちこちと

行ったが、観光はしなかった、この長い間に今考えたら、あちこちと釣りに行かせて

もらえた、今は亡き女房殿のおかげと今感謝している。

これからは釣り場での風景も残していこうと・・・

広川の湾の中の灯台

島影のイカダ釣り

 

 

 

 

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釣り堀・紀州

2021-03-15 20:15:13 | 釣り

きっちりと1か月振りに和歌山県広川にある、釣り堀、紀州に行ってきました。

1月2月と淡路のじやのひれに行ってないのですが、今月は行ける予定なのですが

その前に、森永氏から電話が入り、14日の日曜日、メンバーが足りないので入って

くれませんかとのことで行くことになりました。

今回は彼の毎月出かけている月例のようですが、彼のところに入るとすべて段取りし

てくれますので大変楽です、たいがい僕のいく「じやのひれ」のときは、仲間集めか

らしなくてはならないのですが遊びの人集めとはいえ大変です。

紀州は4人で貸し切りができるので4人はそろうのですが、「じやのひれ」は5人から

貸し切りなので、いつも一人を探さなくてはならないので、メンバーが集まらないと

きは、紀州に行くことになる。ただ私は「じやのひれ」に行くと船で渡るのでなく

歩いて行けて、レストランもあるのでのんびりと行けるので良いのですが、仲間を

誘っていくときはどうしても「紀州」のほうが近いのと高速も安いので自然に

「紀州」のほうがメンバーが集まりやすいのです。

この日の釣果は、また一人舞台の人がいました、なぜ?だれ?

今回10人でしたが、第1号はないことに私でしてタイを釣りましたが・・・

竿頭は青物6匹にタイ5匹にシマアジ2匹でした、一人で釣るな!と悪友の谷本氏

なら云うでしょう、彼は岸和田でハネ釣りするときには、思い切り離れて釣らなけ

ればいやになるからと、いいますから、肩から先(腕)の差は同しょうもない。

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東京オリンピック

2021-03-14 19:59:42 | 日々の思い

 コロナの影響で大変なことになっているオリンピック

 開催するかどうかまでになってきているが、コロナが少し収まってきて

 開催するようですが、外からの観客は入れないということの検討まで

 大変なお金をかけてやることで今回は初めの国立競技場の設計問題から

 ケチがついている、「はじめ良ければすべてよし」の格言通りに・・・

 その開催における聖火リレーにも走るとか走らないとか言ってる人もいる

 選ばれたときは名誉やなんて言っていてこの間際でいろいろなことが起こると

 走らないとかいってる、たいそうに言わなくても嫌ならやめたらいいのではない

 かと思うが、走りたい方は多くいると思うので・・・

 その大阪のコースが新聞に載っていましたがわかりにくいので聞きました。

 

 スタートは大阪府庁の前の大阪城から出て城内を通り大阪城ホールの横を

 かすめて大阪ビジネスパーク駅の手前から大阪城の掘割を通り、寝屋川橋の先の

 OMMびる裏側あたりから船に乗り、ナニワ橋を越えて天満警察前ぐらいから

 陸に上がり川沿いを大江橋迄行き大阪市役所の横を通り中央公会堂の裏から

 正面に回りてゴールという。大まかなコースの説明です。

 

 問い合わせ・・06-6469-3863

 

 

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だぼ鯊のたわごと(不覚悟)

2021-03-13 19:41:21 | 釣り

少し調べたい事柄があって、江戸時代の釣りや魚の周辺をあれこれほじくりだしたら、これがなかなか興味深く、いろいろ広がりを見せ、途中で投げ出せず、コロナ禍の自粛生活も、まんざらではない、と一人苦笑を禁じえません。それにしても、江戸時代の釣りの文献は、なぜこうも東高西低なのか、浪速は、釣り文化果てる地だったのか、とぼやきたい気持ちになりますが、こればっかりは映画のバックツー・ザ・フィーチャーのようなわけにもいかず、甘んじて受け入れるしかなさそうです。

 

 磯釣りで「不覚悟」

    家禄減俸のおとがめ

 

 調べ物の発端は、江戸幕府が武士に対して出していたお触れ(布達)に、「瀬田の渡し舟とふぐの中毒に死するものは家禄没収」という一項があり、それをずっと幕末まで出していたことです。名古屋藩では、死に至らないでも、フグを買って食べたら押込(拘禁)五日、貰って食べても押込三日という厳しいものだったと伝えられています。

