佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

シルバー川柳

2022-07-21 19:44:15 | 日々の思い

 

釣りブログと称してますが、読んでいただいてるのが最近は釣りの仲間ばかりではないので色々とこのブログにて書かせてもらっています。

今回は、シルバー川柳、このような川柳には時代がないのか、いつ読んでも面白いものです、少し、いらってみました。

10年以前に今中師匠から頂いたシルバー川柳について再度

若つくり、席譲られて 無駄を知り・・自分ではまだ若いつもりなのに・・・

金貯めて使う頃には 寝たっきり・・ケチで過ごした人生、三途の川の渡し賃

日帰りで行けたらよいな天国に・・月にでも行けるようになっても無理なんや

出ない名を、アレ、コレ、ソレで伝えてる・・伝わるのが不思議ですが、

メイドカフエ、冥途にもカフエがあるのかな・・年寄りには理解ができる?

先眠るよ 安らかにねと 妻が言い・・いつでもお先に行ってくださいと?

 

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拓正会創立45周年展-

2022-07-20 19:24:28 | 釣り界の歴史

マダイ・・林 周広氏

   魚拓での描き方を逆にしたもので、少し言い訳かな?

 

サメガレイ・・山脇湖栄氏

*ぼうずコンイャクの市場魚貝図鑑に詳しく乗っています。

モンスターブラウン・・白井栄治氏

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日本の磯の開拓者ー10

2022-07-19 19:40:25 | 釣り界の歴史

日本の磯の開拓者としての題名で9回にわたり、現代釣魚文化研究所の八木さんが書かれた、今は亡き森岡治氏の「宇治群島遠征記」昭和34年(1959年)~昭和35年(1960年)の内、昭和34年度の分をのさせてもらいました。

私の知る限りの昭和30年代の開拓者としてこの方に、もう一人大阪天満におられた、大井巌氏のお二人が両横綱ではないかなと思っております。

この森岡氏の昭和35年(1960年)の分はまた後日掲載いたします、この方のリターンマッチとして再度挑戦されたものです。

森岡氏や大井氏と違った面で磯の開拓者というか、釣り名人として各地に出掛けて名を上げられておられる方も多くおられます。

その釣り名人としての昭和50年代の釣り名人として読売新聞に掲載されていたのをまとめられて出された本に、佐古田修一氏の「現代釣り名人列伝」というのがあります。この本は当時の色々な釣りの名人さんをかかげられたものですが、離島の開拓者としての名は出ていませんが石鯛釣りの九州の栗林峯太氏や、今は亡きGAMAKATSUの社長さんの藤井繁克氏さんらもその一人ではないのでしょうか、また懐かしい11PMでの活躍されていた、「離島の大物釣り」という本を書かれた井ノ口和男氏も。

この佐古田さんの本はもうないかもしれませんが表紙の写真だけ見て下さい、このような本も、もう出ないのではないでしょうか?

この表紙はグレ名人と言われた和歌山の亡き志賀さんです。

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日本の磯の開拓者ー9

2022-07-18 18:55:28 | 釣り界の歴史

アラ2本

さて、船は錨を上げて一路阿久根へ向かったものの夜半にいたって強風豪雨の完全なシケ模様となり、船はピッチング、ローリングの猛烈な揺れ方、島影から島陰へ風を避けて逃げ回り、やっと少し安全な湾に入ったがその間、伝馬はロープがきれて流失、その上海水漏れが甚だしく、到底寝ておれない。

夜が明けてもシケは一向に静まる気配もなく、午後の2時前になって漸く雨が止み、風も少しおさまった。それで直ちに意を決して出発、7時間ばかりも揺れに揺れて、やっと午後9時近く手打ちの島の灯を見ることが出来た、その時の嬉しかったこと。組合の人や旅館の人々が大変心配してくれて波止場まで迎えに来てくれた。その夜は手打に1泊、翌朝幸親丸で阿久根まで送ってもらうトロ箱5つに魚と氷をつめ、大あわてに慌てて霧島の小荷物に積み込みそれからスシ詰めの車内に乗り込んだ。

後で、宇治群島のあの時の大釣りの模様を、いくども思いだしてみようと努めたが、記憶はそこの所だけが空白で、どうしてもハッキリとは思い出せない。ただ無性にしんどかったことが記憶に残っている。

やはり石鯛釣りの愉しさというものは、釣れたり釣れなかったりする確率の少なさにあるようで、あんなに滅多やたらに喰いついてきては、苦しさだけがあって、スリルも期待もギヤンブルめいた愉しみもあったものではない。そこが大もの釣りと小もの釣りの違うところだろう。要はモノはホドホドに、ということだ。

それに又考えればこちらでコツコツ釣っておられるヒトに対しては、あのような荒稼ぎは、まるで射的競技に機関銃を持ち出したようで、甚だ申し訳ない気がする。何か折角のレースの面白味をブチこわしたような気がしないでもないので九州での記録を私のそれから抹消してくださっても一向に差し支えがない余りに釣れないが故にこそ、石鯛釣りは面白い、遅まきながらそう悟れたことが、今回の遠征のもっとも大きな収穫であった。

 

 

 

 

 

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釣り堀紀州

2022-07-17 19:14:16 | 釣り

和歌山広川にある釣り堀、紀州に行ってきました

先週水曜日久しぶりに5人メンバーが水曜日にそろいまして行く事になりました水曜日は紀州では4人から貸し切りが成立しますので、わりあいにいきやすいのですが・・・それでもこの暑さでは皆さん引いてしまいます。

何とか以前から行きたいと言っていた、和歌山のゼネコンの専務と調整が出来て私といつもの三橋氏と専務と現場の方と須賀さんとの5人で行く事になった。

ここの所は朝がゆっくりで7時30過ぎに船が出るとの事でお昼の時間が少し伸びて12時30分までとなったという。

朝の早いのが釣れるのですが昼の時間が伸びてもだらけているので釣りにならないのですが、釣り時間が金額がアップされた分伸ばしたというが・・・

独り2000円のアップという事になり12000となった。

いつもは水曜日と言えば満員なのに、今日はすいているし、車も少なかった。

須賀氏の仕掛けをセットして自分のを作り始めたら時間が来て開始となったらすぐに専務が第1号のシマアジをかけた、それが合図のように皆さんが釣りだした。隣のイケスで小型のクエが上がったので写真をとらせてもらったが、こちらも負けじと須賀氏がヒラマサをかけた、鯛の仕掛けなので無理したらアカンでと声をかけてゆっくりと勝負してタマに収まった、

その後放流された、カンパチが森永氏が釣り、続いてマスもあがったが、居残り組の魚はそれだけで青物はいなかったようです。

この日は1か所の同じところでタイもシマアジも釣り上がっていた、エサについては、シラサがよかったようでしたが、ムキエビにお食ってきたが、ムキエビで釣れたのは今まであまりなかったのですが・・・

皆さんそれぞれがタイやシマアジを6~7匹お土産にしていたので良かった。私は、須賀氏の釣ったヒラマサとマスもいただきタイとシマアジもゲットしてお土産が出来た。

 

 

 

 

 

 

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