 つまり、武士たる者、危険とわかっているフグを安易に食って中毒死したら、家禄没収という厳しいお咎めを受けたという事実です。危ないものに手を出すな、という戒めでしょうね。(瀬田の渡し舟についてはなかなか面白いので、稿を改める必要がありますが、「危険なものに手を出す(乗る)」という点ではフグに通ずる戒めだったようです)

ともあれ、当時、「御定め書き百個条」などに明記して、さまざまな守るべき約束事を武士に徹底していたことが判ります。今も同じで、「君たちは一歩家を外に出たら最低五十の現行法(道路交通法、軽犯罪法などなど)に縛られる」、と中学生になった日の訓示で教わり、印象に残っていますが・・・。

 ここでだぼ鯊が話題にしたいのはふぐ毒ではなく、磯釣りで命を落としたらどのようなお咎めがあったかということです。

 幕府のお触れ意外に、各藩でも独自に「藩の御定め書き」を作っていたようです。つまり現在でいえば県の「条例」ですね。

 以下は百九十年ほど昔、江戸後期の文政十年、東北の庄内藩(現在の山形県)の加茂磯で起こった磯釣りの事故のあらましです。ご存知、庄内藩は武士の心身鍛錬に磯釣りを奨励し、藩士たちは磯釣りを「勝負」と心得ていたことはよく知られるところです。

 磯釣りを志す藩士達は、鶴岡の城下から二里、あるいは四里の道のりを歩いて庄内の荒磯に通い地磯の波頭に、これまた有名な庄内竿を振ったのです。当然、岩場から滑り落ちて怪我をする者もいたことは容易に想像できます。武道と同じ位置づけの磯釣りでの心身の鍛錬ですから、思いがけない事故で負った傷であれば、まさに名誉の負傷というべきでしょうが、実は藩のお触れを守らなかったため、藩主の怒りに触れて処罰されることと相成りました。

文献によると、事件の概略はおよそ次の通りです。

 『文政十年亥十月、小室平太右衛門が、加茂磯の蝦夷澗(ヱソマ)丸岩に於いて磯釣りをしていた時、浪に打ち落とされ、上陸後、疝癪(胃けいれん)をさし起こし、五十三歳で没した。このことが翌年2月、藩庁に聞こえ、荒天に、しかも危険な場所であるにもかかわらず、釣りをしたので浪に打ち落とされるということになったのは、あまりにも不覚悟のことで、本来なら家禄の大幅削減をするところだが、しかし、一緒に釣りをしていた鈴木重兵衛を助けようとして、ともに浪に打ち落とされたことが同僚の藩士(釣り人達)からの口添えとしてあったことから、その点を特別に考慮して、恩召をもって百石のうち、十石の減知(減俸)にとどめることにし、九十石を養父、小室大記に下し置かれた』

 以上が記録に残るお咎めの顛末です。(青銅企画出版・八木禧昌記。イラストも筆者。からくさ文庫主宰) 

*今ならどういうことになるのかな、数年前に大阪湾での事故の時落ちた方の

両親が渡船店や大阪府、市を訴えたことがあったが・・・時代の違い

 

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麻雀教室の再開

2021-03-12 19:33:13 | 趣味

自分の楽しみでもある麻雀、昨年から麻雀屋さんに遊びに行ってないが、

麻雀連合会もぼちぼちと始めるようです、案内が来ました、今までは中止の案内

ばかりでしたが今回は違ってこの14日から再開するという月例会。

3月は14日、4月は11日、5月は9日と決まったようです・

(在りし日の名人小島さんのお孫さん)

また全日本の高段者大会の選考会も決まって4月3日と5月1日とのこと。

14日は久しぶりなので参加と思っていたら、森永氏から、メールで14日の

メンバーが、足りないとのことで参加要請が来たので、例会は欠席で紀州に参加

することになった。

それならば私のところの麻雀教室も再開と、13日に始めることにした。

皆さんにハガキの連絡を送ってないので一部の方に連絡を取ってもらい、2組ぐら

いから始めることにしますが、昨年流れた西区の健康麻雀大会も8月に行うとの

ことも決まったという、それまでに少しは覚えてくれたらと思が、話した次の

瞬間にも忘れているという方がおられるので根気がいりますが、覚えてくれたらと

楽しみに教えています。この中にいると気短が気長になりますので、いいかなと。

(在りし日の小島名人と)

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